バニーズ京都SCの松田望が史上6人目の300試合達成。17シーズンを駆け抜けた体と心の調整力とは

300試合出場を達成し、引退した松田望(写真提供:バニーズ京都SC)

【2020なでしこリーグ表彰式】

 なでしこリーグは1月17日、「プレナスなでしこリーグ・プレナスチャレンジリーグ2020」表彰式を行った。今年秋にWEリーグ(日本女子プロサッカーリーグ)が開幕するため、現行のリーグでは最後の表彰式となった。

 1部からチャレンジリーグ(3部)までの各賞が発表され、1部では、優勝した浦和レッズレディースのFW菅澤優衣香が、得点王(17ゴール)とベストイレブン、MVPの個人3冠を受賞した。浦和からは菅澤の他にGK池田咲紀子、DF南萌華、DF清家貴子、DF長船加奈、MF柴田華絵、MF塩越柚歩、MF水谷有希の7名がベストイレブンに選ばれており、森栄次監督体制2年目で完成度の高いポゼッションサッカーを見せた浦和の躍進を象徴する結果となった。

得点王、MVP、ベストイレブンの3冠と200試合出場を達成した菅澤
得点王、MVP、ベストイレブンの3冠と200試合出場を達成した菅澤写真:森田直樹/アフロスポーツ

 そのほか、2位のINAC神戸レオネッサからFW田中美南、3位の日テレ・東京ヴェルディベレーザからDF清水梨紗とMF長谷川唯がベストイレブンに選出された。新人賞は、INACのDF水野蕗奈が受賞。浦和、INAC、ベレーザの上位3チームはWEリーグに参入するため、アマチュア契約だった選手の多くがプロ契約になる。

 森監督は、「Jリーグが始まった頃のようなイメージになると考えています。これまで(浦和)は夕方にトレーニングしてきましたが、昼間になるなど環境の変化や、周りの見方も変わります。そういうところで、プロになるという認識を持たなければいけないなと思います」と、表情を引き締めた。

 表彰式では毎年、リーグで通算200試合出場と300試合出場を達成した選手に賞が贈られる。今年、200試合を達成したのは菅澤、FW高瀬愛実(INAC)、MF山崎円美(ジェフユナイテッド市原・千葉レディース)、FW安藤梢(浦和)、MF中島依美(INAC)の5名。300試合には、MF中野真奈美(ノジマステラ神奈川相模原)とMF松田望(バニーズ京都SC)の2名が名を連ねた。

 なでしこリーグは、年間34〜42試合を行うJリーグに比べて、18試合と試合数が少ない(*)。200試合を達成するためには、単純計算で最低10年、300試合なら15年以上かかる。300試合達成者は、1989年にリーグが始まって以来わずか4名。その4名は山郷のぞみ、澤穂希、小野寺志保、大野忍(敬称略)で、女子サッカー界をリードしてきた選手たちだ。

 今回、中野と松田がその記録に名を連ね、史上5、6人目となった。2人はともに34歳だが、10代からなでしこリーグでプレーし、コンスタントに出場し続けてきた。ピッチ状況や対戦相手、自身のコンディションなど、様々な要素に適応しながらピッチに立ち続けることができる選手は、後に続く選手たちに、前に進む力とヒントを与えてくれるだろう。

(*)リーグのレギュレーションは年によって異なるが、2000年以降は平均20試合前後。

【300試合出場達成の秘訣】

 300試合出場を達成した中野真奈美は、新シーズンはスペランツァ大阪高槻(今季1部)でプレーする。

 一方、松田望は、昨季終了後に引退を発表した。2003年にスペランツァF.C.高槻(現スペランツァ大阪高槻)でデビューし、岡山湯郷Belle(今季2部)などでプレーした後、14年からは地元の京都に戻り、バニーズ京都SCに加入。京都では2部とチャレンジリーグ(3部)で計7シーズンを戦い抜いた。

 柔らかいボールタッチとゲームコントロールのスキルを持つレフティーは、司令塔として長く活躍した。ボールをリズミカルに配給し、意表を突くパスでゴールを演出。運動量も多く、肩下まで伸びたストレートヘアをなびかせてピッチを縦横無尽に走る姿は、女性闘牛士のようなワイルドさがあった。

