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なぜ今、マイク・タイソンなのか? 「なれなかった元王者」から見るヘビー級の事情

三浦勝夫ボクシング・ビート米国通信員
タイソンの全盛期、ブルース・セルドンを初回KO(写真:ロイター/アフロ)

 COVID19(新型コロナウイルス感染症)によるイベント中止の影響で、メディアはこぞって過去の名勝負や偉大な選手にスポットライトを当てる。そのプレイバック状態が落ち着いてきた今、ピックアップされた試合、選手の本当の価値が白日の下に晒される印象がする。そしてキングは誰か?最近のフィーバーぶりからも私はマイク・タイソン以外にはいないと思う。

華やかで苦難に満ちたストーリー

 では「なぜ今、タイソンなのか?」と問われると、答えは山のようにあり、同時に上手に答えることができない。その生い立ち、ボクサーを志したきっかけ、伝説のトレーナー、カス・ダマトとの出会い、プロデビュー後の快進撃、世界ヘビー級王者獲得最年少記録、瞬く間にヘビー級王座統一と華やかなサクセスストーリーがまず頭に浮かぶ。一方で収監によるキャリアの中断、ホリフィールド戦の耳噛み事件など人生の陰の部分も当然、無視できない。

 一つ断言できるのはタイソンほどボクサーやファンにインパクトを与えた選手はいなかったということだ。それはモハメド・アリと双璧か。アリが途中から神格化されたのに対し、タイソンはいい意味でもっと人間味があった。日本でも、そしてメキシコあたりでも何々タイソンといったニックネームやキャッチフレーズを持つボクサーがいる。“鉄人”と畏怖された男にちなんだ名前を持つ選手が多いことが彼のカリスマ性を増幅させる。

 1986年、タイソンがデビュー以来19連続KO勝ちを含む27連勝25KO無敗でWBCヘビー級王者トレバー・バービック(ジャマイカ)に挑戦した時、彼はすでにボクシングファンのみならず一般のスポーツファンにも名前が浸透していた。

タイソンになれなかったワイルダー

 私は前WBCヘビー級王者デオンテイ・ワイルダーが北京オリンピック銅メダルを土産にプロ入りした当時からタイソンと比較していた。ワイルダーが5年前、ジャーメイン・スタイバーン(ハイチ=カナダ)の王座に挑んだ時点の戦績は32勝32KO無敗。しかし大衆は「Wilder Who?」の状態だった。

 地元ニューヨーク、当時の米東海岸のメッカ、アトランティックシティを中心に連戦連勝だったタイソンに比べ、ワイルダーはメキシコでリングに上がるなど、けっして待遇が恵まれていたわけではなかった。そして、すでにリングで旋風を巻き起こしていたタイソンとは注目度の点で大きな違いがあった。ワイルダーはタイトル獲得後もKO勝ちを重ね、10度の防衛を果たすのだが、彼がスポーツファンにまで存在感を広めるのは、2018年12月に行われたタイソン・フューリーとの初戦あたりだったのではないだろうか。

 2人ともレコードはいわゆる怪物だが、本当の怪物はタイソンだった――とも言えそうだ。ワイルダーもいっしょに過去形にするのは早すぎるだろう。ただ初黒星を喫し、5年以上君臨した王座から転落した今年2月のフューリーとの再戦のショックはあまりにも大きい。30年前、東京ドームでジェームズ・バスター・ダグラスに衝撃のKO負けで王座を追われたタイソンは紆余曲折を経てカムバックした。ワイルダーにもその道が残されていることを私は願っている。

フューリーに敗れたワイルダー(左)はフォアマンにアドバイスを受けた(写真:Mikey Williams/Top Rank Boxing)
フューリーに敗れたワイルダー(左)はフォアマンにアドバイスを受けた(写真:Mikey Williams/Top Rank Boxing)

フォアマンのアドバイスで心機一転

 ワイルダーの連続KO勝ちは先達ジョージ・フォアマンを彷彿させた。アリに勝って世界ヘビー級タイトルを守ったジョー・フレイジャーはフォアマンの剛腕に屈して王座から転落した。それまでのフォアマンは比較的楽な相手とのマッチメークでKO勝利を重ね自信をつけながら、頂点への階段を昇った。当時それは“フォアマン方式”とも呼ばれた。

 それを追従するようにデビューからキャリアを進行させたワイルダーが、フューリー再戦からしばらく経過した4月、フォアマンと会見し直々にアドバイスを授かったことは非常に興味深い話だ。ワイルダーはフォアマンとのトークをグレート、リアル、グッドの形容詞をつけて回想している。キャリアの道標となる助言そして打倒フューリーの作戦を先輩王者から提供されたはずだ。

ボクシングと言えばタイソンだった

 さて、53歳になったタイソンは最近、頻繁に発信されるトレーナーとのミット打ちなどの動画を見る限り、今にでもリングに立てそうな迫力を発散している。もちろん、エキシビションはともかく、ファイトマネーが絡む真剣勝負に臨むにはハードルが高い。年齢は当然のこと15年も実戦から離れている事実は否定しようがない。

