Yahoo!ニュース

なでしこの天才レフティーが引退。名選手は名監督になれるか(2)

松原渓スポーツジャーナリスト
名門、日テレ・ベレーザの下部組織出身で、10番も背負った(写真:築田純/アフロスポーツ)

 日テレ・ベレーザ(現日テレ・東京ヴェルディベレーザ)、ちふれASエルフェン埼玉(エルフェン)、INAC神戸レオネッサ(INAC)、日体大FIELDS横浜(日体大)などでプレーしたMF伊藤香菜子が、19年シーズン限りでの引退を発表した。

参照記事:なでしこの天才レフティーが引退。名選手は名監督になれるか

 伊藤は次のステップとして、エルフェンの下部組織、マリ(U-15・U-18)でコーチを務めることを発表している。

 エルフェンで18年から2シーズン、伊藤を指導した菅澤大我監督は、彼女の指導者としての資質を高く評価し、将来的に、「女性指導者の中ではナンバーワンの理論派のコーチになる資質があると思います」と期待を込めた。

 本編では、伊藤コーチ本人に、引退を決断した理由や、指導者としての考えなどをインタビューした。

伊藤香菜子コーチ(ちふれASエルフェンマリ)インタビュー(2月26日)

ーー20年間の現役生活お疲れさまでした。まずは、引退を決めた経緯を教えてもらえますか?

引退は、ここ数年考えていました。決断した一番の理由は、膝を悪くしてしまったことです。膝の軟骨で、自分で回復しない組織だから、手術がそう簡単にはできないんです。私は25歳で一度サッカーから離れて、復帰してからまた10年間プレーしました。後半の10年間は自分でもこれだけやれるとは思っていなかったんです。でも、本当に素晴らしい時間を過ごすことができましたし、『ここまでよくやれたな』、『いろんな人に支えられて、ここまでやらせてもらえた』と思って、引退を決めました。

ーー長く一緒にプレーされた荒川恵理子選手も引退を惜しんでいました。現役生活を振り返って、印象的だったことはありますか?

ガンちゃん(荒川恵理子)は、自分がパスを受けて、左足にボールがきそうな時に、絶妙なタイミングで裏に走ってくれているんです。それはあうんの呼吸というか。あのタイミングとかコースは、すごく自分も心地よかったですね。出しがいがありました。ベレーザ時代は、(大野)忍も動き出しが秀逸で、パスを出しやすかったですね。

ーー2001年には19歳で代表に入りました。当時の代表の雰囲気はどうでしたか?

当時の代表には、大部由美さん(現なでしこジャパンコーチ)、磯崎(現・池田)浩美さん(尚美学園大学女子サッカー部監督)、山郷のぞみさん(エルフェンヘッドコーチ)など、大先輩方がいて、幼くて甘さもあった私は背中を見せてもらいましたね。ある重要な試合で負けそうだった時に、ベンチの隣に座っていた磯崎さんがものすごく危機感を漂わせているのを真横で見て、代表ってこういう場所なんだと、国を背負うことの意味を考えさせられました。

ーーその中で、現役引退を決断したのはいつ頃だったのですか。

20シーズンの現役生活にピリオドを打ち、指導者として新たなスタートを切った(筆者撮影)
20シーズンの現役生活にピリオドを打ち、指導者として新たなスタートを切った(筆者撮影)

昨年12月に決めて、お世話になった方々に直接報告をしに行ったんです。そうしたら、会う人みんなが「やれるならあと1年やりなよ」とか「もったいないよ」と言ってくれて。強い覚悟を持って引退を決断したので揺るがないと思っていたのですが、ものの見事に揺らいでしまったんです。それで、膝とうまく付き合いながら現役を続けるか昨年の年末まで悩みに悩みましたが、最終的には、かねてよりイメージしていた指導者の道を、お世話になったエルフェンでスタートさせたいという考えに至りました。

ーーもともと、現役引退後は指導者になりたいと考えていたんですか?

