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村田諒太と戦った銀メダリストが母国でピザ屋のオーナーの今も捨てられない夢

三浦勝夫ボクシング・ビート米国通信員
ロンドン五輪決勝を戦った村田とファルカン(写真:ロイター/アフロ)

1ポイント差で敗退

 20日ラスベガスのMGMグランド・カンファレンスセンターで行われたメキシカン対決、ミゲル・ベルチェルトvsオスカル・バルデスのWBCスーパーフェザー級タイトルマッチの前座カードにロンドン・オリンピック銀メダリストのエスキバ・ファルカン(ブラジル)が出場した。ファルカン(31歳)は2度世界挑戦歴があるアルツール・アカボフ(ロシア)に4回終了TKO勝ち。プロデビュー以来の戦績を28勝20KO無敗と伸ばした。

 2012年のロンドン五輪決勝でファルカンが対戦したのがWBAミドル級スーパー王者の村田諒太(帝拳)。試合は超接戦となり、スコアは14-13で村田がファルカンを振り切った。その後2013年8月にプロデビューした村田は13戦目で世界挑戦、14戦目でWBAミドル級正規王座を獲得した。現在ミドル級でWBOとIBFで5位、WBCで7位を占めるファルカンは、当時の村田の倍のキャリアを積みながら世界挑戦の気配すら感じられない。

長い下積みのキャリア

 今から7年前の2014年2月、私はファルカンのプロデビュー戦を取材した。その前からラスベガスに移り、殿堂入りトレーナーのミゲル・ディアス氏の指導を受けたファルカンはこの時24歳。前年の11月、米国大手プロモーションのトップランク社とサインを交わし、今でも契約は有効。同社と共同プロモート契約を結ぶ村田とは背景が同じである。

 ロサンゼルス近郊で行われたその試合でファルカンは米国人選手に6回戦で4回TKO勝ち。当時、彼のマネジャーは「我々のプランは6回戦を2度、8回戦を2試合やってすぐに10回戦に上がりたい」と言っていた。ところがファルカンは6回戦を7度、8回戦を13回も戦い、21戦目の2018年7月ようやく10回戦に昇格した。村田と比べるとウサギとカメのような印象を受ける。

 アカボフ戦を中継したESPNも進行役とコメンテーターが「オリンピックのメダリストで、キャリア27戦無敗でまだ世界に挑戦できないのはなぜ?」と試合開始前に指摘。その時2人の間で笑いが漏れたのがファルカンの置かれた立場を象徴していたように思う。ちなみにWBOミドル級王者時代のビリー・ジョー・サンダース(英=現WBOスーパーミドル級王者)、現WBOミドル級王者デメトゥリアス・アンドラーデ(米)に挑んだアカボフはこれまでの最強の相手と呼んでいいだろう。サウスポー対決はファルカンの執拗なアタックにタフなアカボフがギブアップして終わった。

最新試合でアカボフ(右)に快勝したファルカン(写真:Mikey Williams)
最新試合でアカボフ(右)に快勝したファルカン(写真:Mikey Williams)

いよいよ本腰を入れる?

 アカボフ戦で見えた変化はコーナーに名将ロバート・ガルシア・トレーナー(元IBFジュニアライト級王者)が陣取っていたこと。「ついにファルカンもスイッチが入ってきたな」と感じられた。「もう時間を無駄にしたくない」という意志が伝わってきた。ただし進路のかじを取るトップランク社がどんな構想を描いているのか推し量るのは難しい。海外ボクサーのプロモーターとの関係から推測すれば、どちらかが縁切りを申し出ても不思議ではないとも思われる。

 それでもファルカンがリングに上がり続けるのはまだ希望を捨てていないことの証である。コロナパンデミックのさなか、昨年ファルカンは2度、ブラジルのリングに登場した。相手はいずれも格下選手だったが、来たるべき晴舞台に向け実戦感覚を失いたくないという決意の表れだろう。とはいえブラジルは新型コロナウイルスの死亡者数が米国に次いで多い。厳しい状況のブラジルでファルカンはどんな生活を送っているのだろうか。

夫婦で仲良くピザ屋を営む(写真:Esquiva Falcao)
夫婦で仲良くピザ屋を営む(写真:Esquiva Falcao)

夫人とピザ屋を経営

 現地メディアによるとファルカンは妻のスエレン・マルケス・ナシミエントさんが営むピザ屋を手伝いながら世界チャンピオンの夢を見ている。宅配サービスも受け持つというファルカンは「(チラシ広告の)私の写真と銀メダルのおかげでお客さんが集まり繁盛している」と満足そう。だが「これも私がまだファイトしているからでリングに上がらなくなったらこうは行かない」とボクシングの恩恵を強調する。

 それでも生活の基盤があることがファルカンに世界挑戦を急がせない理由なのかもしれない。またミドル級は簡単に世界タイトルに挑める階級ではない。その意味でもファルカンには強敵との冒険マッチが待たれる。

兄弟で五輪メダリスト

 オリンピックの金メダリストと銀メダリストの間には雲泥の差がある。ロンドン大会後ずっとそれを痛感してきたファルカンには日本人の血が流れている。ロンドン五輪ライトヘビー級銅メダリストの兄はヤマグチ・ファルカンという。エスキバより一足先にプロに転向した兄は、いつの間にか消えてしまった。1990年代、スーパーフェザー級とライト級で王者に就き一世を風靡したアセリーノ・フレイタス以降ブラジルから傑出したボクサーは出現していない。道は険しくとも後を継げるのはファルカンだと期待される。

 現在WBAランキングにファルカンの名前は見当たらない。しかしブラジルの希望の標的は今でも村田だろう。トップランク社とサインした時点で同社は将来、村田vsファルカンの“再戦”を想定していた。そして村田がベルトを獲得すると一段と期待が高まった。しかし以後このカードは話題にも上らない。

 ファンが村田のリング登場を待ち望み、相手が定まらない今、打ってつけなのがファルカンではないだろうか。同じトップランク社傘下という背景もプラスに作用する。ゲンナジー・ゴロフキンという大きな目標に立ち向かう前に村田がブラジル人を撃退(あるいは返り討ち)にするのも悪くない。ファルカンもピザ屋のオーナーのままキャリアを終えるのは惜しい逸材だ。

ボクシング・ビート米国通信員

岩手県奥州市出身。近所にアマチュアの名将、佐々木達彦氏が住んでいたためボクシングの魅力と凄さにハマる。上京後、学生時代から外国人の草サッカーチーム「スペインクラブ」でプレー。81年メキシコへ渡り現地レポートをボクシング・ビートの前身ワールドボクシングへ寄稿。90年代に入り拠点を米国カリフォルニアへ移し、フロイド・メイウェザー、ロイ・ジョーンズなどを取材。メジャーリーグもペドロ・マルティネス、アルバート・プホルスら主にラテン系選手をスポーツ紙向けにインタビュー。好物はカツ丼。愛読書は佐伯泰英氏の現代もの。

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