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英国のメイ首相のEU離脱協定案、議会承認の見通し立たず

増谷栄一The US-Euro Economic File代表

 

英議会でEU離脱協定案が唯一無二の案と訴えるメイ首相
英議会でEU離脱協定案が唯一無二の案と訴えるメイ首相

英国のテリーザ・メイ首相のEU(欧州連合)離脱協定案がきょう(1月15日)の下院本会議で採決される。しかし、議会の承認が得られる見通しは立っておらず、3月29日のEU離脱日まで残り2カ月余りと、時間切れが迫る中、メイ政権は苦境に立たされている。

 最大野党・労働党のジェレミー・コービン党首は昨年12月17日、メイ首相が議会で離脱協定案の承認を受けるために必要な「意味のある投票(EUとの最終合意に対する議会の拒否権行使)」の実施を1月に先延ばした責任を問うとして首相不信任動議を提出したが、不信任動議がメイ首相に対するものだったため、野党各党は政府に対する不信任動議でなければ総辞職か総選挙にならないとして賛同が得られず、政府からも討論に応じないと拒否され、事実上、ただのこけおどしに終わってしまった。しかし、政局混乱はピークに達したことを物語るのには十分だ。

 こうした異常事態を受け、政府は12月18日、いきなりノーディールによるEU離脱(クリフエッジ)の可能性がこれまで以上に高まったとして、国内の治安維持のため、3500人の兵士動員など厳戒態勢の準備に入る一方で、英国内14万社の企業に対し書簡を送りクリフエッジ(即時離脱)の対応策を準備するよう求めた。

 こうした中、英国メディアの間で政界の混乱を示す2つの言葉が話題となった。「Nebulous」と「Indicative Votes」がそれだ。前者は、EUサミットの最終日(12月14日)、全体会議の会場で、メイ首相が恐ろしい形相でジャン・クロード・ユンケル欧州委員会委員長の席に近寄り、数分間激しく議論する場面があったときに話題となった言葉だ。英紙デイリー・メールは、「ユンケル氏がサミット初日の会見で、メイ首相のことを「Nebulous(ぼんやりしている)」と言ったというのをメイ首相が側聞し、怒ったメイ首相がユンケル氏に「あなたは確かにそういった」と詰め寄った」と面白おかしく書いている。英放送局BBCや有力紙もこぞって書きまくった。

 デイリー・メールはさらに、この“珍事”を1984年の保守党のマーガレット・サッチャー元首相がEUから予算払戻金(リベート)を勝ち取った時、ハンドバッグを振り回した武勇伝になぞらえた。BBCなどのビデオ映像をみると、ユンケル氏は12月13日の会見で、「英国との将来の関係に関する議論はときどきNebulousで不正確なので、EU側からよりも英国がまず何を望んでいるか提案すべき」といっており、メイ首相が誤解したものだった。ユンケルは翌14日の会見で、「Nebulousと言った件については、メイ首相は最後には私にキスしてくれ、誤解が解けた」とジョークで切り返している。

 しかし、この発言は単なる笑い話では終わらなかった。英紙デイリー・テレグラフは、「ユンケル氏のNebulous発言で、メイ首相の粘り強くEUにバックストップ条項で譲歩を引き出すという戦略に狂いが生じ、ノーディールの可能性が一気に高まった」と伝えている。このユンケル発言に対し、BBC2の「ニュースナイト」番組の司会者マーク・アーバン氏も12月14日の放送で、「ユンケル発言は英議会の要求(法的拘束力のあるバックストップ条項の時限適用)がNebulousだと指摘したのも同然」と指摘したように、ユンケル発言は保守党によるメイ首相の党首罷免投票(12月12日)で不信任票を投じた117人(全体の37%)の欧州懐疑派に対する批判にほかならず、かえって欧州懐疑派を勢いづけるものとなったからだ。ユンケル氏もEU離脱)の議論がいまどこにあるの分からないという意味だ」と、本音を語っている。

