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「必ずベルトを持ってウクライナに帰る」英雄ウシクが、渾身の決意とともにジョシュアとの再戦に臨む

宮崎正博ボクシングライター/スポーツコラムニスト/編集者
厳しい戦争の最中にある祖国への思いを胸にウシクは戦う(写真:ロイター/アフロ)

 WBA(世界ボクシング協会)、IBF(国際ボクシング連盟)、WBO(世界ボクシング機構)の3団体世界ヘビー級タイトルマッチは8月20日、サウジアラビアのジッダで開催される。チャンピオンのオレクサンドル・ウシク(ウクライナ)と前チャンピオン、アンソニー・ジョシュア(イギリス)の再戦は勝負そのものもそうだが、ウシクが置かれた立場にも大きな注目が集まる。この文、単なるプレビューでは終われない。

幸せの時間は一瞬にして握りつぶされる

 6月29日、イギリス・ロンドンでの記者会見にウクライナ・コサック戦士にとっては伝統の髪型、大きく刈り上げて頭頂部から前頭部だけ髪を伸ばした姿でウシクは現れた。

「私の国では多くの人が苦しんでいる。ボクシングが彼らのモチベーションを上げるなんて考えるのは、どうかしていると思う。私ができることはプロとして最高の準備をして、ただひとりの世界ヘビー級チャンピオンとして試合に臨むことだけなんだ」

 アスリートならまさしく正論なのだろう。己の能力を尽くし、真正面からぶつかり合って競い合うことこそが本来の形。背景ばかりを持ち出すのは、いささかうっとうしい。ただ、あらゆるスポーツでメンタルのあり方が勝敗の着地点を左右するのも間違いない事実である。まして、ウシクの場合は特別である。周知のとおり、ロシアによる侵攻がウクライナという国はもとよりウシク自身をも激しく傷つけ続けている。

 ウシクは人生最高の冬を過ごした。そして人生最高の春を迎えるはずだった。昨年9月25日、イギリス・ロンドンのトッテナム・ホットスパースタジアムでイギリスのトップスター、ジョシュアに3−0の判定勝ちを収め、プロボクシングの最高峰である世界ヘビー級王座を3つも手に入れた。その戦いは完ぺきだった。智に長けた34歳(現在は35歳)のサウスポーは、的確なステップとかたいディフェンスワークでジョシュアを寄せつけず、最終ラウンドには鋭いコンビネーションパンチを浴びせてダウン寸前にまで追い込んだ。メジャー4団体統一の世界クルーザー級チャンピオンの90キロ・リミットの時代から10キロも増量しながら、どこまでもクールで鋭敏、さらに高密度の技巧が光り、世界のボクシング人から絶賛された。21世紀のヘビー級ボクシングで最も偉大な勝利のひとつという声もあった。

 プライベートも充実していた。サッカーのウクライナ2部リーグ、ポリシャ・ジトーミルに招かれ、2月4日にはNKヴェレス・リウネとの親善試合の最後の15分間、ピッチに立ち、少年時代に追いかけたプロサッカー選手の夢を現実にした。17日後には再びロンドンに出向き、ジョシュアとの再戦に向けての交渉を行った。その翌日、スタンフォードブリッジでUEFAチャンピオンズリーグを観戦する姿が目撃されている。24日にはキーウ市街近隣のブチャ地区ヴォルゼルにある自宅で娘の誕生日パーティーが開かれるはずだった。多くのゲストがすでに訪れていた。

 ロシアの砲撃が最初にキーウに直撃した当のその日である。ウシクの幸せの時間は一瞬のうちに握りつぶされた。

ウシクは志願兵として銃を手にした

 ウクライナ行きの空路はすべて停止された。ウシクは国際特急ユーロスターに飛び乗ってブリュッセルに行き、さらに列車を乗り継いでポーランドへ。そこから車をひたすら走らせて自宅にたどり着く。ほどなく、ロシアの砲撃はウシク家にも着弾した。

「ずっと地下室で過ごしたんだ。連絡が取れない隣人たちも何人もいた」

 ブチャが解放された後、その近隣地域では放置された遺体が多数発見された。ロシア軍による虐殺とされる。ウシクの自宅にも略奪の痕跡があった。

 ウシクは2月28日に地域防衛隊に志願する。ライフルを手にした写真も公開した。それから1ヵ月、緊張の時間が続いた。

「神様、どうか私が人を殺さないように。私が撃たれないように。それだけを祈っていた」。さらに「ときどき無理に笑ったり、何もないのに歌おうとする自分がいるんだ。その時の気持ちをどう説明していいのか今でもわからない」。妻のエカテリーナはその1ヵ月で夫は10キロも痩せたと証言している。