 昨年、英国で55歳の元世界スーパーミドル級王者ナイジェル・ベンが23年ぶりに復帰を宣言したが、結局、出場は認められなかった。タイソンのケースも同様な結果が推測される。正式にリングに上がるとなれば健康診断をパスしなければならず、体のどこかにガタが生じているかもしれない。現役時代から薬物問題を抱えていたことも心配の種になる。

 それでもミット打ちのパフォーマンスを披露しただけでファンの郷愁を呼び起こし、カムバック願望が再燃するところは並のスター選手ではない。さすがと言うしかない。以前、その夜にタイソンの試合があるとなれば、私の周辺の人々はスポーツファンでなくとも「そうか、ぜひ見たい!」と興奮したものだ。スポーツを超越した時代の寵児。ボクシングの代名詞、ミスター・ボクシングがタイソンだったのだ。

世界のメディアを虜にしたカリスマ性

 あれはホリフィールドとの2戦を終えた後だった。ラスベガスで行われた1999年の2試合を取材する機会があった。そのフランソワ・ボタ(南アフリカ)あるいはオーリン・ノリス(米)戦のどちらだったか忘れたが、試合日の朝、会場(MGMグランドガーデン)近くのレストランで朝食を摂っていると同席の日本から来た先輩格のカメラマン氏に「何を見とれているんだ」と小言を言われた。知らず知らずのうちに私は近くに座っているテレビのレポーターと思しき女性に釘付けになっていた。

 卑近な例だが、タイソンの試合は、すでにキャリアの晩年に差し掛かっていてもメディアが飛び切り美人の女性記者を送り込むほどニュースバリューがあったのだ。また、この例のようにタイトルマッチでなくてもカメラマンが派遣されるほど遠い日本でも注目度が高かった。彼はその後、英国とデンマークでリングに登場している。知り合いの日本人記者はそれを追いかけて取材に出かけたと記憶している。裏を返せば、それほど全盛期の勇姿は人を魅了してやまなかったということだ。

ヘビー級の起爆剤になる

 タイソンの動画パフォーマンスを見て著名プロモーターも心を動かされている。今、飛ぶ鳥を落とす勢いのエディ・ハーン・プロモーター(マッチルーム・ボクシング)はタイソン側からコンタクトされたらしい。試合の売り込みをかけられた様子だ。

 それに関してハーン氏は「彼はまだかなり危険な選手に見えた。だけど、もう53歳だよ。みんな過去の栄光に幻惑されているんじゃないかな。今のヘビー級に風穴を開ける?たぶんそうだろうし、そうでないかもしれない」と英国メディアにコメント。そして「結局はマネー。彼はカムバックしていくら稼げるかに執心している。彼と対戦したい現役選手たちもレジェンドを相手に普段よりも楽な試合でどれだけもらえるかを画策している」とプロモーターらしいシビアな意見を明かす。

 一方トップランク社のボブ・アラムCEOはタイソンの商品価値に言及。「もしタイソンがカムバックすれば、PPV(ペイ・パー・ビュー=番組ごとに料金を支払ってテレビやパソコンで視聴するシステム)イベントとしていい結果を残すのではないか」と発言。COVID19の影響で生のスポーツ・コンテンツに飢えているファンに刺激をもたらすのではと予測する。

王者フューリーとのエキシビションを望むアラム氏(写真:Mikey Williams/Top Rank Boxing)
王者フューリーとのエキシビションを望むアラム氏(写真:Mikey Williams/Top Rank Boxing)

フューリーとの手合わせもある?

 アラム氏は実戦は無理でも自身がプロモートするWBCヘビー級王者フューリーとのチャリティー・エキシビションを提唱。「私はそれに出資(プロモート)するつもりはない。でもイベントの実現に努力する。タイソンには好ましいことになると思う」とアラム氏。要は無報酬で出場してほしいということなのだろう。上記のPPVに関しても「私は全く関与したくない」と語り、最後に「ランカークラスと対戦するなんてとんでもない話。時代を逆行させることは不可能だ」と断言する。

 たとえばミュージシャンなら年を取っても演奏できる限り、歌が歌える限りステージに立てるが、ボクサーはそうはいかない。タイソンが2005年6月の試合を最後にグローブを吊るした理由は「体力の限界」だった。タイソン本人はエキシビションやショーまがいの相手との試合よりも真剣勝負を希望している。それが叶わぬ夢で終わる可能性は大きい。しかしネットで流れた彼の元気な姿がコロナショックで暗澹たる日々を送る我々に勇気を与えてくれたことは確かである。

ボクシング・ビート米国通信員

岩手県奥州市出身。近所にアマチュアの名将、佐々木達彦氏が住んでいたためボクシングの魅力と凄さにハマる。上京後、学生時代から外国人の草サッカーチーム「スペインクラブ」でプレー。81年メキシコへ渡り現地レポートをボクシング・ビートの前身ワールドボクシングへ寄稿。90年代に入り拠点を米国カリフォルニアへ移し、フロイド・メイウェザー、ロイ・ジョーンズなどを取材。メジャーリーグもペドロ・マルティネス、アルバート・プホルスら主にラテン系選手をスポーツ紙向けにインタビュー。好物はカツ丼。愛読書は佐伯泰英氏の現代もの。

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