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薬物問題、疑惑の判定、誤審を陳謝…ボクシングの世界戦でいったい何が?

三浦勝夫ボクシング・ビート米国通信員
バルデスvsコンセイサン(写真:Mikey Williams/Top Rank)

悪夢のホームカミング

 今年2月20日、ラスベガスMGMグランド・カンファレンスセンターでWBCスーパーフェザー級王者ミゲル・ベルチェルト(メキシコ)に挑戦。一世一代のパフォーマンスを披露し、スペクタクルな10回KO勝ちでフェザー級に続き2階級制覇に成功したオスカル・バルデス(メキシコ)。予想不利を覆しての戴冠、試合内容から一躍、スターへの階段を駆け上がった気がした。

 10日(日本時間11日)少年時代から育った米国アリゾナ州ツーソンにセットされたロブソン・コンセイサン(ブラジル)との初防衛戦は、はた目には勝利が約束された“ホームカミング”の印象が強かった。試合チケットは発売後まもなく完売になる人気。コンセイサンは自国開催のリオデジャネイロ五輪金メダリストの実績があるが、ベルチェルト戦で加速したバルデスの勢いには敵わないと思われた。

 ところが試合まで10日に迫った時点で暗雲が立ち込める。WBCから選手の薬物検査を任されているVADA(ボランティア・アンチドーピング協会。マーガレット・グッドマン会長=ラスベガスの元リング・ドクター)の検査で違反物質がバルデスから検出されたのだ。当初、見つかったのは「利尿剤」と伝えられ、ボクサーに付き物の減量用だと憶測された。この時点で、利尿剤自体の使用は許可されているが、それによって意識的に違反物質を排せつする行為が問題になるという情報が流れた。バルデス側はBサンプル(2次検体)検査をVADAに依頼した。

 後でチェックしてわかったことだが、利尿剤と言ったのはバルデス本人か周辺の関係者らしく、VADAは禁止薬物リストに明記されている「フェンテルミン」が検出されたと断定している。ウィキペディアで調べるとフェンテルミンは肥満症の治療薬、食欲抑制効果、減量効果などの効用がある。ボクシングで問題となるのは3番目だろう。

 Bサンプル検査結果は9月2日に発表され、事態を悪化させた。Aサンプル同様フェンテルミンが見つかり、加えて中枢神経系を刺激するパフォーマンス高揚効果がある興奮剤も陽性反応を示したのだ。2度の検査結果は試合中止、タイトルはく奪の危機に直面するものだった。

メキシカンに甘いWBC

 メキシカンのドーピング違反といえば、現在実力、人気ともトップボクサーと認知されるスーパーミドル級3団体統一王者サウル“カネロ”アルバレスと悪童ルイス・ネリのケースが思い出される。いずれもメキシコで食べた牛肉に問題の物質が混入されていたと言い訳した。いまだにその真偽は謎だが、2人ともWBCから6ヵ月間のサスペンド処分を食らっている。しかし今回バルデスは全くお咎めなし。試合は支障なくゴングが鳴らされた。

 ボクシングのタイトルを認定する主要4団体の中で、他団体を圧倒する規模と組織を誇るWBCは「クリーン・ボクシング・プログラム」を標榜し、ドーピング違反に真摯な姿勢で取り組んでいる。しかし今回のバルデスのケースを取り上げると、必ずしもそうではないと指摘せざるを得ない。

 カネロやネリの時もそうだったが、メキシコに本部があるWBCは同国ボクサーに対して甘い、ゆるいところがある。またバルデスは今後WBCの顔となる可能性がある選手だけにスキャンダルは回避したいという思惑が働いたのかもしれない。バルデス人気でイベントが盛り上がることも中止を避けたかった理由に違いない。それと、もし試合がラスベガスを管轄するネバダ州アスレチック・コミッションに代表される影響力の強いコミッションが管理していればWBCは口出しはできなかったと思われる。

 結局、WBCと地元コミッションが試合にゴーサインを出した理由はWADA(世界アンチドーピング機関)の規定で興奮剤は「試合中」の使用のみ禁止という滑稽なものだった。VADAの法規を基準にするWBCが対抗するWADAの要綱を持ち出すところがあまりにも不自然だ。「取ってつけたような理由」と言われても反論できまい。

飛ばすコンセイサンに苦戦

 そうして開始ゴングにこぎ着けた一戦、前半バルデスは苦戦を強いられた。これはバルデス本人の責任よりも相手のコンセイサンの出来が抜群によかったせいだろう。左ジャブ、右ストレートとシンプルな攻撃ながら身長とリーチの有利さを活かしてバルデスをアウトボクシングでリードする。