「あの年齢で、大きなケガをせずにフル出場を続けてきたことは、キングカズ(三浦知良選手)よりすごいかもしれません(笑)」

 そう話すのは、京都精華学園高校女子サッカー部の監督で、15年からバニーズのGMを務めてきた越智健一郎氏だ。松田は京都での7シーズン、全試合に出場。そのほとんどがフル出場だった。越智氏は、「彼女は自分の体もそうですが、サッカーをよく知っている選手です。ボールを離すタイミングや相手との距離の取り方などは、天性のものもあったと思います」と、ケガのリスクやコンディションに対する調整力の高さに触れた。

 歳を重ねても衰えを感じさせず、プレッシャーに晒されるポジションで長く戦い抜くことができた秘訣は何だったのか。松田は、こう明かしている。

「無理なプレーをさせられないようにすることです。体を張ってスライディングをしなくてもいいように、予測してプレーしたり、自分が不得意なことは得意な選手に任せて、自分の得意なプレーを生かせるようにチームメートとの役割分担を意識していました。私は体が強くないのでコンタクトプレーは避けて、相手にプレーを読まれた時には判断を変えられるようにしていました。『こういうプレーをするよ』と相手を騙して、その逆を狙うこともよくありましたね」

 試合の流れを読む試合勘は、ピッチに立ち続けることで研ぎ澄まされていく。その中で、駆け引きのスキルを状況に応じて使い分けるため、身体と同じぐらい頭も疲れさせたのだろう。「無理をしないこと」は、オフザピッチでも変わらないポリシーだった。

「食べたいものを食べて、寝たい時は寝ます。試合や練習で疲れた時はゆっくりお風呂に入ったりしますが、体のケアはほとんどしませんでした。コンディションは日々変わるので、毎日同じことをする必要はないんですよ」

 昨夏、コロナ禍でチーム練習ができなかった時期も、松田は「休める時に休まないといけないんですよ」と、マイペースを貫いていた。それでも、4カ月遅れで夏場に開幕したリーグでは18試合の連戦をケガなく戦い抜いた。心身を整える脳のコントローラーは、精密機械のように正確だったのだろう。

 ラストマッチの相手が、移管先の群馬FCホワイトスターになったのは、不思議な巡り合わせだった。昨年11月末に行われた皇后杯1回戦。バニーズが2点ビハインドで迎えた85分、松田は右からのクロスのこぼれ球に反応して左足を一閃。ゴールが決まったことを確認すると、すぐにボールを拾って、同点に追いつこうとチームを鼓舞した。その姿勢に応えるようにチームは攻め抜いたが、1-2で敗れた。そして、これがバニーズ京都SCと松田の最後の試合となった。

その左足から多くのゴールを演出した(写真提供:バニーズ京都SC)
その左足から多くのゴールを演出した(写真提供:バニーズ京都SC)

【スパイクを脱ぐ決断】

 昨季、バニーズはシーズンを通して低調で、リーグ戦の結果は2部最下位に終わった。今季WEリーグが始まる関係でなでしこリーグも再編成されたため、降格は免れたが、コロナ禍でチームは経営難に陥った。そこで、バニーズは今季なでしこリーグ2部に参入する群馬FCホワイトスターに移管され、「バニーズ群馬FCホワイトスター」として活動を継続することとなったのだ。バニーズの選手は17名が移籍、松田を含む6名が引退を発表している。

 昨夏のシーズン前にインタビューした際、松田は初対面にもかかわらず真面目な顔で冗談を言い、すかさず関西弁でツッコミを入れたりして、あっという間に話のペースを握られてしまった。そこで、個人的な目標を聞いた時の答えが印象に残った。

「例えば、お腹が空いている時の方が頑張れるじゃないですか。満たされてしまうとやる気が出ないんですよ。サッカーに対してもそうだと思います。少し飢餓感があるぐらいの方が頑張れる。試合中は、ある意味ずっと、『うまくいかへんな』と思っていますよ。だから、全部がうまくいったらサッカーをやめると思います。満足したい気持ちはあるけれど、満足したら終わっちゃう。だから、そういうもの(目標)を作りたくないんです」

