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8時間26分の映画はいかにして作られたのか…中国の鬼才ワン・ビン監督に聞く

壬生智裕映画ライター
『死霊魂』シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開中

(C)LES FILMS D’ICI-CS PRODUCTIONS-ARTE FRANCE CINEMA-ADOK FILMS-WANG BING 2018

 中国の鬼才ワン・ビン監督のドキュメンタリー映画『死霊魂』が8月1日より渋谷のシアター・イメージフォーラムで上映されている。8時間26分という長尺ながら、先行販売されているチケットは、初日を含めて週末分はすべて売り切れ。平日の動員も好調だという。

 8時間26分というのは、カンヌ国際映画祭出品作品史上最長。昨年10月に行われた山形国際ドキュメンタリー映画祭ではワン・ビン自身、三度目となる最高賞を受賞した。内容については、公式HPの解説文を引用してみたい。

 いまだ明らかにされていない中国史の闇、〈反右派闘争〉。1950年代後半、「我々は人民の自由な発言を歓迎する!」と中国共産党が主導した〈百家争鳴〉キャンペーンにのせられ、自由にモノを言ってみたら、〈右派〉と呼ばれ、55万人もの人が収容所に送られたのだ。そこに、大飢饉が重なった。「4500万人の死者を出した史上最も悲惨で破壊的な人災」(フランク・ディケーター著『毛沢東の大飢饉』)ともいわれる凄惨極まりない飢餓によって収容所は地獄と化した。カメラの前で語るのは、生還率わずか10%ともいわれた収容所を生き延びた者たち。2005年から2017年までに撮影された120人の証言、600時間に及ぶ映像から本作は完成した。

 背景や状況を提示し、収容所の扉を開ける第一部。飢餓の状況に衝撃がはしる第二部。そして右派を弾圧した側の証言者の重い問いかけと、死の間際にある人々の思いが壮絶にして崇高な第三部へ――。観客は、いつしかカメラを忘れ、自らが目撃者になるのだ。デジタルカメラ1台あれば、映画が世界と対峙できる時代に突入したと証明した『鉄西区』以来、たえず映画界を揺るがし続けてきたワン・ビン監督が、忘れ去られた死者の声を掘り返し、忘れるものかと撮りつづけた集大成である。

出典:公式HP

 公開劇場となる渋谷のシアターイメージフォーラムでは、11時半に上映が開始し、途中2度の休憩(第一部と第二部の間が20分、第二部と第三部の間が15分)が挟まれ、上映が終了するのは20時半。劇場を出る頃には、すっかり陽が落ちているころ。自分自身、この映画の鑑賞後は心地よい疲れと胸にズシリとくるものを感じながら外に出たことを思い出す。まさに周囲の観客と、時間・空間を共有するという映画館ならではの、何ものにも代えがたい体験が味わえるはずだ。

 なお余談であるが、「映画館って三密じゃないの?」と感じる人もいるかもしれない。だが、映画館は厚生労働省の管理下にあり、各都道府県の興行場法の条例にそって、一定の空調設備の整備が義務づけられていることから、上映中も強制的な機械換気が可能な空間となっている。それはシネコンだけでなく、ミニシアターにも設置が義務づけられているものだ。それを踏まえ、全国興行生活衛生同業組合も「映画館の空気の流れを“見える化”「映画館の換気実証実験」」と題した動画を配信している。こんなご時世なので、映画館に行くのはどうしようかなと思っている人のために、参考までに動画のリンクを貼っておこう。

■ワン・ビン監督にインタビュー

 さて、前置きが長くなったが、ここでワン・ビン監督に行ったインタビューを掲載したい。

――映画に登場する証言のほとんどが2005年に撮影されたものだったそうですが、劇中では、その多くの方が亡くなってしまったという字幕がついていました。やはり監督自身、この事件を記録しておかなければという思いがあったのでしょうか?

ワン・ビン監督:もちろんそれはありました。証言者にとって夾辺溝事件の時期というのは、非常に辛酸をなめ尽くした、非常に過酷な時期だったわけです。その出来事を彼らは長い間、話せないでいましたし、そしてまた、誰も聞こうともしなかった。だから長いこと彼らは話さずにいたわけです。だからこういう風に彼の話を聞くチャンスに恵まれたということは、非常にありがたいことだったと思います。彼らはカメラに向かい、非常に勇気を振り絞って、過去のことを証言してくれました。

『死霊魂』より(配給会社提供)
『死霊魂』より(配給会社提供)

 こういう人たちに巡り合えたということは非常に重要なことでした。このような社会環境にあって、ああいうことをストレートに、何もかも隠さずに話してくれるということは、なかなか容易なことではない。でも当時、彼ら自身、もう自分の人生が長くないというのが分かっていた。だからこそ、ああいう風に思い切って私に話してくれたんだと思います。そしてこの映画が出来上がったときには、ほとんどの人がお亡くなりになっていた。ですから、彼らがもうすでにこの世にいないということを、映画の中で観客に知らせるという情報は非常に重要だったわけです。

――素材もかなり膨大な数だったと思います。膨大な素材をどのように整理したのでしょうか?

ワン・ビン監督:素材としては120の証言が600時間分ぐらいあったわけなんですが、編集の時はそれほど混乱することはなかった。というのも、自分ですべて撮っているので、ひとりひとりの証言についても、それは自分が一番よく分かっていますからね。

――編集はどれくらい時間をかけたのですか?

