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メイ英首相、四面楚歌でEU離脱協議の先行き不透明に(中)

増谷栄一The US-Euro Economic File代表

超党派のソフトブレグジット協議会設置

6月23日のEU首脳会談に出席したメイ首相=写真は英テレビ局「スカイニュース」より】
6月23日のEU首脳会談に出席したメイ首相=写真は英テレビ局「スカイニュース」より】

保守党のウィリアム・ヘイグ元党首が最近、デイリー・テレグラフ紙に寄稿した記事で、「メイ首相は、秩序あるEU(欧州連合)離脱を旗印に野党を含めた全党と経済界の総意を結集した超党派の協議会を発足させるべき」という議論を展開し注目された。同氏は「協議会はEUからの移民抑制よりも英国経済の成長を優先すべき」とした上で、「EU離脱後は2年間だけ一時的にノルウェーのようにEU非加盟国がEUとEEA(欧州経済領域)協定を結びEU単一市場にアクセスする方式を採用すべき」と主張。このヘイグ議員の超党派構想はメイ首相にとって政権存続の助け舟となる可能性がある。保守党がDUPの支援で合意できたとはいえ、保守党からわずか7人の造反議員が出れば政府の法案が否決され政権維持が危うくなる。しかし、メイ政権がソフトブレグジット戦略に転換すれば野党第2党の自由党や労働党からも超党派で支持が得られるからだ。

ただ、デイリー・テレグラフ紙の政治部のケイト・マッキャン記者らは6月13日付電子版で、前出の超党派のブレグジット協議会が発足しない場合、「代替案として、労働党の議員有志でブレグジット合意に対する修正案を議会に提出し、EU残留支持派の保守党の造反議員が支持を表明してソフトブレグジットに変更することが考えられる」と指摘する。

こうしたメイ首相への批判が強まっている政治情勢の中、メイ首相は7月11日の会見で、ブレグジット協議を成功させEU離脱後の英国の将来を切り開くため、労働党だけでなく他の野党に対しても挙党一致で難局を乗り越えお互いに知恵を出し合うよう極めて異例な協力要請を行った。メイ首相は「すべての問題で合意ができなくても超党派で議論し協議することでより良い政策が見つかる」と主張したが、労働党幹部のアンドリュー・グイン議員は「メイ政権では政策も打ち出せないことを示した」と、冷ややかな反応だ。メイ首相の異例な野党への協力要請は保守党内で起こっている“メイ降ろし”の動きが強まる中で行われたことと無関係ではない。実際、デービッド・デービスEU離脱担当相の取り巻きの保守党議員らが夕食会を開いてメイ首相の交代を画策し始めたとの噂が流れた。しかし、メイ首相の野党への協力要請はこうした保守党内の造反を抑え込む効果を狙ったフシがあるが、逆に保守党内でメイ降ろしを強める結果にもなりかねず、依然として政権が安定する見通しはない。

EU協議がスタートも問題は山積み

これまでのところでは、EU離脱が逆戻りするという兆候は見られない。選挙後、メイ首相が高らかに宣言した6月19日からのEU離脱協議の開始は保守党内の内戦で遅れるとの観測が多くのメディアで見られたが、英国が6月16日までにEUが重視している1000億ユーロ(約13兆円)の債務返済問題とEU市民の英国での在留権問題を貿易協議より先に議論することで合意したことで予定通り1回目の協議を1日間だけ開くことができた。今後,両者は夏まで月1回のペースでテーマ別に協議を進め、EUは10月までに協議が十分な成果を挙げたかどうかを判断して次の段階に進むかを決める。

EU市民の英国での在留権問題については、6月23日のEU首脳会談で、英国がEU離脱後も英国に居住する320万人のEU市民の在留権を認める代わりにEUに居住する120万人の英国人の在留権が認められることで双方が合意し、ブレグジット協議は順調な滑り出しとなったかに見える。しかし、欧州議会は7月10日、EUのブレグジット交渉代表であるミシェル・バルニエEC(欧州委員会)委員(域内市場・サービス担当)に書簡を送り、在留権が5年以上英国に住んでいるEU市民に認められるとする英国の提案では、5年未満のEU市民の処遇について明確になっておらず相互互恵主義に反するとして、在留権に関する合意に対し拒否権を行使する意向を明らかにした。これはEU市民の在留権の問題が欧州議会の納得する形で解決されなければ、今後、EU離脱後の英国とEUの自由貿易協定など将来の関係を決めるいかなる協議にも進めなくなることを意味する。

在留権以外でも英国とEUとの協議の進展にはまだ多くの難関が立ちはだかる。一つの難関はEUが要求している英国の1000億ユーロの債務返済だ。EUはこの問題が解決しなければ離脱協議に入らないと主張している。もう一つの障害は保守党がブレグジットをめぐって内戦状態にあることだ。ロンドンに本拠を置くシンクタンク、欧州改革センター(CER)のシモン・ティフォード副所長は、米経済専門オンラインメディア、米経済専門オンラインメディア、CNNマネーの6月15日付電子版で、「EUは英国がブレグジット協議の進め方でコンセンサスができて初めて協議できる」と指摘する。

