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長谷川穂積ラストファイト。「自分のあるべき姿で戦った」魂の第9ラウンド

宮崎正博ボクシングライター/スポーツコラムニスト/編集者
長谷川は鋭い左ストレートで王者を追い立てていった(写真:日刊スポーツ/アフロ)

 長谷川穂積のラスト・チャレンジの日がやってきた。2016年9月16日、大阪・なんばのエディオンアリーナ大阪(大阪府立体育会館)で、WBC世界スーパーバンタム級チャンピオン、ウーゴ・ルイス(メキシコ)に挑む。35歳のチャレンジャーが、左手親指脱臼骨折の苦しみ、それを耐えきって、この日を迎えていた。その事実は彼の周辺以外には、だれも知らない。

開始ゴングまで十数秒。たまりかねて漏らした長谷川の不運

 観客は立錐の余地もないほどだった。その大多数は期待とともに、不安も抱えていたに違いない。偉大なサウスポーがその本領を見せなくなって、なんと長い月日が流れたことか。

 待ちわびた時間はやってくる。場内に流れたのはアイルランドの歌手エンヤが歌う『Once You Had Gold』。森の静寂を往くケルトの妖精を想起させる静かな曲は、長谷川がWBC世界バンタム級チャンピオンとして勝ちまくっていたころに使っていたものだ。およそ格闘とは縁遠い入場曲であるが、その後の長谷川の壮絶な戦いからふり返ったとき、壮絶な戦いを再び彩った。その後、久しく別の曲を使っていたが、本人が言う『ラスト・チャレンジ』への道連れに再びエンヤを選んだのは、いま一度、あのころの長谷川穂積を見せてやるとの静かなメッセージではなかったか。

 私はリングサイドで、漠とした思いの中で長谷川の入場を見守った。覚悟はできていた。何があっても、最後まで見届ける。しかし、決意など簡単に揺らぐ。両選手の名前がコールされ、注意のためにレフェリーが戦う両者をリング中央に呼び寄せたころ、隣の親しい記者に初めて漏らした。「長谷川、大きなけがをしているんだよね。厳しいよね」。もし、長谷川が左親指の脱臼骨折の影響で、みじめに打ちのめされたとしても、何にも知らずに「力不足」と断じてほしくはない。ひとりだけだとしても、ほかに事情を知っている仲間がほしかった。その記者に反応はなかった。別の経路から情報が入っていたのか、それともすでに試合に没頭していたのかもしれない。こちらも会話を深追いするつもりはなかった。戦いはすぐに始まるのだ。

 ゴングは鳴った。サウスポーの長谷川の動きは軽快だった。上体もよく動く。開始30秒。左ストレートがルイスのボディを捉えた。試し打ちに、まずは柔らかい腹を打ったのか。

 その後に両者の頭が激突し、チャンピオンは鼻梁から出血した。長谷川は早くもマイナス1点を科せられる。WBCには偶然のヘッドバットによって出血があった場合、出血していない選手から1点を減点するというルールがあった。つい最近になってこのルールは撤廃されたが、当時は厳格に機能していた。

 減点自体は心配していなかった。思いのほか動きもいい。再三決まるボディブローも効果的に見えた。あとはこれがどこまでもつのか。そして、ほんとうのところ、左手の具合はどうなのか。ラウンド終盤、その長谷川の左パンチが、きれいにルイスの頭部を捉える。それだけでびくっとした。「無理はするな」。私はまだ安心できていない。

快調に飛ばす。いつの間にか心配は期待へと変わった

 3ラウンド、流れははっきりと長谷川に寄ってきた。そのステップ、さらにボディワークは衰えない。とりわけ、クロスレンジに切れ込むステップインが鋭い。単発ながらも左ストレート、あるいは大きな弧を描くフックもよく打ち込んでいく。ルイスが長身から放つ力感あふれるパンチも、よく見えていた。余裕をもってブロックしている。きっちりと守備を固め、確実にクリーンヒットを拾う。万全のボクシングだった。現金なもので、あれだけ心配だった長谷川の負傷も、そのころには半ば忘れかけていた。

「長谷川、勝つよ、これ。ルイスは長谷川の動きやパンチに反応しきれていない」

 件の隣の記者にささやいた。いや、けっこう、大声ではしゃいでいたかもしれない。もはや、冷静ではなかった。

 4ラウンドが終わると、途中採点が発表される。これもWBCルールだ。4ラウンドと8ラウンドの終了後にそれまでのジャッジ3者のスコアが公表される。コールは意外にも1対2で長谷川の劣勢だった。

 何が悪かったのかわからない。あるいは攻め数が足らないと判断されたのか。流れは悪くない。ルイスの足は前になかなか出てこない。ここまでと同じく、じっくりと見守りながら、少しだけ手数を多くしたいと思った。長谷川はすぐに実行してみせた。5ラウンド、左ストレートを多用していく。そのほとんどはメキシカンの顔面をはじく程度だが、タイミングはきちんと合っている。

