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井上尚弥に最後に勝った男は今? カザフ人ボクサーが語るモンスターとの遭遇

三浦勝夫ボクシング・ビート米国通信員
アマチュア時代の井上尚弥。沖縄総体から(写真:アフロスポーツ)

アマチュア最終戦の敗北

 向かうところ敵なしの井上尚弥(大橋=WBAスーパー・WBC・IBF世界バンタム級統一王者)が最後に負けたのは2012年4月12日までさかのぼる。中央アジア、カザフスタンの首都アスタナ(現ヌルスルタン)で開催されたロンドン五輪予選選考会を兼ねたアジア選手権のライトフライ級決勝のことだった。相手はビルジャン・ジャキポフ(カザフスタン)。16-11のポイント(判定)負け。18歳になったばかりの井上は五輪出場の夢を断たれた。これがアマチュア最終戦となり、同年10月プロデビューを果たす。

 井上より9歳年長のジャキポフ氏は今、38歳。井上を破り晴れてロンドン大会に出場し、初戦でジェレミー・バクー(フランス)、続いてマーク・アンソニー・バリガ(フィリピン)を下した。ちなみにバリガは今年6月、WBO世界ライトフライ級王者ジョナサン・ゴンサレス(プエルトリコ)に挑戦し判定負けした選手。ベスト8に駒を進めたジャキポフだが、金メダリストのゾウ・シミン(中国)にポイント負けでメダルに届かなかった。最初に出場した2008年の北京五輪でも同じく準々決勝でゾウに敗れている。

 プロのリングに活躍の場を求めた井上に対してアマチュアのキャリアを続行したジャキポフ氏は2016年のリオデジャネイロ五輪代表の座も勝ち取る。本番では初戦を飾ったものの、2回戦で金メダルを獲得したハッサンボーイ・ドスマトフ(ウズベキスタン)にポイント負け。これがキャリア最後の試合となり、記録サイトのボックスレクによると、75戦57勝1KO18敗1KOのレコードを残している。

 オリンピック連続3度出場のほかにもジャキポフ氏は05年に中国・綿陽で開催された世界選手権銅メダル、13年に自国アルマトイで行われた世界選手権で金メダルに輝く(クラスはライトフライ級)など八面六臂の活躍。サウスポーの技巧派は一時、カザフスタンのアマチュア選手で、パウンド・フォー・パウンド・ナンバーワンに認定されたこともある。

アマチュア屈指の名選手だったジャキポフ氏(写真:kfb.kz)
アマチュア屈指の名選手だったジャキポフ氏(写真:kfb.kz)

指導者として要職に就く

 そのジャキポフ氏は現在どうしているのか?カザフスタンのメディア、「スポーツ・ドットコム・kz」のアレクサンドル・ストレルニコフ記者を通じて近況を調べてみた。

 グローブを脱いだジャキポフ氏はカザフスタン第3の都市シムケントにあるボクシング・スクールの副校長に就任し第二の人生をスタートさせた。そして今は校長に昇格。同時に軍人でもあるジャキポフ氏はカザフスタン共和国空軍の大尉の地位にある。そのため軍隊のセントラル・スポーツクラブで、ボクシングチームのトップを務めている。また2021年からはプロ試合のレフェリー、ジャッジとしても活躍しているそうだ。

 カザフスタンには“GGG”ことゲンナジー・ゴロフキンを筆頭にWBO世界ミドル級王者に昇格したジェニベク・アリムハヌリなどプロのリングで成功している選手が少なくない。ジャキポフ氏がプロに転向しなかった理由は引退後の生活が保証されていたこととアマチュアで十分に戦い抜いた満足感があったからだと推察される。

