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よもやよもや! 羽生善治九段(50)深夜の大逆転で佐藤康光九段(51)を降しA級順位戦2勝目

松本博文将棋ライター
(記事中の画像作成:筆者)

 11月23日。東京・将棋会館において▲羽生善治九段(50歳)-△佐藤康光九段(51歳)戦がおこなわれました。

 朝10時に始まった対局は、日付が変わった深夜0時50分に終局。結果は147手で羽生九段の勝ちとなりました。

 羽生九段はこれで2勝3敗。敗れた佐藤九段は3勝2敗となりました。

羽生九段、おそるべき底力を見せつける

 後手番の佐藤九段の作戦は二手損向かい飛車。金銀2枚で、木村義雄14世名人が得意とした「木村美濃」に組みました。

 佐藤九段は本局、「探究」と揮毫された扇子を手にしていました。これは藤井聡太王位・棋聖が棋聖位を獲得した際に作られたものです。

 羽生九段は金銀4枚で玉を固めます。羽生九段は玉の堅さ、佐藤九段はバランスを主張する構図となりました。

 佐藤九段は羽生陣に角を打ち込んで引き成り、馬を作ります。対して羽生九段は手に乗って飛車を中央5筋に回りました。

 夕食休憩後、佐藤九段は歩を取りながら、中段に桂を跳ねていきます。対して羽生九段は57手目、その桂取りに▲2六歩と打ちました。佐藤九段が桂を捨てて攻めて来ようとしているところですので、これは決断の一手でした。

 佐藤九段は桂を捨てる代償に△3七歩成と、と金を作ります。このと金がはたらくかどうかが、本局の大きなポイントでした。

 ABEMA解説の木村一基九段は次のように語っています。

木村「早く△4七と、△4六とと、2手指したいわけですよ。その2手が実現すれば、どんどんどんどん楽しくなって、と金寄せていけば全部駒が取れていけますからね。本当ならば羽生さんがトイレに行ったスキに2手指したいんです。ダメなんです。(2手指しの反則で)負けちゃうから。本当はだけど、それぐらいと金を使いたい気持ちだと思いますね」

 木村九段の解説通り、確かに2手指せれば佐藤九段がよさそう。しかしルール上、そうはできないわけですから、そこでは羽生九段ペースのように見えました。

 羽生九段は得した桂を打って攻めていきます。

 自陣に脅威が迫る中、佐藤九段は△4七と、と寄せていきます。これは思い切った勝負手でした。

「いやいやいやいやいや・・・」

 羽生九段からはそんな声が聞かれました。

 対局室に戻ってきた佐藤九段。上座に行きかけて、自分の席はそちらではないことに気づいて、下座の方に向かいます。

 羽生九段はこのあたりでどうも、攻めあぐねた様子が見られました。佐藤陣の金銀はいつしか連結。そして羽生陣に作られたと金が活躍する展開となって、流れは逆に佐藤ペースとなりました。

 84手目。佐藤九段は羽生陣に2枚目のと金を作ります。それも飛車あたりで好調子です。

 羽生九段は飛車をどこに逃がすべきか。常識的には3筋がよさそうです。そこをあえて、羽生九段は2筋に飛車を逃がしました。

木村九段「そしたら▲2九飛車と。全然違うと。もう何かを超越してる。考えてることが違うわけですね。全然解説で触れもしないところに飛車が行って。(胸をそらして)いや別に私、解説適当にやってるわけじゃないんですけど。全然わかりません、はい。なんだこれは、というね」

 常識を超越した、この一手の是非については何とも言えません。しかし羽生九段はそうしてこれまで勝ってきたわけです。

 形勢ははっきりと、佐藤九段よしとなりました。

 100手目。佐藤九段は7分を使って桂を打ちました。これが厳しい寄せです。持ち時間6時間のうち、残りは佐藤6分、羽生25分。佐藤九段の方が時間が切迫しています。しかし形勢ははっきり勝勢でした。

