さよなら、将棋界の聖地・みろく庵

みろく庵の肉豆腐、餅入り(撮影筆者)

 3月いっぱいでみろく庵が閉店――。

 2019年3月7日。衝撃のニュースが将棋界を駆け抜けた。東京・千駄ヶ谷の将棋会館に近い飲食店「みろく庵」が今年3月31日(日)をもって閉店するという。

 みろく庵が創業したのは、ちょうどう37年前。地元千駄ヶ谷の人々に愛され、また将棋ファンや関係者にとってはなじみの深い、知る人ぞ知る名店だった。

 藤井聡太現七段の出現によって加速した近年の将棋ブームの中、みろく庵は棋士が出前を注文する店として、大きく報道され続けてきた。「聖地巡礼」の対象一つとして、みろく庵もファンが訪れるスポットの一つとなった。

 それだけに、閉店に関する反響は大きかった。

 噂はTwitterによってまたたく間に拡散される。本当のことなのだろうか。筆者はすぐにみろく庵に電話して確かめた。

「残念ですけれど・・・」

 電話の向こうからは、本当に残念そうな、女将さんの檜垣ゑり子さんの声が聞こえてきた。なんということか。夜23時過ぎ。筆者はあわてて店舗を訪ね、改めて、その経緯について聞いた。

2019年3月7日夜、閉店が発表されたみろく庵(撮影筆者)
2019年3月7日夜、閉店が発表されたみろく庵(撮影筆者)

 今からちょうど37年前の1982年3月7日。檜垣善啓(よしひろ)さん、ゑり子さん夫妻は千駄ヶ谷の地にみろく庵をオープンした。その前日、店名の「みろく」の名の通りの3月6日に、前夜祭を開いたという。

 みろく庵はもともと、そばの専門店だった。そのうち、酒を飲む常連客の求めに応じる形で出される料理が増えていき、やがてメニュー豊富な居酒屋となった。

 近くにはヤクルトスワローズが本拠地とする神宮球場がある。スワローズの選手たちもみろく庵の常連だった。地域の多くの人々から愛された店だった。

 将棋界にとって1982年(昭和57年)とは、どんな年だったか。37年という月日の長さを測るべく、振り返ってみよう。

 「棋界の太陽」と呼ばれ、絶対王者に君臨していたのは、中原誠だった。そこに「神武以来の天才」と称された加藤一二三が名人戦七番勝負で挑戦し、悲願の名人位を獲得する。大山康晴や米長邦雄といった超一流は依然健在。次代を担うと目されていた谷川浩司がA級に昇級し、史上最年少名人へと駆け上がっていく。まだ小6だった羽生善治は、小学生名人戦で優勝し、奨励会に入会。アマチュア大会に出場する「指す将棋ファン」の数はピークに達し、伝説の真剣師・小池重明がアマチュアの星として輝いていた。

 みろく庵は、同じ千駄ヶ谷の将棋会館に、出前を配達するようになった。将棋会館から見ると、みろく庵は千駄ヶ谷駅の代々木寄りで反対サイドにあり、少し離れている。それでも迅速に、年中無休のみろく庵から食事が、毎日のように、将棋会館に運ばれてきた。

 筆者は2003年、一介の中継記者として、「名人戦棋譜速報」の立ち上げに携わった。名人戦七番勝負だけではなく、将棋会館で一年を通しておこなわれ続ける順位戦の中継を、来る日も来る日も伝え続けた。

 その過程で改めて確信したのは、ファンが注目するところである。盤上の推移は、もちろん重要である。しかしそれだけではなく、盤外のあれこれに、多くのファンは目を配る。現在では「将棋めし」と言い表すようになった、棋士の食事もまたその一つである。

 タイトル保持者やA級所属のスター棋士から、C級2組のベテラン、若手棋士まで、「名人戦棋譜速報」では、棋士が食事に何を注文したかが、すべて伝え続けられた。伝える側の筆者は、棋士と頼んだすべてのメニューを、必ず一度は注文した。みろく庵の定食やうどん、そばなども、どれほど撮影したかわからない。