 ウクライナ政府から「海外で競技活動を続けないか」と打診されたのは4月。日々、目の当たりにする惨状にすぐには同意できなかったが、傷ついた同胞の一言で決心した。最前線に近い病院に負傷兵を慰問したときだ。ベッドに横たわった兵士が訴える。「あなたが手にするのは銃ではない。グローブなんだ。ここにいてはいけない」。ウシクはこのときウクライナのために自分が何をすべきなのかを悟った。

昨年9月、ウシクは完璧なペースメイクでジョシュアを攻略した
昨年9月、ウシクは完璧なペースメイクでジョシュアを攻略した写真:ロイター/アフロ

特別のコーチとともにドバイで調整

 ロシアはウクライナの戦意を削ぐために殺害者リストを作成し、そこにはゼレンスキー大統領を筆頭に多数の重要人物、著名人が名前を連ねていたとされる。ウシクもそのひとりだった。仮の拠点に向かうウシクの旅の行程表も慎重に練られた。「ウシクはポーランドで練習している」と流れた情報は放置されたまま、実はまったく別のルートで安全な場所へと移動していた。ハンガリー、チェコを経て3週間後にたどり着いたのはアラブ首長国連邦のドバイだった。ここならロシアの砲撃も、ヒットマンもいない。

 安心してジムワークに専念できる環境を手に入れたウシクとそのチームは、特別な時だけにアドバイスをもらうコーチを呼び寄せた。五輪2連覇、プロ12戦で世界王座の3階級制覇を成し遂げたワシル・ロマチェンコ(ウクライナ)の父、アナトリー・ロマチェンコである。アマチュア時代、同僚ワシルの圧倒的な技量にあ然とし、「真似をすれば自分も強くなれる」とナショナルチームのコーチであるアナトリーの教えに従った。そしてロンドン五輪で金メダルを獲得した。プロになってからも大事な試合ではアナトリーとともに準備を始めた。ジョシュアとの前戦のときも、そして今回も、だ。以来、祖国への思いを懸命にふりはらってボクシングに没頭してきた。だから今、ベストにあると確信している。

「私たちのチームは、ジョシュアとの初戦のビデオを何度も見てきた。前回におかしたミスを二度と繰り返さぬように補修もした。ジョシュアがどんな戦法できても、ほんとうのところはあまり関係はない。自分の戦い方だけを考えて勝利に突き進むだけだ」

「戦争をモチベーションにしない」としながらも、ウシクは乗り越えなければならない厳しい痛みとともに、世界の最高舞台で勝ち取るものの意味を知っている。

ジョシュアはコーチ交代で新戦力開拓

 再戦に臨むジョシュアも負けられない。198センチ、110キロの巨体ながら、ずば抜けたアスリート能力を持ち、地元ロンドン開催の五輪で金メダルを獲得してからずっとスターだった。強さに加え、どこまでもスポーツマンライクな立ち居振る舞いが人気を集める。その集客能力はけた外れだ。2017年にウラジミール・クリチコ(ウクライナ)を破って3つの世界ヘビー級ベルトを奪って以来、イギリス国内で行った6試合の観客動員は平均で8万人近くにもなる。

 そのジョシュアは、11ヵ月前のウシクとの戦いでは6万6267人の観客になにひとついいところを見せられなかった。ウクライナ人の動きについていけず、教科書どおりのジャブ、ワンツーはまるで機能しなかった。倒れこそしなかったが、ウシクの細かいパンチを浴び続け、試合終了ゴングとともに帰った自コーナーでは苦しげな表情を露骨に浮かべた。大きくあえいだまま、しばらく椅子から立ち上がれなかった。

 陣営はボクシングに向き合うチームの体制に手をつけなければ、これ以上のジョシュアはないと判断する。プロ転向以来ずっとチーフトレーナーをつとめてきたロバート・マクラッケンをアドバイザーに棚上げし、指導現場から離脱させた。昨年11月、アメリカ各地を回り、新しい指導者をオーディションした。そこで選んだトレーナーがロベルト・ガルシアだった。20人以上もの世界チャンピオンの指導に携わり、2012年には37歳の若さで全米ボクシング記者協会から年間最優秀トレーナー賞も受賞した評判の実力者である。

