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辰吉丈一郎との名勝負から24年。今も戦い続ける「タイの貴公子」の壮絶な半生

三浦勝夫ボクシング・ビート米国通信員
大阪で行われたシリモンコンvs辰吉戦(写真:アフロ)

24年前の辰吉との激闘

 WBCスーパーバンタム級王者ダニエル・サラゴサ(メキシコ)に連敗した辰吉丈一郎がウエートをバンタム級に戻して挑んだチャンピオンがタイのシリモンコン・シンワンチャー(辰吉戦の時はナコンパークビュー。現在はラムスアムとも呼ばれる)だった。1997年11月、大阪城ホールで行われた試合は激闘になり、5回にダウンを奪った辰吉がシリモンコンの反撃に耐え、7回、ボディー打ちで倒しストップに持ち込んだ。当時20歳のシリモンコンはWBCバンタム級王座の4度目の防衛に失敗した。

 プロ17戦目で初黒星。崖っぷちに立たされた辰吉の執念、底力に屈したシリモンコンだが、翌98年5月に復帰すると頻繁にリングに上がり21連勝。辰吉戦から5年後の2002年8月、両国国技館で空位のWBCスーパーフェザー級王座を長嶋健吾と争い2回KO勝ち。2階級越えで2階級制覇を成し遂げた。初防衛戦で元WBAスーパーフェザー級王者崔龍洙(韓国)を後楽園ホールで下したシリモンコンは2度目の防衛戦でヘスス・チャベス(メキシコ)の挑戦を受けた。

 2003年8月、米テキサス州オースティンで行われたシリモンコンvsチャベスを筆者は取材した。結果は地元のチャベスが3-0判定勝ち。チャベスがかける圧力にシリモンコンは後手に回るシーンが目立った。印象に残っているのは前座カードが進行中シリモンコンが気さくにファンと接し写真撮影に応じている姿だった。

衝撃の逮捕事件

 そんな親しみやすい、一時は「タイの貴公子」とも呼ばれた華のある人気選手だったシリモンコン。だがタイの事情に詳しいある日本人関係者は「彼は根っからの遊び人だからな」とその前途に警鐘を鳴らしていた。そんな矢先、シリモンコンがニュースで大きく取り上げられた。2009年8月のことだった。

 タイの観光地パタヤ近郊で麻薬取締官にドラッグの運び屋容疑で逮捕される――というショッキングなもの。報道では組織に雇われて密売に関わり、本人も常用していたと伝えられた。

 この時シリモンコンは32歳。チャベスに2敗目を喫した後20連勝中。WBA傘下の地域タイトルのスーパーライト級王者にも就き、08年11月にはラスベガスのMGMグランド・ガーデン・アリーナのリングも踏んだ。しかし本人は生活苦が犯罪にはしらせた原因だと自供している。

 タイは麻薬犯罪に厳罰を科すことで有名。20年の実刑判決を下されたシリモンコンはキャリア存続の危機に立たされた。それでも「捨てる神あれば拾う神あり」。逮捕から2年も経過しない2011年4月、リング復帰が叶う。といっても収監されていた中央青年犯罪者更生センター敷地内で開催された試合だが、3回KO勝ちを飾った。これは収監中の生活態度の良さや過去のリングの実績が評価され、模範囚として当局から許可が下ったもの。シリモンコン自身も他の受刑者にボクシングをコーチし印象を良くしたらしい。

模範囚として出所が実現

 その後も収容所と試合会場を往復しながらリングに立ち、またしても連戦連勝。12年11月にはWBCアジア評議会(通称ABCО)コンチネンタル・ウェルター級王者に就く。同時に家族やボクシング関係者たちの減刑陳情が実を結び、13年8月、晴れて出所が実現した。

 この2013年に9度もリングに登場し、14年にも6試合行い精力的に活動する。翌15年4月にはWBOアジアパシフィック・スーパーウェルター級王者に就いたシリモンコンはタイでは比較的珍しく人材難の「重量級」として存在感を増して行く。

 それでもこのあたりが増量の限界かと思われた。ところが2017年2月シンガポールでシリモンコンはABCОミドル級王者アジズベック・アブドゥガフロフ(ウズベキスタン)に挑戦する。さすがにこれは荷が重く3-0判定負けに終わるが、チャベス戦からシリモンコンが48連勝32KOをマークしていたことには驚くほかない。

