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村田諒太を信じたいのはなぜか。「それでも何かが起こる」ゴロフキン戦までの最終章

宮崎正博ボクシングライター/スポーツコラムニスト/編集者
2年前、村田の戦力はピークへとまっしぐらに走っていた(写真:松尾/アフロスポーツ)

 村田諒太(帝拳ジム)が、世界に名だたるゲンナディ・ゴロフキン(カザフスタン)と対する戦いは4月9日(さいたまスーパーアリーナ)に迫っている。すでにミドル級のWBA(世界ボクシング協会)世界スーパーチャンピオンになっているにしろ、まさしく真の世界一の座に挑む村田には厳しい予想が出ているが、うまく展開を作れたら勝機は応分にあるはずだ。少なくとも2年前、村田のボクシングはひとつの完成形が見えていたのだ。

新しくなった村田のボクシングを目撃した

 目をみはる出来だったのだ。ときめきさえ覚えた。2019年7月12日、大阪のエディオンアリーナ大阪で再戦するロブ・ブラント(アメリカ)との戦いを前に、東京・神楽坂の帝拳ジムで公開された村田の練習だ。動きがとにかくいい。パンチのつなぎが速い。陸上リレー用バトンを少し長めにしたようなスティックが、カルロス・リナレス・トレーナーから間断なく振り下ろされる。ガードをしっかりと固めた村田は前進しながらも、頭や上体を軽快に振ってかわしていく。さらにバトンの動きが止められた瞬間を逃さず、細かい連打をまとめ上げる。その圧倒的なテンポの速さは、少なくとも村田がプロになってからは見たことはなかった。同時に公開されたスパーリングでも、パワーアタックに手堅い守りが絶妙に織り込まれて見事なものだった。

 リターンマッチは常に先に敗者になったボクサーに対して厳しい。最高レベルに準備してきた戦力装備を、打ち壊されるわけだから深い傷を負う。ブラントとの初戦の敗北は、それまでの努力を否定された気分にもなったに違いない。だからこそ、村田は自分のボクシングを根本的に見直していた。アマチュア時代から依拠したフィジカルの強さに、多層的な攻撃のパターン、防御術を取り入れていた。まさしく、ひと皮むけたプロ仕様へと衣替えをしていたのだ。

 勝利を確信させ、さらに“ニュー・ムラタ”誕生まで予感させて、戦いはその当日を迎える。期待は裏切られることはなかった。ブラントとの再戦は想像どおりの展開を描き、劇的な結末まで一気に走り抜けた。

灼熱の猛攻劇でブラントから王座を奪回した
灼熱の猛攻劇でブラントから王座を奪回した写真:松尾/アフロスポーツ

 ゴングは叩き鳴らされる。同時に村田は対戦者に激しく迫る。対戦者に見せつけるような右の強振を織り込んだ連打で、ブラントのアウトボクシングの思惑をあっけなくも握りつぶしていく。2回、タイムリーな左フックでブラントが大きく崩れたところに追い打ちをかけ、最後は右をねじ込んでダウンを奪う。立ってきたブラントを終わりなき連打の嵐でやり込めて、レフェリーはストップをかける。どこまでもワイルドな2ラウンドは終わった。

 村田は完全に甦った。いや、以前をはるかに超えるスケールをまとってのリバースである。ブラントとのこの再戦、最強の村田が見えた。

ブランクも前向きに捉えていたい

 タイトルを取り戻した村田はその年の暮れ(12月23日)、WBO(世界ボクシング機構)の指名挑戦権を蹴って、村田の持つWBAタイトルに挑んできたスティーブン・バトラー(カナダ)を圧倒的な攻撃でTKOで粉砕して以来、リングに登場していない。その原因はパンデミックの影響による。未知のウイルスが世界に流布し始め、活動したくてもできなかったためだ。まさしく村田とその陣営が、ボクサーとしてここがピークにあると確信し、いよいよ最高舞台へのアタックを開始するときである。

 最初に計画されたのが、サウル・“カネロ”・アルバレス(メキシコ)との対戦である。ゴロフキンとの熾烈なライバル争いにきわどく勝ち残り(1勝1引き分け)、ミドル級の第一人者となっていた。人気面でも圧倒的なトップに立ち、ずば抜けた集客能力を持つ。だが、すでにスーパーミドル級への本格的な転進を視野に入れていたアルバレスとはスケジュール面で調整できなかった。

 続く標的がゴロフキンだった。アルバレスに先を行かれても、韓国の血も引くこのカザフスタン人が、いまだミドル級ワールドで最も危険な存在であることに変わりはない。だが、こちらの話も新型コロナウイルス流行のうねりの中に、試合開催の糸口はなかなか見つけ出せないでいた。カルロス・モンロー(アメリカ)という不敗の新鋭がピックアップされ、調整試合をしようと試みたが、これも流れてしまう。ゴロフキンとの対戦がやっと決定し、試合まで1ヵ月を切ってからも、また待ち時間を強いられることになる。今、ようやく、村田が挑む真実の勝負へのカウントダウンが聞こえてきたのだ。

 30代半ばのボクサーが28ヵ月のブランク。どんな影響をもたらすのか。もちろん、試合時には40歳になっているゴロフキンも最後の実戦から16ヵ月の空白があるのだが、村田は身内だけになお心配になる。その戦力の頂点へと急速に地固めをしている時期にあって、勢いを削がれていたとすればと……。

一昨年12月、その猛打が未だ健在であることを証明した
一昨年12月、その猛打が未だ健在であることを証明した写真:REX/アフロ

 村田なら大丈夫だと信じたい。アマチュアのころ、大学卒業後に1年半も競技から離れたこともある。そんな休息の時間、世界で勝ち抜くためには何をすべきかと考え抜いていたのだろう。それ以前、日本国内では無敵でも、アジア選手権3位が最高と世界的には無名に等しい存在だった。フィジカルを徹底して高め、自分自身のボクシングを練り直す時間があったから、激しい攻撃型になることで五輪の頂点にたどり着くことができた。

 今回もまた、前向きに捉えたい。2年4ヵ月の間に、村田は心身のコントロールを含め、あらゆる可能性を模索してきたはず。遅れがちだった実戦への直接的な対策も、メキシコから呼んだスパーリングパートナーを日本に4ヵ月間も滞在させて、感覚は研磨されてきているに違いない。

 グレート・ゲンナジー・ゴロフキン。略してGGG。その強打の記憶は強烈だ。実績面で村田とも大きく水をあけている。パンチをもっとも応酬しやすいミドルレンジをうまく管理するその攻防システムを、どうやって切り崩していくのか。決してたやすい作業とは思えない。「それでも何かが起こる」。汚辱を乗り越え、一歩一歩、強くなってきたボクサー、村田諒太を信じてみたい。ブラント戦後の灼熱の攻撃に、望みの一端を託したい。

 決戦まで残り2週間余。もはや、その時は間近に迫っている。

ボクシングライター/スポーツコラムニスト/編集者

山口県出身。少年期からの熱烈なボクシングファン。日本エディタースクールに学んだ後、1984年にベースボール・マガジン社入社、待望のボクシング・マガジン編集部に配属される。1996年にフリーに転じ、ボクシングはもとより、バドミントン、ボウリング、アイスホッケー、柔道などで人物中心の連載を持ったほか、野球、サッカー、格闘技、夏冬のオリンピック競技とさまざまスポーツ・ジャンルで取材、執筆。2005年、嘱託としてボクシング・マガジンに復帰。編集長を経て17年、再びフリーに。

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