 ジョシュアはさっそくガルシアのアドバイスにしたがって再始動した。32歳のジョシュアに必要なのは革命的な技術変革ではないとガルシアは言う。

「ジョシュアはジェントルマンだが、リングには新しいマインドセットとゲームマンシップを持って行かなくてはいけない。対戦者に打たれても笑っているようじゃ、どうにもならない」

 余裕の演出はいらない。過ぎたスポーツマンシップも不要だ。リングという場所で持つべき最も大事なものは、むき出しの闘争心である。

「(ウシクとの第1戦は)100%の状態で臨んだ。試合前はすべてが順調だったが、より優れた選手に敗れてしまった。いいきっかけになった。今度は違う。名誉挽回といきたい」

 ジョシュアの言葉はどこまでもお行儀がいいが、心の中はわからない。新トレーナーの意図をほんとうに理解できていなければ、このボクサーに勝機はないのだ。

6月の記者会見で両者の再戦は正式に発表された
6月の記者会見で両者の再戦は正式に発表された写真:ロイター/アフロ

勝負の行方を決めるのはメンタリティにしかない

 サウジアラビアでプロボクシングの世界ヘビー級タイトルマッチが行われるのはこれが2度目。いずれもジョシュアの試合だ。2018年、アメリカ進出をかけた戦いにTKO負けを喫したアンディ・ルイス(アメリカ)との再戦となった同年暮れのイベントは砂漠の半島中央部にある首都リヤド近郊ディルイーヤ(ジョシュアの判定勝ち)、今度は紅海沿岸のジッダの3万5000人収容のドームでの開催になる。

 かつて世界で最も入国しにくい国のひとつとされたサウジアラビアだが、脱・化石燃料依存体質をテーマに、昨今、観光事業に力を入れている。注目のスポーツイベント誘致はその一環だ。今回、観客に当て込んでいるのはイギリスのファンなのだろう。彼らにはウシクへの同情はあっても、ほんとうの興味はジョシュアの勝利にしかない。

 多数の観客の願いが叶うかどうかはジョシュアの出方にかかる。ウシクとの第1戦の敗因は「最も戦いやすい距離を先にウシクに奪われてしまったから」と陣営は語る。雪辱を期すならば、最初から強烈なプレスをかけたい。ウシクを後手に回らせることができるなら、体格、体力の差をフルに活かせる。

 ウシクが望む展開はもちろん前戦のとおり。序盤にペースを奪い、ジョシュアの強打を見越して中盤戦をうまくあしらいながら戦い、終盤戦に一気に追い詰めていった。あのときの完ぺきなペースメイクを再び貫徹できれば、今回もまた技術力の違いが明白になる。精密な刺繍を縫うような極致の技巧は、戦いにだけ心を集めてこそ初めて実現できる。

 つまるところ、どちらがより勝ちたいか。そこにしか、勝負の分岐点はない。

 今後のキャリア設計のために、ジョシュアは全力をかけてくる。もちろん、ウシクにはそれ以上に深い勝利への渇望がある。

 ロシア系住民の多いクリミア半島のシンフェロポリで生まれ育った。2014年にロシアに強制的に併合された後も、郷愁に促されるままに「ウクライナとロシアは一つの民族」と発言し、猛反発の矢面に立った経験もある。その故郷の議会は、6月、ウシクのクリミアにおける名誉をすべてはく奪した。ウクライナ人のいないクリミアにもはや未練はない。それでも、いつかは自分の故郷を取り戻したい。

「戦争に勝つことに比べたら、世界チャンピオンのベルトなど何の意味もない」と言いながら、今の自分がやるべきことはたったひとつしかないと理解した。だから誓う。「必ずベルトを持ってウクライナに帰る」

 高度な技術戦への期待とともに、ウシクとジョシュアの思いの行き先を見届けたい。

ボクシングライター/スポーツコラムニスト/編集者

山口県出身。少年期からの熱烈なボクシングファン。日本エディタースクールに学んだ後、1984年にベースボール・マガジン社入社、待望のボクシング・マガジン編集部に配属される。1996年にフリーに転じ、ボクシングはもとより、バドミントン、ボウリング、アイスホッケー、柔道などで人物中心の連載を持ったほか、野球、サッカー、格闘技、夏冬のオリンピック競技とさまざまスポーツ・ジャンルで取材、執筆。2005年、嘱託としてボクシング・マガジンに復帰。編集長を経て17年、再びフリーに。

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