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渡辺明棋王(36)棋王位9連覇まであと1勝 糸谷哲郎八段(32)の猛追をからくも振り切り冷汗の勝利

松本博文将棋ライター
(記事中の画像作成:筆者)

 3月7日。新潟市・新潟グランドホテルにおいて棋王戦五番勝負第3局▲渡辺明棋王(36歳)ー△糸谷哲郎八段(32歳)戦がおこなわれました。棋譜は公式ページをご覧ください。

 9時に始まった対局は19時1分に終局。結果は133手で渡辺棋王の勝ちとなりました。

 五番勝負はこれで渡辺棋王の2勝1敗。あと1勝で棋王防衛、9連覇達成となります。

 第4局は3月17日、東京都渋谷区・東郷神社でおこなわれます。

王者・渡辺棋王、逆転を許さず

 後手番の糸谷八段が誘導して、戦型は横歩取り。渡辺棋王は青野流を採用しました。本局立会人の青野照市九段の名にちなむ、有力な手法です。

 20手目、糸谷八段が横歩を取り返した順が新手でした。

渡辺「新手で来られて。そのあとはちょっとわかんないなと思って指してたんですけど」

 25手目。渡辺棋王は左辺に金を上がります。これが糸谷八段にとっては意外な手でした。

糸谷「これで長考してちゃダメですね。ちょっと、準備不足で・・・」

 糸谷八段は49分考え、7筋の歩を突いています。糸谷八段は局後、この手を反省していました。

糸谷「いやあちょっと(頭に手をやりながら)△7四歩が相当勇み足だったかと。▲3八金のときに2六に(歩を)垂らしとく予定なんですけど(銀ではなく)金のときに効いてるかどうかがわからなくなって。長考したんですけど、長考してひどい変化に突っ込んだかと思って、相当反省してました」

 感想戦では代わりに飛車を7筋から8筋に戻る手が検討されていました。

糸谷「こんだけ長考して何をやっているのか。いやあちょっと・・・ひどかったです」

 糸谷八段の飛車は追われながら五段目をさまよいます。そして1筋の四段目に引いた順が疑問の構想でした。

 33手目。渡辺棋王は飛車交換を拒否しながら、2筋に歩を垂らします。それで糸谷八段は早くもしびれました

渡辺「そこはまあ(形勢は)いいんだろうな、とは思ったんですけど」

糸谷「これ本当にひどいことしてる可能性が高いと思ったので、はい。(控室の検討では苦しいという見解を聞いて)やっぱりそうですよね。いや、そうだと思います」

 局後に両対局者はそう語っていました。午前中で形勢は早くもはっきりと、渡辺棋王優勢です。

 糸谷八段は動かなくなりました。

糸谷「いやあちょっと、歴史に残る早投げをやってしまう可能性があって」

 もし糸谷八段がすぐに指し進め、渡辺棋王がすべて正解手で勝ちきれば、それは将棋のタイトル戦としては歴史的に早い終局となったかもしれません。

 糸谷八段は次の手を指さず、12時、昼食休憩に入りました。

 13時、対局再開。糸谷八段は4筋の歩を突いて粘りに出ます。この一手は1時間3分。早見え早指しの雄である糸谷八段ですが、本局では消費時間が先行しました。

渡辺「でもそうか、そうやってがんばってくるのか」

糸谷「ひどいことをしたと思って反省したんですけど」

 渡辺棋王からすれば、よくする順がいくつもありそうなだけに、かえって迷うところです。

渡辺「すっきり勝つ順がわかんなくなって、やってるうちにどんどんおかしくなってきました」

 進んで、渡辺棋王は手にした飛車を糸谷陣に打ち込んで王手。さらには糸谷玉をにらむ好点の角を端1筋に据え、ゴールを目指します。しかし糸谷八段が粘り、決定打には至りません。

渡辺「(▲1六角と打って)決まってるんだろうなと思ってやってたんですけど、ちょっとそのあとの・・・。よくわかんなくなりました。そのあとやってるうちに」

 61手目。渡辺棋王は飛車を三段目に成ります。終局後まもなく、両対局者の間では次のような言葉がかわされました。

渡辺「なんか簡単に終わる手ありました? 途中。早い時間で」

糸谷「どうですかね。飛車、下(2一)に成られる方がいやだった」

渡辺「どこだっけ?」

糸谷「こっち(2三)に成って、桂打って角切られるところで」

渡辺「ああ・・・」

糸谷「単に(2一に)成られた方が粘れないかなと思ったんですが」

渡辺「いや、ちょっとやりにくいですかね」

糸谷「それでちょっとこっちの手が・・・」

 糸谷八段が指摘した順。渡辺棋王が本譜で指した順。どちらもよさそうです。渡辺棋王は角を切っていきました。糸谷玉を中段に追いながら駒を取っていき、自陣にプレッシャーをかけている相手の金も消しました。

