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将棋用語の「カド番」

松本博文将棋ライター
(画像撮影:筆者)

 5月16日(木)・17日(金)。佐藤天彦名人に豊島将之二冠(王位・棋聖)が挑戦する名人戦第4局が、福岡県飯塚市でおこなわれています。

 豊島挑戦者が先手で、戦形は角換わり腰掛銀。双方動きの難しい中盤戦となり、膠着状態のまま、第1局のように千日手になるかとも思われました。しかし豊島挑戦者が決断して打開。1日目の対局が終了しました。2日目からは、激しい戦いになることが予想されます。

 名人戦は七番勝負ですので先に4勝をあげた方がシリーズを制することとなります。第3局を終えた時点での結果は、豊島挑戦者が3連勝。豊島挑戦者はあと1勝をあげれば、初の名人位獲得となります。

 佐藤名人の立場からすれば、名人位防衛のためには、もう1敗も許されません。囲碁・将棋界ではこうした状況を「角番」(かどばん)と呼んでいます。

 カド番に追い込まれた佐藤名人が、苦しい立場にあるのは間違いありません。しかし何が起こるのかわからないのが、昨今の将棋界です。

 3連敗の後に4連勝で大逆転という例は、将棋の名人戦では、いまだかつて実現されていません。しかし他のタイトル戦では2回ほど、そのミラクルが起こっています。最後の最後まで、どうなるかはわかりません。

「角番」という言葉

 ところで「角番」という言葉が使われているのは、囲碁・将棋界だけではありません。使用頻度としては、むしろ相撲界の方が多いのではないでしょうか。

 現在のニュースヘッドラインには、たとえば次のような記述があります。

 休場の貴景勝 来場所はカド番 八角理事長「それを考えるとストレスになる。体を治すことに集中を」(『スポーツニッポン』2019年5月16日)

 右膝のケガで今場所の休場が決まった貴景勝関。規定により、来場所には勝ち越さないと、大関の地位から陥落することになるそうで、なんとも厳しい話です。

 代表的な辞書には、「カド番」の語釈は以下のように記されています。

かどばん【角番】

(1)囲碁や将棋で、あらかじめ対局数をきめて勝負を行なう場合、負け越している側からみて、あと一敗すれば負けがきまるという対局。

(2)相撲で、負け越せば番付の地位が下がるという場所や状態。

出典:『精選版 日本国語大辞典』

かどばん【角番】

(1)囲碁・将棋などで、何番勝負かを行ううちの、それで勝敗が決まるという局番。

(2)相撲で、その場所に負け越せばその地位から転落するという局面。「―大関」

出典:『広辞苑』第7版

 これらの辞書では、用例が古い順に並べられています。

 『広辞苑』では「角番」の項目は初版(1955年)にはありませんでした。第2版(1969年)で初めて登場し、その時には上記(1)の囲碁、将棋での意味だけが記されていました。後の第4版(1991年)になってようやく、(2)の相撲での意味も追記されています。

 要するに「カド番」とは、もともとは囲碁・将棋界で使われ始めた言葉で、後に相撲界でも使われ始めた、と言ってよいようです。

 相撲界の文献には、以下のように記されています。

かどばん【角番】

「大関は、二場所連続して負け越したときは降下する」と『寄附行為施行細則 附属規定』の『番附編成要領』に定められており、一場所を負け越して、次に迎えた場所を通称で「角番」という。角番となった大関を俗に「角番大関」という。囲碁や将棋の七番勝負で負けが決まる一局を「角番」ということに由来する。

出典:『相撲大事典』(2015年第4版、金指基著、日本相撲協会監修)

 ではいつ頃、どのような人(たち)が「カド番」という表現を使い始めたのでしょうか。筆者はその点、厳密にはよく知りません。ただし、何紙かの新聞データベースで明治以来の記事を検索してみると、おおよその傾向はつかめました。

 「カド番」という言葉、囲碁・将棋の記事では、おおむね1940年代頃から使われています。一方で相撲は1960年代頃から。なるほど、少し囲碁・将棋の方が先行していた感じです。

 囲碁・将棋界から始まり、相撲界でも定着した「カド番」という言葉。番勝負という点では、たとえば全7戦おこなわれる野球の日本シリーズで使われてもよさそうです。しかしそうしたことは、ほとんどないでしょうか。

 余談ながら、日本シリーズで一方のチームが先に3勝して「王手」をかけ、もう一方のチームが3勝して追いついた際、「逆王手をかける」という表現は頻繁に使われます。実はこの表現については、ちょっと物申したい、という将棋愛好者は多い。それを詳しく説明するには長くなりそうなので、いずれ稿を改め、記事にしたいと思います。

【追記】

日本シリーズで3勝3敗に追いつくことを「逆王手」と言うのは誤用? 将棋ライターから見た「逆王手問題」

 カド番のつらさ

 現在の日本の囲碁、将棋の番勝負では、どの対局もハンディなし(囲碁なら互先、将棋なら平手)が原則です。そして一局ごとに先後を交代し、どちらかが過半数局を制した時点で終了、という形式でほぼ統一されています。

 かつては対局者の間に段位や実績などで格差がある場合、ハンディを設けるなどして、対局条件(手合)を細かく設定することがありました。

 伝統的には、何局か対局しているうちに対戦成績で4番差がついた時点で、手合が改められていました。これを囲碁なら「打ち込み」、将棋なら「指し込み」と言います。

 打ち込まれること、指し込まれることは、碁打ち、将棋指しにとっては、時に喩えようもないほどに屈辱的なことでした。そして、次の一番に敗れると、打ち込み、指し込みとなる状況もまた「カド番」と言われました。

 将棋史上、カド番に追い込まれるつらさという点では、かつての王将戦「指し込み七番将棋」にまさるものはないかもしれません。

 戦後まもなく始まった王将戦では、複雑な経緯の末、3番差で指し込みとなるという恐ろしいルールが設定されました。つまりは冒頭で2連敗したら、いきなり指し込みの「カド番」となってしまうわけです。

 当時の王将戦は、3番差がついた時点でシリーズの勝敗は決着します。しかし番勝負はそこで終わりません。「半香」(平手と香落、2局1組の手合)に指し込まれた敗者は放免されず、2局に1局は相手に香を落とされる番勝負を指し続け、最後の7局まで指すという決まりとなっていました。

 王将戦の指し込み規定の元では、棋界最高権威の名人も例外ではありませんでした。木村義雄、大山康晴はいずれも、将棋史を代表する大棋士です。しかしその両者は名人在位中、王将戦七番将棋で、次に負けたら半香に指し込まれるという「カド番」に追い込まれています。その時の木村名人、大山名人の立場は、今では想像できないほどに深刻なものだったでしょう。

 両名人をカド番に追い込み、さらには半香にまで指し込んだのが天才・升田幸三でした。将棋史上のハイライト中のハイライト・・・ですが、かつての王将戦の話はまた日を改めてお話できればと思います。ちなみに現在の王将戦七番勝負では、指し込み制はありません。

 さて、名人戦七番勝負第4局。歴代の大棋士たちは、追い込まれた時にその真価を発揮してきました。3連敗でカド番に追い込まれた佐藤天彦名人。粘り強い、現代の受けの達人として知られる名人が、この苦境をしのぐことができるのか。注目の一番です。

将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)、『など。

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