ワン・ビン監督:編集は2017年から18年にかけて、だいたい5カ月ぐらいかけて行いました。編集については最初に方針を立ててから、作業を進めました。登場人物が多いですし、話す内容自体が非常に複雑であるということから、編集であまり手を加えることなく、すっきりさせるということを目指しました。

――長時間作品ということで、プレビューも大変だと思うのですが、作業行程はどのように行っているのですか?

ワン・ビン監督:だいたい映画の時間軸に沿って、頭からじっくり、ゆっくり見ていくというのが、僕の編集のスタイルですね。だから編集については、1回通しでやって完結させるということですね。元々これは、3部構成にしていたわけではなく、8時間あまり繋がっていたんですけど、これを3部作に分けたのは、映画館で上映することを考えたから。さすがに8時間ぶっ通しで上映するということができないので、後から3部構成にしたということで、最初はぶっ通しでした。

ワン・ビン監督(配給会社提供)
ワン・ビン監督(配給会社提供)

――ワン・ビン監督のスタイルとして、ショットで切り刻んで編集でリズムを変えるということはほとんどなく、カメラ位置を固定した長回しということがあると思います。そうした撮り方は、素材そのもののリズムが、完成形を想像しながら撮影しないといけないなと思うのですが。

ワン・ビン監督:そうですね。編集でリズムを変えたりはしないですね。例えば『死霊魂』でも、実景を撮る時などは、編集の時のリズムを考えながら撮りました。そこには理由があって、観客に全体像として情景を見せたいということでした。やはり最終的には、人骨や、彼らが使っていたものなどを映しておきたいという目的があって。撮影しているときは、それを頭に入れて撮影をしているわけです。ゴビ砂漠を撮影した時は、本当に誰もいない。あたかも幽霊がそこかしこにいるような感じがしましたね。

――ワン・ビン監督の映画からは、世の中の不条理に対する怒りを感じるのですが、ワン・ビン監督がインタビューをする時などは穏やかな印象があります。『死霊魂』の劇中でも、話を聞こうとするや「夾辺溝事件の話など誰も覚えておらん!」と声を荒げる人が登場しましたが、しばらくすると落ちついた様子で証言を進めてくれていました。それを見て、実はワン・ビン監督は人のふところに入ることのできる、人懐っこい方なのではないかと思ったのですが。

『死霊魂』より(配給会社提供)
『死霊魂』より(配給会社提供)

ワン・ビン監督:人懐っこいかどうかは分かりませんが(笑)。でもそういう部分は両方あると思うんですよね。僕は人に対してはとても気さくだと思いますが、一方で怒りを感じることはあります。僕自身、どういう映画が好きかというと、静かな映画が好きなわけです。僕の映画を見ていただいて、観客は非常に静かに感じるかもしれないですが、そこには、強烈な怒りを感じるんだと思います。でも人に接する時は、例えばこういう方たちに取材をし、話を聞くときは、非常に辛抱強く聞くタイプです。また普通の生活の中でも、人の言うことに辛抱強く耳を傾けます。

――辛抱強く聞くというのは、聞きたい話が出てくるまで辛抱強く待つという意味でしょうか

ワン・ビン監督:そうではありません。こういう方たちの話を聞くということは、どういう風にその人たちに誠実に向き合うかということなのです。この人たちが経験してきたことは、自分には想像が及ばないことですから。とにかく誠実に、しっかりと彼らの話に耳を傾けるということ。そういう意味での辛抱強さということですね。だから何かを引き出そうとか、絞り出そうとか、そういう意図は全くない。それよりも彼らから、この世界における真実を教えてもらいたいと思っているんです。真実を知りたい。ですから、こういう人たちに対して、とても理性的に、冷静に、誠実に耳を傾けました。自分の知らないことを教えてもらうという態度で臨みました。映画のためであっても、やはり人の意見にしっかりと耳を傾けて、いい関係を作っていくこと。そういう風に心がけています。映画というのは私の仕事ではありますが、生活の一部、そのものになっているので、いつもそうしています。

――映画を見ていると、あまりの現実の重さに言葉を失ってしまいますが、直接、話を聞いたワン・ビン監督も言葉を失ってしまうような瞬間があるのでしょうか?

ワン・ビン監督:彼らを取材している時は二つの立場で聞いていました。一つは個人として。彼らの話す内容のすごさに驚きながら、感動しながら、一生懸命耳を傾けてしまう個人として。そしてもう一つは、映画監督として。これを映画にして、彼らの記憶を映画で表現して活かしたいということ。そうした二つの思いで耳を傾けているわけです。だから一つは、私のごく個人的な感動。そしてもう一つは、理性的な冷静さを持って。そうした二つの態度で臨んでいました。

 以上が今年3月に行ったインタビューだ。では最後に、配給会社のYouTubeチャンネルに、ワン・ビン監督からのメッセージ映像が公開されてたので、その映像で本稿を締めくくりたいと思う。

映画ライター

福岡県生まれ、東京育ちの映画ライター。映像制作会社で映画、Vシネマ、CMなどの撮影現場に従事したのち、フリーランスの映画ライターに転向。コロナ前は年間数百本以上のイベント、インタビュー取材などに駆け回る毎日で、特に国内映画祭、映画館などに力を入れていた。2018年には、プロデューサーとして参加したドキュメンタリー映画『琉球シネマパラダイス』(長谷川亮監督)が第71回カンヌ国際映画祭をはじめ、国内外の映画祭で上映された。近年の仕事として、「第44回ぴあフィルムフェスティバル2022カタログ」『君は放課後インソムニア』のパンフレットなど。

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