渡辺「なんかでもスッキリ勝てないなと思って・・・。ちょっとスッキリ勝てないから金取って安全に勝とうと思ったんですけど、そしたらかえっておかしくなっていって」

 糸谷八段は相手に従って指し進めていきます。

糸谷「こっちはもう絶連(ぜつれん、絶対手の連続)ですよね」

 渡辺棋王の指し手が決してわるかったわけではありません。事実、コンピュータ将棋ソフトが示す評価値は、渡辺棋王勝勢と示しています。しかし人間の目には、そうはっきりしているようには見えません。

渡辺「雰囲気でただ寄せにいってるけど、必至かかってないからなあ」

 先手から見て右辺にいた糸谷玉は、遠く左辺にまで逃げ越しました。そしてなかなかつかまりません。

渡辺「そうかやっぱり、本譜みたいに逃がすのは逆転する目が出てくるんだなあ・・・」

「王手は追う手」の格言通り、たとえ駒を取りながらでも玉を逃がす寄せは逆転を招く。それは将棋を指すすべての人間が何度も体験する失敗で、渡辺棋王は改めてそのことを口にしていました。

渡辺「なんかもう、逆転の目(自分の負けそうな順)がないかと思ったんですけど、歩でごちょごちょやられると、こういうのは大変なんだなあ」

 糸谷八段は手裏剣を飛ばすように渡辺陣に歩を打ち捨て、手を作ろうとします。

渡辺「どこで手を抜けばいいのか、わからなくなっちゃったですね」

 98手目。今度は糸谷八段が渡辺玉をにらむ角を打ちました。

渡辺「△2五角とか打たれたあたりはもうわかんなくなっちゃったですね」

 評価値は大差。しかし渡辺棋王の様子を見ていると、とても大差には見えません。糸谷玉はきわどくこらえ、渡辺玉も次第に危ない形になっていきます。

 107手目。渡辺棋王は攻防に利いている相手の龍の位置を変えるべく、頭に歩を打ちます。

渡辺「これ▲4五歩打つ人、いるのかな?」

 局後、渡辺棋王は自身の指し手に首をかしげました。

 渡辺棋王は右手で目をおおうようなしぐさを何度か見せます。もちろん泣いているわけではありませんが、かなり動揺している雰囲気は伝わってきます。

 対局中、頻繁に席をはずすのが糸谷八段のスタイル。相手が盤の前にいないと、つい本音が出てしまうものです。

阿久津「渡辺さんもいまなにか、ぼやきましたね。『いやあ』のあとがちょっと聞き取れなかったんですけど、なんて言ったんですかね。『バカすぎる』とか、そういうこと言ってなかったですか?」

 ABEMA解説の阿久津主税八段は、そう語っていました。局後、渡辺棋王と阿久津八段の間では、次のようなやり取りがありました。

渡辺「昼休のところはずいぶんいいなと思ってたんですけど。そこからが方針が定まらなくて。指せば指すほどおかしくなっていきましたね。そっちも笑ってたでしょ、阿久津さんも。あまりのひどさに(苦笑)」

阿久津「いやいやいや(笑)。途中から渡辺さんがどうリードを取って勝つかなという感じで見ていたんですが、かなり最後ヒヤヒヤする展開になって・・・」

 糸谷八段は龍を逃げず、自玉の上部に迫る相手の馬を取ります。形勢はいよいよあやしくなってきました。

糸谷「飛車(龍)と馬の交換になったところは、逆転とまではいかないけど、なにかあるんじゃないかと、難しくなったんじゃないかと思ったんですけど。うーん、なんかちょっとそこでわかんなかったですね。その前が明確に負けそうだったんで、ちょっと難しくなったと思ったですけど」