 EUサミットではユンケル氏もEU加盟国もメイ首相に対し、法的拘束力のあるバックストップ条項の時限適用という修正要求は明確に拒否しており、メイ首相がEUとの再協議でバックストップ条項の修正を勝ち取ることはかなり難しいといえる。

 EU離脱協定案が暗礁に乗り上げている最大の原因は協定案に含まれている、南北アイルランドのハードボーダー回避のためのバックストップ条項にある。この条項はもし、EUと包括的な自由貿易協定で合意できなかった場合、英国と北アイルランド(英国領)がEUの関税同盟ルールが適用されるというもの。しかし、問題はEUとの自由貿易協定が失敗した場合、この条項が一時的(英国は1年を主張)ではなく、北アイルランドと本国の英国までが恒久的にEUの支配下に入るという法的解釈にある。この解釈が議会と政府の間の激しい応酬の末、ようやく公表されると、保守党内だけでなく、連立与党の北アイルランドの民主ユニオニスト党(DUP)や労働党など急進離脱派議員の反発を招き議会通過は困難となっている。

 もう一つのキーワード「Indicative Votes」は政府がメイ首相の離脱協定案を議会で可決させる戦略を指す。これは1月15日の離脱協定案の採決前に、政府案に対する法的拘束力のない修正法案を議員から次々と提出させ1件ずつ採決していくやり方で、メイ首相の離脱協定案に対し、ノーディールやノルウェー・プラス方式の自由貿易協定、2回目の国民投票などさまざまな修正案を議会で討論させ、最終的に首相案が最善の策と思わせ議会を通過させるという戦略だ。この方式だと、メイ首相の離脱協定案の採決は現地時間の午後7時半から同9時半(日本時間16日4時半から6時半)になるもようで、かなりの長丁場となる見通しだ。

 与党保守党の重鎮ウィリアム・ヘイグ元党首はテレグラフ紙の12月17日付コラムで、「メイ首相は2020年の次回総選挙前の辞任を表明したが、保守党内の首相罷免決議の投票(12月12日)を乗り越えたことで今後1年間はいじめられることがなく、Indicative Votesはメイ首相の承認がなければ法律にはならないので、メイ首相は大きな権力を得た」と指摘する。

 しかし、きょう15日の投票では保守党の110人の造反議員がメイ首相の離脱協定案に反対票を投じる見通しで、これに最大野党の労働党、連立与党のDUPも反対票を投じるため、メイ首相の離脱協定案が431票対208票、その差223票の大差(テレグラフ紙の予想)で否決される可能性が高い。このため、政府は否決された場合の“退路”として、メイ首相の側近は比較的多くの議員の支持が得られやすい2回目の国民投票を実施する計画を模索し始めた。国民投票は(1)メイ首相の離脱協定案を支持して離脱するか(2)EUに残留するか―の2者択一となり、うまくいけばメイ首相は引責辞任を免れるという算段だ。否決された場合の他のシナリオとしては、(1)ノーディール(2)3月29日の離脱日を7月まで延期しEUと再協議に入る(3)労働党は政府不信任動議を提出する構えなので総選挙に突入するーなどが有力となっている。

The US-Euro Economic File代表

英字紙ジャパン・タイムズや日経新聞、米経済通信社ブリッジニュース、米ダウ・ジョーンズ、AFX通信社、トムソン・ファイナンシャル(現在のトムソン・ロイター)など日米のメディアで経済報道に従事。NYやワシントン、ロンドンに駐在し、日米欧の経済ニュースをカバー。毎日新聞の週刊誌「エコノミスト」に23年3月まで15年間執筆、現在は金融情報サイト「ウエルスアドバイザー」(旧モーニングスター)で執筆中。著書は「昭和小史・北炭夕張炭鉱の悲劇」(彩流社)や「アメリカ社会を動かすマネー:9つの論考」(三和書籍)など。

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