 佐藤九段は前傾姿勢。盤面を映すカメラには、佐藤九段の前髪が映ります。佐藤九段のと金はついに、羽生玉に王手をかけるところにまで迫りました。

 筆者はこのまま羽生九段が負けてしまうのではないかと思って、過去のデータを調べていました。

 羽生九段はもし負けたら1勝4敗となります。それはA級陥落を心配しなければならない星です。

 羽生九段は1993年にA級に昇級して以来、名人位9期、A級19期の実績を積んできました。その間、A級5局目の時点で1勝4敗以下だったのは、1998年度、ただ1回しかありませんでした。

「羽生四冠も順位戦でよもやの3連敗」

 当時の観戦記(「毎日新聞」1998年12月1日朝刊)にはそう記されています。羽生九段がA級で最終的に負け越したのは、その年度(3勝5敗)と昨年度(4勝5敗)の2回だけです。(詳細は本記事最後の表を参照)

 

 0時を過ぎ、日付が変わります。羽生九段は5分考えて、佐藤陣に飛車を打ち込んで下駄をあずけました。残りは18分。

 佐藤九段は最後の1分を使って、ついに「一分将棋」となります。深夜の順位戦。こうした状況から、数え切れないほどドラマは起こって来ました。しかしこの時点でドラマを予感していた人は、どれほどいたでしょうか。

 秒を読まれる中、佐藤九段は羽生玉に迫っていきます。羽生玉は依然大ピンチ。しかし佐藤九段が最善のすっきりした寄せを逃した雰囲気はあります。

 桂を打って王手をされた羽生九段。わずかに残した時間を使って考えます。佐藤九段はその間、身体が前後に大きく揺れ、盤上を映すカメラには、頭が大きく映ります。

 正座にすわり直した羽生九段。残りは9分となりました。そして「桂先の玉、寄せづらし」の格言通り、桂の頭に玉を逃げます。相手の攻め駒に近づいて怖いようでも、これが正着です。

 攻防ともに秘術を尽くす羽生九段。そうしてこれまで、何度も大逆転劇を演じてきたわけです。

 形勢はまだ佐藤九段よし。しかし金3枚に馬まで守備についていた佐藤玉は、いつしか危なくなりました。対して攻防によく利く馬が消え、絶体絶命に見えた羽生玉は包囲網が解かれていきます。

 よもやよもや――。

 本局もついに逆転しました。

 ソフトの評価値の推移を見れば「大逆転」と言ってよさそうです。ただ、それだけで軽々に「大逆転」と言うのは、将棋を伝える側が慎むべきところではあります。

 しかし解説陣の反応からしても、多くの観戦者の目からしても、本局はやはり大逆転と言っていいのではないでしょうか。

「いやー」

 佐藤九段はそう何度も口にしました。両雄は本局が164回目の対戦となります。その中には、羽生九段が大逆転した例もまた、何度もあります。

 139手目。羽生九段は王手から逃れて端に逃げます。序盤で突き越した端が大きく生きる展開となったわけです。

 佐藤九段はがっくり肩を落としました。そして気を取り直すように指し続けます。

 羽生玉はついに逃げ切りました。そして羽生九段に手番が回ってみると、佐藤玉には十数手の即詰みが生じています。

 羽生九段は手を震わせながら、佐藤玉に王手をかけていきます。佐藤九段は何度か、中空を見つめました。

 147手目。羽生九段は2枚目の角を打ちます。王手。これで佐藤玉は詰んでいます。

「負けました」

 佐藤九段は投了を告げて一礼。長い対局が終わりました。

「▲2六歩はやりすぎましたか?」

 終局直後、羽生九段はそう言ったように、筆者には聞こえました。

 佐藤九段は、それにはすぐに答えが出なかったようです。「探究」と書かれた扇子を広げて何度かあおぎました。

「いやあ、しかし弱すぎましたね・・・」

 佐藤九段はしぼり出すような小さな声でそう言ったように、筆者には聞こえました。

 両雄の164回目の対局は終わりました。通算成績は羽生九段109勝、佐藤九段55勝となりました。

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将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)、『など。

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