以前は自分が指導者に向いているとはまったく思っていなくて、現場よりもフロントに興味がありました。でも、2017年に日体大に移籍して、大学院でコーチング学の勉強をさせてもらったんです。そこで、コーチング学の伊藤雅充教授と出会ったんです。話しているだけで自分の可能性を広げてくださる感覚があって、衝撃的でしたね。サッカー選手として幅を広げたいと思って学ぶことにしたのですが、そこでの学びがとても刺激的で、その時から指導者になるイメージを持ち始めました。

ーー伊藤コーチが持っているサッカーセンスを言葉で伝えるのは難しそうですね。どう伝えていくか、イメージしていますか?

選手によって骨格とか筋肉のつき方が違うので、ボールの蹴り方も、その選手にとって一番心地良い感覚があると思います。それを最大限に尊重して、感覚を掴むプロセスをどれだけサポートできるかだと思います。大切なことは『指導者がどう教えるか』よりも、『選手がどう学ぶか』ですから、何が正解かを教えるのではなく、コツやプロセスを伝えられたらいいなと。そのための引き出しは多く持っていたいですし、どれだけ練習で夢中にさせるかが指導者の力量だと思います。

ーー一人ひとりと向き合うということですね。

それはいちばん大事なことだと思います。私がみているのは主に中学生年代ですが、4月から新たに1年生が入って43人になるんですよ。今はまだ就任したばかりで大きな問題にはぶつかっていませんが、今後、未来のある若い選手たちと向き合う中で壁に当たったり、傷を負うこともあるかもしれませんが、そういう経験もしていかなければ自分が(指導者として)成長できないのではないかなと思います。

ーー現役時代を振り返ると、指導者の影響は大きかったと思いますか?

それは間違いなくあります。振り返ってみると、指導者の方々の振る舞いとか練習の作り方、練習の内容が試合にどうつながっていくか、ということには昔から敏感でしたね。

ーー今日の練習では、冷静に論理的に教えている印象を受けました。

ありがとうございます。2月から指導に参加して、徐々に慣れた中で、実は自分が仕切る時間をいただいたのは今日が初めてだったんですよ。3つのメニューをやろうと計画していたのですが、最初のメニューが長引いて、その後はメニューを回すことに意識がいってしまい、選手の目や表情が「乗っていないな」と感じてパニックでした(笑)。ただ、これが現実です。今日の映像を確認したら暗澹たる気持ちになるでしょうけど(笑)、そういうことをひたすら改善して繰り返して、コーチングスキルを上げていくつもりです。

――そうだったんですか! 初めてだとは思いませんでした。ボールを「止める」、「蹴る」技術を、実際にボールを使ってわかりやすく示していましたね。

「止める」「蹴る」の正確さと速さは大事ですし、相手の逆を取る技術を持っていれば試合でやれることが増えると思います。一回腑(ふ)に落ちて感覚を掴めば、実戦でも相手の逆を取れるようになっていくと思うんですよ。

ーー現役生活を終えて、指導者の生活スタイルには慣れましたか?

現役生活をやめたらものすごく太るんじゃないかと想像していたのですが(笑)。トレーニングをしているので、実際はそんなに増えませんでしたね。今後は週6回のペースで指導現場に立つ予定です。まだまだ動いて選手たちと一緒にボールを蹴りたいですし、指導者としてのコンディションを作らなきゃ、と思って生活しています。

ーー指導者としての目標や、育てたい選手のイメージはありますか?

ボールさえあれば、サッカーはいつでも、どこでも、誰とでもできる懐の深いスポーツだと思うんです。ただ勝利を追求するのではなく、そういうサッカーの奥深さも知っていってほしいなぁと思っています。主に中学生年代の選手たちを指導するので、まずはプレーでできることを増やして欲しいし、選手としての幅を広げさせてあげたいです。(下部組織U-15の)43人の選手たちと、お互いに成長していきたいですね。

スポーツジャーナリスト

女子サッカーの最前線で取材し、国内のなでしこリーグはもちろん、なでしこジャパンが出場するワールドカップやオリンピック、海外遠征などにも精力的に足を運ぶ。自身も小学校からサッカー選手としてプレーした経験を活かして執筆活動を行い、様々な媒体に寄稿している。お仕事のご依頼やお問い合わせはkeichannnel0825@gmail.comまでお願いします。

松原渓の最近の記事