 終局直後、糸谷八段はそう述べていました。その場面は感想戦でも検討されています。

糸谷「ここで手が見えなかったんですよね。なんかありましたかね、ここ」

渡辺「いやあもう(自分自身に)あきれかえってたんで」

 正確に指し進めれば、やはり渡辺棋王がよさそう。しかし猛烈な追い上げをくらった実戦の中で、そう指せたかどうかはわかりません。

渡辺「そんな冷静な思考回路じゃないからね、ここは。もうカッカ来てるから(苦笑)」「こっちはもう冷静じゃないからね。時間もなくなってきて、形勢も追い込まれてるし」

 糸谷八段は冷静に対応されては足りないと見て、112手目、歩頭に桂を跳ね出す攻防手を放ちます。

糸谷「勝ち筋があるならこれかな、と思ったんですけど」

 桂を歩で取らせ、空いた空間に銀を打って渡辺玉に迫りました。持ち時間4時間のうち、残りは両者ともに7分。いよいよクライマックスです。

 糸谷玉は詰むのかどうか。もし詰みがあるとすれば簡明です。しかしこれが糸谷八段が用意していた逆転のストーリー。

 渡辺棋王も詰みは読んだものの、はっきりしない。局後に改めて検討してみたところ、糸谷玉は詰みません。

渡辺「いやあ、これ詰まないんだ・・・」

糸谷「これが罠なんですけど」

 渡辺棋王はからくも罠をかいくぐりました。

渡辺「いやあ、これ(糸谷玉を詰ましに)いかなくてよかったわ(苦笑)。向こうを詰ましにいくか、こっち(渡辺玉)が詰まないのを見るか、どっちかだと思ったんですけど。自玉が詰まない方を読むのが簡単かと思って。第一感は両方あるなと思ったんですけど。いやあでも二分の一だから、けっこう危ないですよね。もう追い込まれてるし。(糸谷玉は)詰んでないのか、そもそも」

 115手目。渡辺棋王は7分のうち3分を使って、からくも踏みとどまりました。5筋から飛車を打ち、8筋の糸谷玉に王手をかけます。これは相手玉を詰ませにいった手ではありません。6筋に歩の合駒を打たせることによって「二歩」(にふ)の禁じ手を生じさせ、自玉の詰みをなくすのが真のねらいです。

糸谷「飛車打たれてちょっとダメですよね。そうですよね、歩を打たされて。しかし他の勝負の仕方がわからなかったんですよね」

 他の順も検討されましたが、そちらは比較的糸谷玉が寄りやすく、渡辺棋王が勝ちやすいようです。

渡辺「これはでも読みきれてなくても、進めれば勝ちますね(笑)」

糸谷「いや、そうですね」

渡辺「進めたらこうなって『あー、ラッキー、詰んでる』みたいな」

糸谷「じゃあ本譜か、やっぱり」

 絶望的な局面から猛烈な追い上げを見せた糸谷八段は見事でした。渡辺棋王に迫った難解な二択のうち、一方は勝ちという局面にまでこぎつけていたわけです。

糸谷「ちょっと本譜、ワンチャンス来たと思ったんですけど。そうか、やっぱり足りないですね。最後の瞬間だけはなんかあってもおかしくないと思ったんですけど」

渡辺「いやあ、おかしくないですよね、もう。ありえないよなあ・・・やってることが(苦笑)」

青野「一手違いになると思わなかった」

渡辺「ええ」

 糸谷八段は王手龍取りをかけて自玉に迫る龍を抜く抵抗を見せましたが、

渡辺棋王は正確に糸谷玉を受けなしに追い込んでいきます。

 133手目。渡辺棋王は角を打ち、糸谷玉に詰めろをかけます。有効な受けは難しく、渡辺玉に詰みはありません。糸谷八段は左手を頭にやりました。

記録「30秒。残り3分です。40秒」

糸谷「負けました」

 19時1分、糸谷八段が投了を告げ、両対局者は一礼。さしもの熱戦も幕を閉じました。

渡辺「いやあ、ひどい・・・」

 勝った側の渡辺棋王が、開口一番、そうぼやきました。冷や汗の勝利の末、棋王位9連覇まであと1勝とこぎつけました。

渡辺「(第4局は)日程的にはすぐなんで、流れを切らないようにがんばりたいと思います」

 一方の糸谷八段はカド番に追い込まれました。

糸谷「星勘定はわるくなったんですけど、トーナメントと思ってがんばります」

 糸谷八段は今期、敗者復活戦から勝ち上がり、広瀬章人八段に挑戦者決定戦で2連勝しています。五番勝負のゆくえは、まだまだ最後までわかりません。

 渡辺棋王と糸谷八段の対戦成績は、渡辺17勝、糸谷6勝となりました。

将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)など。

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