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首里城の復元と焼失 人々の心の底に馴染んでいった沖縄独自の歴史と誇り

宮本聖二立教大学 特任教授 / 日本ファクトチェックセンター副編集長
1992年に復元された首里城正殿 火災の二週間前に筆者の長女が撮影

焼け落ちた首里城

 大学院のゼミ合宿で学生とともに11月初め沖縄を訪ねた。直前に首里城で火災があり、正殿をはじめとする多くの建造物が焼け落ちていた。その首里城を訪ねてみたが、まだ現場検証が続いていて守礼門を抜けた歓会門までしか行くことができなかった。

通常なら観光客であふれている場所なのだが、時間が早かったこともあって警備員以外誰もいなかった。いずれにしても私にとっても、首里城が焼け落ちたことは大きなショックであった。

焼失前は歓会門の向こうに正殿がそびえていた(筆者撮影 11月7日)
焼失前は歓会門の向こうに正殿がそびえていた(筆者撮影 11月7日)

というのも私は1990年から94年まで首里城真うらの首里金城町に住んでいた。NHK沖縄放送局のディレクターとして首里城復元の記録を映像で残すためにしばしば建設現場に入って撮影もしていたのだ。

また、私生活でも当時幼稚園に上がる前だった長女を連れて首里城前の芝生広場に散歩によく出かけたものだった。この広場は娘のお気に入りで休日は早朝からせがまれて散歩に行った。

首里城脇の高い石垣の脇を歩くと、時にマングースが前足をあげてすっくと立っているのに出会うこともあった。首里城公園に入ってなだらかな芝生を登っていくと朱塗りの正殿が屋根から徐々に見えてくる。

壮大で気品があり、また唐風と和風が絶妙に組み合わされながら、琉球独自の世界を表している。国内のどんな歴史的建造物にもないユニークさだ。

五度目の焼失

 14世紀にこの地に御城(「うぐしく」、尊敬と親しみを込めて沖縄の人々はこう呼ぶ)が作られて以来戦乱などで何度も焼失している。1945年の沖縄戦では、地下に大規模な日本軍(皮肉なことに沖縄守備軍と称した)の司令部壕が作られたために尋常ではない艦砲射撃と空襲が行われて跡形もなく吹き飛んでしまった。

1609年の薩摩の琉球への侵攻、1879年の日本政府の武力による王国を廃した上での沖縄県の設置(琉球処分)、急速な同化政策とその末に起きた沖縄戦、米軍政府・民政府による占領統治、そして復帰。

沖縄は日本のどの地域とも異なる歴史を歩んだ。前回の復元を強く望んだ人々は、大国に翻弄され続けてきた歴史の上に新たな未来を築くことと首里城の再興を重ね合わせた。

沖縄戦で瓦礫と化した首里城 地下に長大な日本軍の司令部壕が作られていた(米軍撮影)
沖縄戦で瓦礫と化した首里城 地下に長大な日本軍の司令部壕が作られていた(米軍撮影)

27年前の復元、そして焼失した御城

 首里に住んでいる時に町内会の役員をつとめたのだが、その時の町内会長は上江洲安英さんという方で、「首里城復元期成会」の副会長をつとめていた。

上江洲さんは、かつて鉄血勤皇隊(師範学校男子部と県立一中の生徒で組織された学徒隊)の千早隊の通信兵として沖縄戦では砲爆撃下戦場を駆け巡る任務で多くの同級生を亡くした。この鉄血勤皇隊も首里城の真下の壕を拠点としていたので、撤退時に焼け落ちるのを目の当たりにしたのだ。その後の復興、米軍政、復帰という沖縄激動の時代を体験したがゆえに、上江洲さんは、首里城の復元は何としても実現したい夢なのだと語ってくれたことを覚えている。今回、上江洲さんにお会いすることはなかったのだが、自身の人生で二度目の焼失に深く心を痛めているのではないだろうか。

 今回、沖縄で会った旧友たちは皆同じような反応を示した。「首里城焼けてしまいましたね」という私に対して、「そうよー…」と、そのあとの言葉が続かなかった。

首里城正殿内部 琉球王の玉座と王の権威を象徴する龍柱(筆者の長女による撮影)
首里城正殿内部 琉球王の玉座と王の権威を象徴する龍柱(筆者の長女による撮影)

復元から再建へ

 92年に復元された時のことを思い起こしてみる。私自身、肌身で人々の反応を受け止めた記憶がある。沖縄でも多くの人は出来上がるまでは、首里城の持つ意味というか感覚を持ち得ていなかったのではないかと思っている。

戦前に首里に住んでいた年配の人以外は首里城についての記憶がないのだからそれも当然だったろう。

そして復元された正殿を実際に目の当たりにした時そのあまりの壮麗さに驚愕したと同時に戸惑いもあったような気がする。

かつての琉球王国が、中国から東南アジアを駆け巡った交易国家であったということは知っていても、そのことを正殿の姿で初めて感覚として掴み取ったということだったのではないだろうか。

一方で、当初はその真新しいきらめきに映画のセットのようだという人もいた。

しかし、復元から20年あまりの時間経過で人々の心の底に馴染んでいき、首里城の存在と沖縄独自の歴史と誇りとを合わせていくことができたのだと思う。

 27年前に復元された首里城は焼けてしまった。今度は再建である。実際に見たことのない城を復元するのではない。

沖縄の人々は、今度は自分たちの心のうちの首里城を蘇らせることに気持ちを合わせて取り組まれることだろう。

立教大学 特任教授 / 日本ファクトチェックセンター副編集長

早稲田大学法学部卒業後NHK入社 沖縄放送局で沖縄戦や基地問題のドキュメンタリーなどを制作。アジアセンター、報道局チーフプロデューサーをへて、「戦争証言プロジェクト」・「東日本大震災証言プロジェクト」編集責任者として番組とデジタルアーカイブを連携させる取り組みで、第37回、39回の放送文化基金賞受賞。その後、Yahoo!ニュースプロデューサーとして全国の戦争体験を収集する「未来に残す戦争の記憶」の制作にあたる。2023年から日本ファクトチェックセンター副編集長として、ファクトチェックとリテラシー教育に取り組む。立教大学大学院 特任教授 デジタルアーカイブ学会理事 及び 地域アーカイブ部会会長

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