TKO負けのピンチ…大流血の元統一世界ヘビー級王者を救った「裏方のヒーロー」の活躍とは
47針も縫った英国のアリ
9月14日、メキシコの独立記念日に合わせたボクシング・イベントが米国各地で開催された。自国の祭日を祝う興行が米国内で行われるのは他でもなく両国の経済的な力関係に基づくものだろう。今年はボクシング界の顔と言うべきメキシコのスーパースター、サウル“カネロ”アルバレスが出場を取り止め11月2日へとシフト。ライトヘビー級王者セルゲイ・コバレフ(ロシア)に挑戦する運びとなった。
カネロに代わって今年ラスベガスでメインを張ったのが元統一世界ヘビー級王者タイソン・ヒューリー(英)だった。プロモーターはトップランク。ボブ・アラム氏率いる同社とコラボして試合を中継するのがスポーツ専門テレビのESPN。両者と大型契約を結んだヒューリーは6月、同じラスベガスで行ったトム・シュワルツ戦(ヒューリーの2回TKO勝ち)に続き今回が契約2戦目。相手は世界ランカーながら無名のオト・ヴァリン(スウェーデン)。昨年、激闘を繰り広げ再戦が待望される宿敵WBC王者デオンタイ・ワイルダー(米)戦へ向けた調整試合、前哨戦と見られた一戦だった。
よって、下馬評は断然ヒューリー有利。オッズは25-1とも言われた。ところが3ラウンドに異変が起きる。サウスポー、ヴァリンが放った左フックを浴びたヒューリーは右マブタを深くカット。以後、傷口は鉤型に広がってしまう。大流血に見舞われたヒューリーはそれでも、ガッツを振り絞り奮戦。タフなヴァリンを仕留めることはできなかったが断続的にヴァリンを追い詰め明白な判定勝利を得た。(スコアカードは116-112、117-111、118-110の3-0)
TKO負けのピンチを回避した稀代のエンターテイナー、“英国のモハメド・アリ”ヒューリーの底力や経験も目立ったが、試合後ネバダ大学メディカルセンターに急行し47針も縫わねばならなかったヒューリーを助けたのは、この日コーナーでカットマンを務めたメキシカン、ホルヘ・カペティーヨだった。
ヒューリーからボーナスもらう
トレーナーでもあるカペティーヨは以前、ホルヘ・リナレスがニューヨークでリングに立った時セコンドに就いたことがある。カットマン歴は約10年。ラスベガス在住。息子もボクサー。同地で連戦となったヒューリーと知り合い採用されたようだ。ただカットマンとしては無名に近い。だがヘビー級シーンのアイコンの一人ヒューリーのピンチを救った殊勲者として一躍メディアで取り上げられている。
「傷は深く長かった。相手のパンチが当たると塗ったワセリンが飛び散った。でも私はワセリンをたくさん塗ることを心掛けた。ドクターチェックの時あまり目立たないから。同時にインターバルのたびに傷口をクリーンに保つことに集中した。そうすれば出血を少量に止めることができるから」
そう回想するカペティーヨだが、ラウンドを重ねるごとにグロテスクにヒューリーのカットは悪化。正直、いつドクターストップがかかっても不思議ではない状態に思えた。
「ドクターが最後の言葉を握っていた。私はベストを尽くしたけど傷を塞ぎたいという執念、アドレナリンが(ドクターの判断に)勝ったんじゃないかな」
映像で見る彼は少し興奮気味にそう語る。感激したヒューリーは特別にボーナスを支給することを約束した。
KO勝ちのメキシカンより目立った?
同日のリングではWBOスーパーバンタム級王者エマヌエル・ナバレッテ(メキシコ)が往年の名選手ガブリエル“フラッシュ”エロルデの孫フアン・ミゲル・エロルデ(フィリピン)を4回TKOで一蹴。またロサンゼルス近郊カーソンのゴールデンボーイ・プロモーションズ主催のイベントではWBOスーパーウェルター級王者ハイメ・ムンギア(メキシコ)が挑戦者パトリック・アロティ(ガーナ)をこれも4回KOで破り5度目の防衛。母国メキシコの祝日に祝砲を放った。
だが、ある面ではカットマン、カペティーヨの奮闘が特筆されるのではないか。もしヒューリーがストップ(TKO負け)されていれば、ワイルダーとのリマッチは水泡と化していただろう。ライバルのカットマンたちは「いや、俺だったらちゃんと止血していたよ」と口を突っ込むに違いない。だがカットマンにスポットライトが当たることは少ない。手腕が評価され、大舞台で存在感を発揮した彼には今後、大物たちからオファーが殺到するかもしれない。
「私はそれ(止血)を正しく行わなければならず、自分の仕事に賭けなければならず、仕事を完了しなければならないとわかっていた。それでヒューリーはストップされずに戦い続けることができた」
彼が発したコメントの中で一番これが印象に残った。
ちなみにカペティーヨはロサンゼルスのトレーナー、ハビエル・カペティーヨの甥にあたる。元ウェルター級王者アントニオ・マルガリート(メキシコ)の不正バンテージ問題で事実上、業界から追放された叔父の汚名を今回、軽減したと言ったら、ほめ過ぎだろうか。