イノウエは真のスターになった

 すっかり落ち着いた暮らしを送っている様子のジャキポフ氏。ストレルニコフ記者を経由して井上と対戦した印象を聞いてみた。

 「私はアマチュアからプロフェッショナルに転向し、好結果を残しているボクサーと再三、グローブを交えている。そのような選手はたくさんいて、私はイギリス人やパキスタン人のことを想い出す。もちろん日本人のイノウエも印象に残っている。彼はプロのボクシングでスターの座に就いた。対戦相手をクラッシュし、みんなをノックダウンさせる。彼は本当のスターだ」

 同氏は続ける。「彼を初めて見たのは2011年にアゼルバイジャンのバクーで行われた世界選手権の時だった。彼の試合を見ながら、このヤングガイは未来のライバルとして興味深い選手になると思った。そのワールドカップ(世界選手権)を通じて私も彼もオリンピックのチケットを手にできなかったけど翌年、我々は予選選考会で対戦する。準決勝でイノウエは才能に恵まれたユース世界選手権優勝のタジキスタン人(注:アスロル・ボキドフ)に勝ち、私はその後リオデジャネイロオリンピックで金メダルを獲得したウズベキスタン人(注:シャオビディン・ソイロフ)に勝って決勝に進んだ」

重圧に耐え井上を振り切る

 その井上とのファイナル。ホームアドバンテージがあるジャキポフ氏だが、逆に重圧を感じたという。

 「イノウエ戦は大きな責任を感じていた。なぜならホームだから絶対に勝たなければならないし、経験で勝る私は負けられないプレッシャーを背負っていた。ライセンス(五輪出場)は一つだけだ。試合は3ラウンズのアマチュアルール。1、2ラウンドは私がアタックを仕掛けポイントを獲った。しかし3ラウンド、私は疲れた。試合前、急激にウエートを落としたため、私は体調が悪かった。発熱し弱っていた。だから3ラウンドはイノウエに獲られた。私は体力が低下していた。フットワークを使い、動き回ることに徹した。それでも私は試合に勝った。あえて難しいファイトだったとは言わない。でも相手は若く、パワーと勢いが感じられた。彼は自信満々、前進してきた。こちらは常に彼を出し抜こうと思い、痛めつけるチャンスを狙っていた」

グッドラック!

 結果は2ラウンドまでの展開が影響しジャキポフ氏の手が上がった。それまでのキャリアを生かして勝利を引きつけた印象が濃い。元アマチュアエリートの目に後のモンスターはどう映ったのだろうか。

 「あの試合に勝った後、日本人(井上)のことは長い間、知ることがなかった。彼がすぐプロ入りし、結果を出しているとわかるのはしばらく経ってのことだった。イノウエはユニークな存在だね。プロのボクシングでバンタム級は世界的に特別ポピュラーなクラスではない。でもそれは彼のせいではない。日本でイノウエが非常に人気が高いことは知っている。今後あなた方のモンスターが世界を席巻すると思う」

 「あなたが育てた選手が将来、井上に挑戦することもあるのでは?」と聞いたが、ジャキポフ氏から明白な返事は聞き出せなかった。それが今の井上の盤石さを象徴するように思える。その代わり、「イノウエよ、いつまでも健康で。グッドラック!」とエールを送っている。

現在のジャキポフ氏。カザフスタンのボクシング躍進に貢献する(写真:kfb.kz)
現在のジャキポフ氏。カザフスタンのボクシング躍進に貢献する(写真:kfb.kz)

ボクシング・ビート米国通信員

岩手県奥州市出身。近所にアマチュアの名将、佐々木達彦氏が住んでいたためボクシングの魅力と凄さにハマる。上京後、学生時代から外国人の草サッカーチーム「スペインクラブ」でプレー。81年メキシコへ渡り現地レポートをボクシング・ビートの前身ワールドボクシングへ寄稿。90年代に入り拠点を米国カリフォルニアへ移し、フロイド・メイウェザー、ロイ・ジョーンズなどを取材。メジャーリーグもペドロ・マルティネス、アルバート・プホルスら主にラテン系選手をスポーツ紙向けにインタビュー。好物はカツ丼。愛読書は佐伯泰英氏の現代もの。

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