 7ラウンド。多くの時間帯、長い距離を守りながらも、ときにインサイドに展開して痛打を決める。右のリードブローもよく伸びる。フェイントも多彩。まっすぐなストレートパンチ、下を向いたノールックで、肩からまっすぐに打ち下ろす左のオーバーハンドブローと、攻撃にもバラエティが加わった。

 このラウンド、長谷川はバッティングで左目上をカットし、けっこう激しく出血する。最初は正当なヒッティングによるものと判断されたが、ラウンド間のビデオリプレイでバッティングでの傷と判断は変更され、ルイスから減点がとられた。このとき獲得した1ポイントのあるなしは大きい。4ラウンドまでの採点を見る限り、採点傾向は不透明だ。8ラウンドを戦い終えた後、 リングアナウンサーがコールした採点は2対1で長谷川のリード。ただし、長谷川優位とするふたりのジャッジのうち1者は2ポイント差。まだ、勝負の行方はわからない。

ピンチから一転。魂の反撃で勝利をもぎ取る

 たどり着いた9ラウンド。長谷川のボクシング史のなかでも、もっともドラマチックなラウンドではなかったか。

 ラウンド半ばまで、長谷川がステップを刻み、不用意な接触を避けながら静かに戦いを進行させる。しかし、そんな清流は白刃のような波頭ひるがえる激流へと一変する。

 ルイスの一撃の強打からだ。右パンチを見せておいて、すくい上げるような左アッパーカット。チャンピオンがこの夜、ずっと狙っていたパンチがついに炸裂した。長谷川の足が一瞬硬直する。2歩ほどたたらを踏んで、そのままロープへと後退した。強いボクサーはチャンスを逃さない。ルイスはすかさず追撃を仕掛ける。

 何とか守りきった長谷川がもう一度、ロープを背にしたときだ。ルイスがさらに攻勢を強める。猛然と左右の拳をたたきつけてきた。ここで長谷川も勝負に出た。高速回転の左右フックでやり返す。長谷川の顔面をかすめたルイスの強打も何発かあったが、長谷川のパンチはことごとくルイスの顔面を蹴散らしていた。 すると、チャンピオンは力なく後退していくではないか。その顔面は血だらけだ。長谷川の左ストレートがもう一発ヒットしたところで、ラウンドは終了した。

 長谷川の勝利ははっきりと見えた。あとはどんな決着をつけるか、だ。だが、10ラウンド開始を告げるゴングが鳴っても、ルイスは赤コーナーから出てこない。棄権だった。すでにチャンピオンの意思を確認していたパナマ人レフェリーのエクトール・アフーは長谷川をコーナーから呼び出すと、その手を上げた。

 エディオンアリーナ大阪の観客は、当然ながら総立ちになった。長谷川ももちろん喜びを体で表した。ただ、それもひとときだった。ほどなくその表情は、どこか冷めていた。

 勝因はいくつもあった。序盤から決めたボディブローが効果的だった。守備に重点を置いた立ち回りが、ルイスの焦りを誘った。たび重なるバッティングに互いに流血しながらも、長谷川の心はめげなかった。そして、なんといっても9ラウンド、連打を打ち込むルイスを真っ向から受けて立ち、逆に打ち勝った。追いかけても届かない。打ち込んでいっても、痛烈なしっぺ返しを食らう。ルイスは戦意を失った。

 ただし、長谷川にとっては、そんなことは成り行きの産物に過ぎなかった。

「自分のあるべき姿で戦って、当たり前に勝っただけのこと」

 勝利から少し日時が経ってから、長谷川に話を聞いた。ルイス戦の45日前の左手の負傷については、多くは語らなかった。あったはずの苦悩や迷い、身に降りかかった災禍への恨みなど、ほとんど口にはしなかった。

「全治2ヵ月と診断されましたけど、10日前に痛みはなくなりました。控室でアップを始めたときに、けがのことはすべて忘れました。もし、痛んだとしても、右手だけで戦えますからね」

 試合直後、進退を明らかにしなかった長谷川は12月9日、現役からの引退を表明している。

「心と体が一致したらだれにも負けない。それが証明できたから、もう戦う理由がありません」

 チャンピオンのまま引退する。ボクサーとしての最高の幸せだ。ただし、長谷川穂積の場合はまさしく『傷だらけの栄光』。古いボクシング映画のタイトルそのままに、厳しすぎる苦難の果ての結実だった。

ボクシングライター/スポーツコラムニスト/編集者

山口県出身。少年期からの熱烈なボクシングファン。日本エディタースクールに学んだ後、1984年にベースボール・マガジン社入社、待望のボクシング・マガジン編集部に配属される。1996年にフリーに転じ、ボクシングはもとより、バドミントン、ボウリング、アイスホッケー、柔道などで人物中心の連載を持ったほか、野球、サッカー、格闘技、夏冬のオリンピック競技とさまざまスポーツ・ジャンルで取材、執筆。2005年、嘱託としてボクシング・マガジンに復帰。編集長を経て17年、再びフリーに。

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