 さらに驚かされるのは18年9月、パトゥムタニで行ったキャリア100戦目で、ライトヘビー級に到達したことだ。モハメド・ヌスブカ(ウガンダ)に2回KO勝ちしたシリモンコンは空位のタイ・ライトヘビー級王座を獲得。デビュー以来の戦績を96勝61KO4敗とした。格下のヌスブカの実力が問われるが金字塔を建てたシリモンコンは、この一戦で現役引退を匂わす。

試合の記者会見後ファンと写真撮影に応じるシリモンコン(写真:Kevin Lim)
試合の記者会見後ファンと写真撮影に応じるシリモンコン(写真:Kevin Lim)

102戦のキャリア

 だがリングへの未練なのか生活のためか19年に同じパトゥムタニのシンマナサック・ムエタイ・スクールでリングに立つ。ちなみにこの会場は父が運営するジム。シリモンコンがムエタイと国際式ボクシングを始めた場所である。

 最新試合は先月24日バンコクで行ったWBAアジア・ライトヘビー級タイトルマッチ。相手は18年1月、ルーカス・マティセー(アルゼンチン)とWBAウェルター級王座を争ったテーラチャイ・グラティンデーンジム(タイ)。この選手も昨年いきなりライトヘビー級に上げて話題となった。唯一の黒星がマティセー戦の8回KO負けのテーラチャイ(45勝32KO1敗)。まだ29歳と43歳のシリモンコンより若く、身長も178センチと168センチのシリモンコン(171センチ説もあり)を上回る。

 この体格差とスピードにシリモンコンはついて行けない。開始まもなくロープへ飛ばされ、普通ならスタンディングカウントが適用されておかしくない場面があったシリモンコンは懸命にパンチを返すものの、テーラチャイにリードを許す。5ラウンドまではパンチを浴びてもスマイルで応じたシリモンコンだが6回、パンチの雨に晒され表情が変わり青息吐息。最後までダウンを拒否したが、ラウンド終了にこぎ着けると右肩を痛めた仕種を見せて棄権した。102戦97勝62KO5敗となったシリモンコンは辰吉戦以来のTKO負けだった。

 筋肉質のテーラチャイに対しシリモンコンは腹部がダブつき、減量とは反対に体重を増やすのに苦労した様子。かつての貴公子の面影はなく、前ヘビー級3冠統一王者アンディ・ルイスの小型版といった印象がした。

テーラチャイ(左端)戦のバナー。シリモンコンは右端
テーラチャイ(左端)戦のバナー。シリモンコンは右端

映画にしたくなるストーリー

 そんな姿を見ると彼をリングにかき立てるものはマネー以外の何物でもないと思う。もしもっと金を提示させられたら、ヘビー級にだって挑むかもしれない。とはいえテーラチャイ戦で垣間見せた左ジャブと畳みかける連打、そしてステップインの鋭さは、さすがと唸らせるものがあった。

 デビュー時はスーパーフライ級。19歳で世界バンタム級王者に就き、辰吉戦で大きな挫折を味わいながら、“リベンジの地”日本で長嶋を倒して復活するサプライズ。チャベス戦で世界のレベルを痛感し、いきなり降りかかった逮捕事件と収監生活。懲役20年を食らうも4年足らずで出所する幸運。その後コンスタントにリングに上がり続け、いまだにライトヘビー級でアクティブに活動する。

 シリモンコン・シンワンチャーという男の半生は小説や映画のストーリーのようにどこまでもドラマチック。タイにはムエタイの王者から転向しプロ3戦目で世界ジュニアウェルター級(スーパーライト級)王者に君臨したセンサク・ムアンスリンという破天荒なボクサーがいたが、シリモンコンの壮絶なキャリア、半生だって負けていない。

ボクシング・ビート米国通信員

岩手県奥州市出身。近所にアマチュアの名将、佐々木達彦氏が住んでいたためボクシングの魅力と凄さにハマる。上京後、学生時代から外国人の草サッカーチーム「スペインクラブ」でプレー。81年メキシコへ渡り現地レポートをボクシング・ビートの前身ワールドボクシングへ寄稿。90年代に入り拠点を米国カリフォルニアへ移し、フロイド・メイウェザー、ロイ・ジョーンズなどを取材。メジャーリーグもペドロ・マルティネス、アルバート・プホルスら主にラテン系選手をスポーツ紙向けにインタビュー。好物はカツ丼。愛読書は佐伯泰英氏の現代もの。

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