 こんな風に考える選手がいるのだな、と新鮮だった。そして、この先も長く続くキャリアを想像した。松田は昨季限りでの引退を決めたが、やろうと思えば、今季だってプレーできるだろう。それなのに、なぜスパイクを脱ぐ決断をしたのか。

 決断の背景には、いくつかの理由が複合的に絡み合っていた。

「引退を決めたのは、シーズンが終わってからです。昨季は選手それぞれの、『どうしたら勝てるか』という思いにズレがあったと思うし、どうすることもできなかった自分に不甲斐なさを感じました。歳を重ねて、若い選手たちがどうしたら楽しくプレーできるかを考えることが多くなったのですが、その中で、自分が思う楽しさと若い選手たちが思う楽しさが違ってきた気がして、(これ以上は)もう、いいかな、と。これも時代の流れなのかもしれません。300試合を達成することができたし、チームも京都から離れてしまうので、『今が引き際かな』と思いました」

――サッカーをやり切った思いはあるのですか? 

 思わずそう問いかけると、松田は「そう思うことは、きっと一生ないと思いますよ」と答えた。

 松田が17シーズンを駆け抜けてきた原動力は、「大好きなサッカーを楽しくプレーして、見る人にも楽しんでもらいたい」という思いだ。より高いレベルでプレーすることや、代表に選ばれることにこだわった時期もあったというが、それは松田にとって、「楽しさ」の本質ではなかった。

 ピッチ上で仲間と同じ絵を描き、実現した時の喜び。相手との心理的・技術的な駆け引き。目標に向かって全員で積み上げていくプロセスーー。そうしたことに喜びを感じ、逆に、型にはめられて判断を奪われるような練習を嫌い、「こうしなさい」と指示されて何かに取り組むのは得意ではなかった。

「いいと言ってくれる監督もいましたが、私みたいな選手は、監督からすると難しかったんじゃないでしょうか?」

 松田は割り切ったように言う。

京都では背番号10を7シーズン背負った(写真:keimatsubara)
京都では背番号10を7シーズン背負った(写真:keimatsubara)

【女子サッカー選手へのメッセージ】

 1月17日の表彰式で300試合出場達成を表彰された松田は、VTRのコメントで各方面への感謝を伝えた。「今後もプレーする女子サッカー選手の皆さんが、楽しくサッカーできることを祈っています」と、最後に添えた、その一言が心に残った。メッセージに込めた想いを、松田はこう明かす。

「みんな、心からサッカーを楽しめているのかな?と思うことがあるんです。(代表やチーム名などの)肩書きを気にしたり、スパッとやめてしまう選手もいて、『この選手はいつまでもサッカーを楽しんで続けているだろうな』と思える選手が少ないように思います。次のキャリアを考えたり、どんなチームでプレーしているかも大事なことだと思いますが、もっとサッカーを好きになってほしいし、プレーすることに夢中になってほしいなと願っています」

 松田がデビューした2003年は、バブル崩壊と代表の低迷でリーグが陥った消滅の危機を乗り越え、徐々に回復しつつあった時代だ。トップリーグでさえ月謝を払い、試合などの遠征費は自己負担だった。その後、2011年のW杯優勝も転機となり、環境は良くなった。そうした中で、松田もサッカー中心の生活を送り、引退後のことは考えずに17シーズンを走り抜いた。

 今年秋に始まるWEリーグでは、多くの選手がプロのキャリアをスタートさせる。

 プロになると、肩書きや報酬、環境など、変わることは多くある。一方で、今までよりもさらに結果が問われるシビアな世界になるだろう。試合の結果もさることながら、「いかに多くのお客さんを呼ぶことができるか」が、選手の価値を決める一つのものさしにもなる。

 自身はプロのキャリアを歩まなかったが、「サッカーが持つ魅力をピッチで表現し、観客を喜ばせたい」という思いを貫き、大きなケガや病気をすることなくピッチに立ち続けた松田の生き様は、「プロとは何か?」という問いにヒントを与えてくれた気がする。

 最後に、試合ではいつも長い髪を結ばなかった理由を聞くと、「何かに縛られるのは、嫌なんですよ」と言って、松田は笑った。

 女子サッカー界が歩んだ激動の時代を情熱と信念で駆け抜けたアタッカーは、最後まで型破りな魅力を残して去った。

(※)インタビューは、オンライン会議ツール「Zoom」で行いました。