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パッキアオに勝った男はリゴンドウにあらず。殊勲のキューバ人があげたもう一つの勝利とは

三浦勝夫ボクシング・ビート米国通信員
ウガス-パッキアオ(写真:Sean M. Ham/TGBプロモーションズ)

報酬は25対1

 8月21日、ラスベガスのT-モバイル・アリーナ。コロナ・パンデミック後、久々に「ボクシングの首都」に満員のファンを集めて開催されたイベントで番狂わせが起こった。王者ながら不利を予想されたヨルデニス・ウガス(キューバ)が主役の元6階級制覇王者マニー・パッキアオ(フィリピン)に3-0判定勝ち。WBAウェルター級スーパー王座を防衛した。

 公式スコアは2ジャッジが116-112、もう一人は115-113でウガスが支持された。米国メディアの多くは116-112が妥当と伝えている。現場で取材した感想ではもっと差がついても不思議ではなかったと思う。一方で米国の著名メディアから昨年フリーに転身した名物記者がパッキアオの勝利(115-113)と主張。そのツイートに対しファンが痛烈な批判を浴びせていることがウガスの勝利の正当性を印象づける。

 ビッグネーム、パッキアオを降したウガスは試合の11日前にIBF・WBC統一ウェルター級王者エロール・スペンスJr(米)の網膜裂孔による離脱で急きょ相手に抜擢された。WBO同級王者テレンス・クロフォード(米)とともにウェルター級最強と位置づけられるスペンスJrに比べ、知名度と実力で後塵を拝するウガスだけに、もしかしたら会場は空席が目立つのではないかと推測された。しかしそれは杞憂に終わった。アリーナは上段スタンドの一部が仕切られていたものの、他の席は観衆でぎっしり埋まった。発表で17,438人。改めてパッキアオ人気を痛感させられた。

 確かにスーパースター、パッキアオ無くして成り立たないイベントだった。試合2日後スペイン語テレビ「ウニビシオン」が伝えたニュースで、ウガスのファイトマネーは100万ドル(約1億1000万円)、パッキアオは25倍の2500万ドル(約27億5000万円)と両者には歴然とした差があった。それでも今回ウガスが得たものは限りなく大きい。

 まず、眼疾の回復を待ってのことになるが、スペンスJrとの統一戦がクローズアップされる。2人は同じプロモーションのPBC(プレミア・ボクシング・チャンピオンズ)に所属している。このカードはスペンスJrが自動車事故から復帰するにあたり話題に上った。しかしスペンスJrにとりウガスは魅力的な相手に映らず、交渉は進展しなかった。だがパッキアオに快勝したキューバ人は商品価値が急騰。予期せぬパッキアオの敗北でビッグマッチ実現の思惑が外れたスペンスJrはさぞや不満と思いきや、「よくやったぞ!」と自身のSNSでウガスを祝福。一躍スペンスJr-ウガスはメディアお勧めカードへ昇華している。

次はスペンス?それとも……

 さて、全17階級でもっとも実力者が揃い人気が高いといわれるウェルター級でパッキアオが果たした役割は大きい。試合後のコメントで現役引退を示唆したパッキアオの後継者争いが注目される。伏兵だったウガスが颯爽とメインキャストの一人にのし上がった。すでに35歳のウガスは自ら切り拓いたチャンスを生かして勝負を急ぐかもしれない。

 スペンスJrとともに話題になるのはスペンスとの激闘の末、統一戦で無冠となった前WBC王者ショーン・ポーター(米)だ。ウガスは2019年3月、ポーターに挑戦。2-1判定負けで王座獲得は成らなかった。スコアは115-113、116-112(ポーター)、117-111(ウガス)。とはいえ「今回のパッキアオ戦に類似する内容でウガスが優勢だった」と見る意見もあり、キューバ人の善戦が目立った。そこでポーターとの因縁の再戦というオプションもウガスには出てきた。

