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英国のトラス新首相の「成長ダッシュ」戦略の落とし穴(上)

増谷栄一The US-Euro Economic File代表
英国の新首相に就任したトラス前外相が大規模減税策を発表=スカイニュースより

与党・保守党を率いるジョンソン首相の党首辞任発表(7月7日)を受け、事実上の次期首相を決める戦いで、リズ・トラス英外相がリシ・スナク前財務相に勝利し、9月5日、新首相に就任した。就任直後、トラス新首相は未曾有の高インフレと生計費危機に苦しむ英国経済を再生させるため、推定1500億ポンド(約23兆円)のエネルギー価格保証プログラムと300億ポンド(9月23日発表の補正予算で450億ポンド(約7.3兆円)に上方修正)の減税措置からなる「成長ダッシュ」(Dash for Growth)戦略を発表した。

特に、国民のエネルギー(電気とガス)料金の上限を2024年までの2年間、現行の年間2500ポンド(約40万5000円)で凍結するエネルギー価格保証プログラムは多くのエコノミストがインフレを急速に低下させる可能性が高いと歓迎しているが、その一方で、英ポンドは9月7日に続いて同16日にも、一時、ドルに対し、1985年以来37年ぶりの安値(1ポンド=1.14ドル)に落ち込み、ドルとパリティ(1ポンド=1ドル)になるとの懸念も広がっている。

イングランド銀行(英中銀、BOE)のアンドリュー・ベイリー総裁はこの戦略によって今後、インフレと戦う努力(積極的な利上げ)を遅らせるとの思惑や、英国はすでにリセッション(景気失速)になっており、インフレが悪化するとの見方がポンド安の背景となっている。ポンド安が進めば輸入物価が加速。全体のインフレも上昇し、BOEのインフレ抑制が一段と困難になる。

米投信運用大手フィデリティ・インターナショナルのトム・スティーブンソン氏はテレグラフ紙(9月8日付)で、「英国の経常赤字が対GDP比10%に近付いているため、この赤字を埋めるための外資を十分に獲得できなければ、英ポンドはさらに15%下落する必要がある」とし、ポンドがドルとパリティに向かうと指摘する。

また、英紙デイリー・テレグラフの経済コラムを担当するジェレミー・ワーナー氏は9月13日付コラムで、「トラス首相の成長ダッシュ戦略(首相の名前にちなんだトラソノミクス)は過去の保守党政権の歴史の中で4番目の試みとなるが、過去3回はいずれも最終的には破綻に終わった。トラス首相も保守党の過去の過ちを繰り返すリスクが高い」と警鐘を鳴らしている。

特に、新財務相となったクワシ・クワーテン議員は保守党のマーガレット・サッチャー元首相(在任期間1979-1990年)の急進的な経済政策(サッチャリズム)に焦点を当てた政治史「サッチャーのトライアル(Thatcher‘s Trial:180 Days that Created a Conservative Icon)」の著者としても知られるが、ワーナー氏は、「経済を回復させるためのアイデアを求めて、ナイジェル・ローソン元財務相(サッチャー政権の1983-1989年)の回顧録を読み返していると言われ、クワーテン氏自身の本にも大いに参考にされているが、クワーテン氏は(成長ダッシュ戦略には)落とし穴があることに気付く必要がある」と戒める。

ワーナー氏によると、テッド(エドワード)・ヒース元首相(在任期間1965-75年)は所得税減税や低税率のVAT(付加価値税)導入、銀行システムの自由化を実施し、2年間で10%の年間成長率の達成を目標に掲げたが、その結果、大規模な不動産バブルを引き起こし、バブル崩壊とインフレ上昇、公務員給与の引き上げ要求に直面。物価と賃金の抑制を余儀なくされた。ヒース政権が総選挙敗北の2年後、「(財政危機に陥った)英国は1976年にIMF(国際通貨基金)に緊急融資の支援を要請。英国経済史上、最も屈辱的なエピソードとなった」と指摘する。(『下』に続く)

The US-Euro Economic File代表

英字紙ジャパン・タイムズや日経新聞、米経済通信社ブリッジニュース、米ダウ・ジョーンズ、AFX通信社、トムソン・ファイナンシャル(現在のトムソン・ロイター)など日米のメディアで経済報道に従事。NYやワシントン、ロンドンに駐在し、日米欧の経済ニュースをカバー。毎日新聞の週刊誌「エコノミスト」に23年3月まで15年間執筆、現在は金融情報サイト「ウエルスアドバイザー」(旧モーニングスター)で執筆中。著書は「昭和小史・北炭夕張炭鉱の悲劇」(彩流社)や「アメリカ社会を動かすマネー:9つの論考」(三和書籍)など。

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