ティフォード副所長は、「英国があくまでも非妥協的な態度をとればEUも強硬策に出る。EUは交渉前に巨額の資金返還を要求するが、英国が何らかの柔軟姿勢を示せばEUは4つのシナリオを検討する」という。4つのシナリオとは(1)英国は方針を変更しEU残留が認められる(2)英国はEUを離脱するが、ノルウェーやアイスランド、リヒテンシュタインのようにEEA(欧州経済領域)協定を結びEU単一市場にアクセスする。しかし、これはEUからの労働者の受け入れを意味する(3)英国はEUを離脱するが、EUと自由貿易協定と英国経済が調整に必要な移行期間を協議する(4)英国はEUと衝突し貿易障壁に直面する―というものだ。

一方、EUは初会合前から英国に圧力をかけ始めていた。EUは6月13日に金融サービス取引のユーロ建て決済を行うクリアリングハウス業務(商品取引や金融先物取引の決済業務)をユーロ圏に限定する規則案を発表した。これは英国がEUを離脱すれば1日あたり1兆5000億ドル(約170兆円)といわれるクリアリングハウス業務がロンドンの金融街(シティ)からパリやフランクフルトに移り最大8万3000人が失職することを意味する。一方、EUの思惑通り英経済界も経済最優先のソフトブレグジットに方向転換するようメイ政権への圧力を高め始めた。英高級スーパー、ウェイトローズ傘下のオンライン食品小売り大手オカドのスチュアート・ローズCEO(最高経営責任者)は、「総選挙はメイ首相のハードブレグジットに対する国民投票だった」と、主張する。英国商工会議所(BCC)と英国産業連盟(CBI)、英エンジニアリング事業者協会(EEF)、英中小企業連盟(FSB)、英国経営者協会(IOD)の経済主要5団体もEU協議開始直前に連名でソフトブレグジットを求める嘆願書をグレッグ・クラーク・ビジネス・エネルギー・産業戦略相に送付した。

しかし、こうしたソフトブレグジット待望論が強まる中、EU離脱協議の初会合に臨んだデービッド・デービスEU離脱担当相はハードブレグジットの方針を崩さなかった。同相は会合後の会見で、「英国は欧州の関税同盟と統一市場から完全に離脱し、新たにEUと自由貿易と関税同盟に関する協定の締結を目指す。EU離脱のため英国法に基づく国家統治と入国管理を英国の手に取り戻す必要がある」と明確に述べ、議会や経済界で広がっているソフトブレグジットや南北アイルランドの国境開放への期待を一蹴した。そうとはいえ、英下院のハードブレグジットとソフトブレグジットの勢力地図は297議席対342議席と後者が圧倒的多数を占める現状ではメイ首相の思惑通りことは進まないのは明白だ。

EUとのブレグジット交渉の初日、英国は自由貿易協定についてはEUの要求に応じ英国のEU離脱費用の支払いと南北アイルランドの国境問題の合意後に協議することでEUに譲歩した形となった。しかし、デービス氏は会見で、「貿易協議と離脱協議は同時並行すべきとの従来の主張は変えていない」と、譲歩を否定しており、1000億ユーロの“離婚費用”の支払いについても、合法的な支払いには応じるがEUが要求する満額返済には応じない考えだ。英国は今年暮れごろまでに英国が支払う費用の計算方法で合意し、英国とEUの将来の在り方について協議を開始したいとしている。これに対し、EC(欧州委員会)のブレグジット首席交渉官であるミシェル・バルニエ氏は「譲歩する気も譲歩を求める考えもない」と一歩も引かぬ対決姿勢を示しているため、EUと平行線のままで協議は長引く恐れがある。

また、EU協議には保守党内の内戦状態をどう収拾するかという難関も待ち受けている。どの政党も単独では過半数の議席を持たないハングパーラメント(宙ぶらりん議会)では弱体化した与党・保守党の単独政権では政治の安定を維持できず、EU離脱協議が進むにつれEUに足元を見られ満足な合意を得られないばかりか、EU残留支持派の逆襲となった今回の総選挙を受けて、野党陣営がEU離脱の是非を問う2回目の国民投票を実施しかねない。ただ、英市場調査会社ユーガブの5月世論調査では国民投票から1年経過してもEU離脱支持が全体の45%を占め、残留支持の22%の2倍以上で2回目の国民投票でも同じ結果になりそうだ。

メイ首相はハードブレグジットの方針で政権を安定させることを狙って、選挙後の内閣改造でEU残留支持の閣僚をEU離脱支持の欧州懐疑派の閣僚と入れ替えた。また、6月18日には、ハングパーラメントでは最低でも2年かかるブレグジット交渉で政策の一貫性を維持することが難しいと判断して、2011年以来7年ぶりに来年のクイーンズ・スピーチは行わない方針を打ち出し、6月29日に下院で承認された。これは今年のスピーチは実施しても来年中止すれば、向こう2年間の政府の政策方針が保たれ政権も安定し、英国はEUから不安定な政権との批判を浴びないことを狙ったものだ。(次回に続く)

The US-Euro Economic File代表

英字紙ジャパン・タイムズや日経新聞、米経済通信社ブリッジニュース、米ダウ・ジョーンズ、AFX通信社、トムソン・ファイナンシャル(現在のトムソン・ロイター)など日米のメディアで経済報道に従事。NYやワシントン、ロンドンに駐在し、日米欧の経済ニュースをカバー。毎日新聞の週刊誌「エコノミスト」に23年3月まで15年間執筆、現在は金融情報サイト「ウエルスアドバイザー」(旧モーニングスター)で執筆中。著書は「昭和小史・北炭夕張炭鉱の悲劇」(彩流社)や「アメリカ社会を動かすマネー:9つの論考」(三和書籍)など。

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