 もっともポーターにはクロフォードの指名挑戦者としてWBOが対戦を通達している。交渉が成立しなかったため、9月2日に入札が行われる運びとなっている。クロフォードvsポーターが締結すれば、ウガスvsポーターは消滅するが、ウガスには2年前パッキアオに王座を追われた前WBAウェルター級スーパー王者キース・サーマン(米)、現WBA同級レギュラー王者ジャマル・ジェームス(米)、WBA1位で無敗のエイマンタス・スタニオニス(リトアニア)と対戦候補が目白押し。この中で、チャンピオン乱立が批判されるWBAがようやく王者減少に着手し始めたことでジェームスとの対戦が具体化するかもしれない。ウガスは16年8月、ジェームスに10回戦で判定勝ちしており、実現すれば再戦となる。

先生サラス・トレーナー

 以前紹介したように豊富なアマチュア歴を持つウガスはそのジェームスとの一戦まで15勝7KO3敗とプロでは厳しいキャリアを送っていた。彼のキャリアを再構築したのは同じキューバ人のイスマエル・サラス・トレーナー。以前、同氏に師事した元3階級制覇王者ホルヘ・リナレス(帝拳=ベネズエラ)が「彼は本当の先生」と筆者に明かしたことでもサラス氏の指導力が計り知れる。(以下に関連記事)

 そのサラス氏と綿密な作戦を立てて臨んだ今回のパッキアオ戦。勝利といっしょに評価を高めたのは、その左ジャブ、右強打を基調にした堂々とした戦いぶりだ。1週間前、同胞のギジェルモ・リゴンドウがあまりにも消極的な試合運びでファンを呆れさせたこととは一線を画すパフォーマンスを披露した。敗れたもののレジェンド、パッキアオの過去の功績を称える記事が多いなか、もっとウガスにスポットライトが当たってもいいのではないかと思えてしまう。

キューバ・リブレ

 同時に試合前ウガスは「私はリングの中のペレアドール(ファイター)であるだけでなく、人々の自由のために戦っている。そちらの方がより重要だ」とアピール。「独裁政権に苦しむキューバの民衆の権利と戦うペレアドールだ」と力を込めた。

 キューバでは7月11日に全国規模で反政府デモが発生。海外メディアにもその様子が映し出された。その後、鎮静化したが政府機関によるデモの弾圧で逮捕されたり拘束されたりした市民が少なくない。ウガスは「クーバ・リブレ(キューバに自由を)。政治犯で刑務所にいる者、7月11日の件で刑務所にいる者全員にこの試合をささげたい」と発言。シューズのかかとの部分には「CUBA SOS」と記されてあった。

 2010年にメキシコ経由で米国に亡命したウガスだが、その前にも何度かトライしていたという。発覚すれば刑務所入りや強制労働が待っていた。ウガスのアメリカンドリームはひとまず結実したが、自由を求める戦いは続く。彼の訴えがどれだけ効果を及ぼすかはわからない。だが相手がパッキアオだったことで士気の高揚は明らかだった。彼の勇姿が国民を鼓舞したことは間違いないようだ。

勝利後パッキアオに敬意を表したウガス(写真:Sean Michael Ham / TGB Promotions)
勝利後パッキアオに敬意を表したウガス(写真:Sean Michael Ham / TGB Promotions)

ボクシング・ビート米国通信員

岩手県奥州市出身。近所にアマチュアの名将、佐々木達彦氏が住んでいたためボクシングの魅力と凄さにハマる。上京後、学生時代から外国人の草サッカーチーム「スペインクラブ」でプレー。81年メキシコへ渡り現地レポートをボクシング・ビートの前身ワールドボクシングへ寄稿。90年代に入り拠点を米国カリフォルニアへ移し、フロイド・メイウェザー、ロイ・ジョーンズなどを取材。メジャーリーグもペドロ・マルティネス、アルバート・プホルスら主にラテン系選手をスポーツ紙向けにインタビュー。好物はカツ丼。愛読書は佐伯泰英氏の現代もの。

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