 バルデスにエンジンがかかるのは6ラウンド。持ち前のアグレッシブさを前面に巻き返しを図る。9回、クリンチ際でコンセイサンはラビットパンチ(後頭部への攻撃)の反則で減点1を科される。事前の注意はなく、ごく軽いパンチに見えた。その後バルデスも同じパンチを繰り出す場面があったが、レフェリーは注意するだけ。このレフェリングは不公平だったという見方がされる。

 終盤も攻撃的な姿勢を貫くもののバルデスは顔面が腫れ、最後までコンセイサンを捕まえることができず終了。スコアカードは117-110に115-112が2者の3-0でバルデスが初防衛に成功した。しかしコンピュータ集計でトータルパンチ(141対83)、パワーパンチ(103対64)ともヒット数でコンセイサンが勝ったことも影響し、判定に対する疑惑が充満することになった。コンセイサンが勝ったと断言するメディアも少なくない。

ジャッジが誤審を認める

 その風潮の中で7点差をつけたジャッジ、スティーブン・ブレア氏が試合3日後、WBCのホームページ上で公開レターを発表した。「117-110でバルデスの勝ちとした私のスコアはリングのアクションを正確に表していなかった」と“誤審”を認めた。さらにブレア氏は「拮抗した2つのラウンドをバルデスに与えてしまったのがミステイクだった。それはバルデスへの声援のボリュームが大きかったこととテレビクルーのカメラマンによって視界が遮られたことが影響した。それで一般的にコンセイサンが優勢と見られた最初の4ラウンドのうち3ラウンドをバルデスに与えてしまった」と明かしている。

 それでも同氏は115-112ないし114-113でバルデスの勝利だと記す。そして「今後は所属するNABF(北米ボクシング連盟)やWBCのトレーニング・プログラムを受講し直し、そのプロセスを終えるまで世界タイトルマッチのジャッジは務めない」と宣言。オフィシャルが陳謝する異例の声明。何と正直な人だと感心してしまうが、薬物問題でバルデス同様、批判の矢面に立たされたWBCが気を利かせてファンやメディアに先手を打ったとも勘ぐりたくなる。考え過ぎだろうか。

「シー」に込められた意味とは?

 一方、スコアカードに泣いたコンセイサン(16勝8KO1敗=32歳)側はマネジャーのセルジオ・バタレリがWBC宛に抗議文を提出。ダイレクトリマッチの実現とコンセイサンをランキング1位に据えるよう要求している。同マネジャーは「これはフェアではない。ジョーク以外の何物でもない。ブラジルではこの件でメディアが持ち切りだ。もし違反した選手に処分が科されないのなら、どうして薬物検査が必要なのだろう」と語気を荒げる。

 ひとまずリング外とリング内で難関を突破したバルデス(30勝23KO無敗=30歳)は10月23日アトランタで行われるWBOスーパーフェザー級王者ジャメル・へリング(米)vs同級暫定王者シャクール・スティーブンソン(米)の勝者との統一戦を希望している。おそらく再度、薬物検査で引っかからない限り、この問題は葬り去られるだろう。だが今後対決が待たれるスター候補のスティーブンソン(24歳)はバルデスのスキャンダルを「不正行為」と決めつけ痛烈に批判している。

 スティーブンソンはベルチェルト戦のパフォーマンスに言及。「明らかにそれまでの試合と異なるパワーが感じられた」とバルデスを評している。もちろん、その時の薬物検査でバルデスはシロだった。しかし何かが違っていたとほのめかす。そう言えばベルチェルトを倒して勝利を喜ぶバルデスはカメラに向け口元に人差し指を立て「シー」のポーズをとっている。今回の醜聞を暗示しているように思えるのだが……。

ベルチェルト戦のバルデス。このポーズは何の意味?(Mikey Williams/Top Rank)
ベルチェルト戦のバルデス。このポーズは何の意味?(Mikey Williams/Top Rank)

ボクシング・ビート米国通信員

岩手県奥州市出身。近所にアマチュアの名将、佐々木達彦氏が住んでいたためボクシングの魅力と凄さにハマる。上京後、学生時代から外国人の草サッカーチーム「スペインクラブ」でプレー。81年メキシコへ渡り現地レポートをボクシング・ビートの前身ワールドボクシングへ寄稿。90年代に入り拠点を米国カリフォルニアへ移し、フロイド・メイウェザー、ロイ・ジョーンズなどを取材。メジャーリーグもペドロ・マルティネス、アルバート・プホルスら主にラテン系選手をスポーツ紙向けにインタビュー。好物はカツ丼。愛読書は佐伯泰英氏の現代もの。

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