 みろく庵はずっと繁盛していた。そこへ、降って湧いたような将棋ブームがやってきた。新人の藤井四段がデビュー以来無敗で、新記録の29連勝を達成する。その奇跡の過程の中で、藤井四段が頼んだみろく庵の食事までもが注目を集めた。

「2017年 東京写真記者協会賞・文化芸能部門賞」を受賞したのは、藤井聡太四段の注文したみろく庵の豚キムチうどんが、将棋会館に届けられる様子だった。

http://tokyoshakyo.org/results/index2017.html

 普段は将棋とは縁のないマスコミの取材が殺到し、多くの人がみろく庵に押し寄せる。それまで一日100食ほどだった売上が、一気に500食ほどになった。

 皮肉なことに、将棋ブームによって、みろく庵はピンチを迎えていた。現場ではたらく従業員の皆さんの負担は、並大抵のものではない。以前は4人いた板場は、現在では2人。現場の絶妙なコンビネーションで、多くの注文をこなしてきたものの、それにも限界はある。チェーン店でもないので、どこからも応援は来ない。病気やけがなどで1人でも休んでしまうと、もう店を回すのは無理という状況になっていた。

 ずっとがんばってきた店主の檜垣善啓さんは、74歳となった。ここ最近は、身体の不調も続いていた。

 そうした状況の中で、ビルの建て替え問題が起こった。2018年10月に賃貸契約の更新をして、ほどなくのことだった。2019年3月には、現在の店舗を、いったん立ち退かねばならないという。

 店をはじめて数年の頃、ビルのオーナーが代わった際にも、いろいろあった。しかし、当時はまだ、檜垣さん夫妻も若かった。

「絶対に店を続けていこう」

 そう思ったという。しかし、創業以来、もう36年もの歳月が流れていた。

「ある意味では、いい機会だったのかなと思います。何かがないと、なかなか(閉店)できないじゃないですか。どこかで区切りをつけないといけないから」

 ゑり子さんはそう語った。ビルを建て替えた後に、改めてもう一度、新店舗を構えればいい、という話もあった。しかしそれはもう、年齢的にも体力的にも難しかった。

「みろく庵で、36年。ちょうどいいんじゃないか」

 檜垣さん夫妻は、閉店を決意した。

 2019年2月。家主側からは、事情により、建て替えは中止になったと告げられた。一転して、現在の店舗で営業を続けられることは可能となったのだ。

 しかし従業員はすでに、4月以降の職を探していた。また檜垣さん夫妻も、一度閉店と決めた後で、気持ちを元に戻すことは無理だった。

「後継者を探せばいいじゃないか」

 そんな話も出たというが、それは難しい。これまで三十年以上にわたって築き上げてきたチームプレーがあったからこそ、これだけの仕事ができた。ゑり子さんは、そう振り返っていた。

2019年3月7日夜、みろく庵(撮影筆者)
2019年3月7日夜、みろく庵(撮影筆者)

 2019年3月7日。ちょうど創業から37年目の日。みろく庵から将棋会館に、閉店する旨が伝えられた。

「みろく庵が3月末で閉店する」

 その衝撃のニュースは、あっという間に将棋界に広まった。将棋連盟の経営陣のトップである佐藤康光九段(会長)、森内俊之九段、鈴木大介九段らは、その日のうちに店に駆けつけた。

 みろく庵創業よりも後の1984年に生まれた、現在34歳の渡辺明二冠(棋王・王将)も、みろく庵をこよなく愛する棋士の一人である。渡辺二冠からは以下のコメントをもらった。

「突然のことで驚いていますが、定食やうどんが好きでよく食べていました。肉豆腐定食はボリュームがあり、すき焼きうどんに餅を追加したりなど、ガッツリ食べたい時にはみろく庵さんに出前を頼んでいました。将棋ファンの聖地とも言えるお店がなくなるのは残念ですが、長い間、お疲れ様でした」

 筆者もまた、みろく庵の閉店を惜しむ者の一人である。多くの人たちとともに、改めて深く感謝の念を表したい。