Yahoo!ニュース

経産省は学校教育を変えられるのか?浅野・前教育産業室長に訊いてみた

前屋毅フリージャーナリスト
(写真:イメージマート)

「経産省が教育に口をだす理由がわからない」と、ある公立小学校の教員がいった。「経産省の教育」といえば浅野大介・前教育産業室長である。その浅野氏に訊いてみた。

|文科省とケンカをしたいわけじゃない

 教育は文科省(文部科学省)のテリトリーとされてきた。その教育の分野で経産省(経済産業省)が積極的に動きはじめたのは、2017年に教育産業室を新設したときからである。その初代室長に就任したのが浅野氏であり、それから2022年まで、霞ヶ関の官僚としては異例中の異例である5年の長きにわたって室長を務めた。その間に、さまざまなところで浅野氏の発言は注目を集め、教育産業室の存在が学校現場に影響をあたえていく。そもそも、いったい誰が教育産業室をつくったのだろうか。

「いろいろな人に協力してもらいましたが、最初は私と私の後任の現室長、そしてもう1人の3人です。『教育をやりたいよね』というか『やらなきゃいけないよね』という話を、虎ノ門の定食屋とかでしていたんですよ。それがスタートですね」

 それは「文科省の縄張りを奪う」という話だったのかと訊くと、浅野氏は笑いながら答えた。

「私は好戦的なタイプじゃありませんよ。文科省とケンカをしたくて『教育をやろう』と言いだしたわけでもありません。

 経産省の役人なので企業と接する機会は多いのですが、日本の企業のなかで起きている大きな問題に気づいたんです。薄っぺらいコミュニケーションしか交わせない社会になってしまっている。本質に迫る議論ができないので、最後の意思決定を間違える。これでは企業としての成長はありません。

 企業にかぎらず、政治もふくめて日本の社会全体が、そうなってしまっている。これは日本の大きな課題だと考えました。

 ここを変えていくには、やはり教育のレベルからやらないと無理だとおもいました。だから、『教育をやろう』となったわけです」

 教育の問題であれば、それを文科省に提案してみるだけ、という手もありそうだ。外部からの注文を文科省が喜んで受け入れるとはおもえないが、「他人の仕事を奪う」ようなやり方よりも、多少は穏便な気がしないでもない。

「文科省というところは、改革には向かない役所なんです。役所として大胆な改革をやったことがない」

 筆者としても、この浅野氏の指摘には肯くしかない。「改革」を口にすることはあっても、実のある改革を自主的にやりとげることをしないのが文科省である。予算の面で立ちはだかる財務省や強い政治の存在を文科省官僚は改革を貫徹できない理由にするが、萩生田光一元文科相が退任会見で文科省官僚を「負け癖がついている」と指摘したように、貫徹できない体質になっているのかもしれない。

「しかし、日本の教育は改革をしなければいけないときにきています。それには乱暴者の存在も必要です。でも競ったりしないと、ダメになるばかりですからね」

|主体性をもって学んでいるか

 浅野氏と教育産業室がやろうとしたことは、何だったのか。

「子どもたち1人ひとりが主体性をもって、楽しく学べる場所をつくることでした。そういう環境を日本の学校教育は用意できていなかった」

 教壇に立った教員の話を、クラス全員で聞くのが従来の学校だった。子どもたちの理解度には差があるはずなのだが、それは無視して進められる授業が少なくないのも現実である。それによって、「学ぶことの楽しさ」を知らないままの子どもたちが大勢いる。

「主体性をもって楽しく学ぶためには、子ども1人ひとりに合った学習の機会があるべきです。それには、いろんな学習手段の選択肢があったほうがいい。その選択肢を増やせるのは、やっぱり教育産業の力なんです。その力を使うには、学校がいろいろな視点をもって企業とつながったほうがいい。子どもたち1人ひとりのなかで、ある種のオープンイノベーションが起きていく仕掛けが必要なときです」

 1人の学習者(子ども)を中心に考えたら、学校だろうが学習塾だろうが、家庭でもサードプレイスでも、どこでもいい。文科省が定めている学んでほしい資質能力を手に入れる手段なんて、学校だけでなく、いろんな組み合わせでいいんです。それにはインターネットの力が必要です」

 その発想で浅野氏が2018年度から始めたのが、ICT端末とさまざまなEdTech(エドテック 教育とテクノロジーを組み合わせたサービスや企業の総称)を活用した新しい学び方を実証する「未来の教室」実証事業だった。

「全国で約3万校ある小中学校のうち、利用した学校は今年で1万校を超えているはずです。全国の学校の3分の1が、『未来の教室』実証事業を利用して、新しい教育の試みを始めているわけです」

 この実証事業に経産省は補助金を付けているが、その補助金は、学校ではなく企業に対して付けられている。補助金を獲得して事業を伸ばしていくために、企業としては積極的に営業することになる。それもあって、未来の教室が急速に広がっていった。

「『隣の学校がやっているから、うちもやろう』と思ってもらうことが事業を広げることにつながります。一方で、教育事業をやっているのはベンチャー企業が多いので、営業コストをかけられない悩みがある。そこで企業に補助金をだすことで積極的に営業してもらい、成功体験につなげれば、学校の先生方が本格的に導入を考えていくきっかけになる、と考えました。

 企業がはいってくることに反発をもつ学校が多かったのも事実で、それも乗り越えてもらわなくてはならない。それには、それだけの営業サポートが必要で、補助金が必要だったわけです」

 未来の教室事業を利用している学校が全体の3分の1にも達したということで、学校は変わったのだろうか。浅野氏の考える学校に近づきつつあるのだろうか。それを訊ねると、彼は少し難しい表情になった。

「数としては全体の3分の1でも、やはり学校によって温度差はあります。未来の教室事業をきっかけに意味のある知的活動にICTを利用している学校もあれば、使ってはいるけれど使いきっていない学校、実証事業が終わったら使わなくなった学校、いろいろあります。しかし事業が続くことで、利用する学校も増えますから、学校も気づいていくとおもいます」

|子どもたちが喜んで行く学校

 未来の教室の先にある学校を、どのように浅野氏は描いているのだろうか。それを訊いてみた。

「子どもたちが喜んで行く、心理的に安心できて、居心地のいい場所ですね。そんな場所だから、そもそも不登校も存在しない。それぞれが主体性をもって自分に合った学びができて、それでいて、みんなでやることもあって、社会性を身につけていく機会もある、そんな学校です。

 同じように机の前に座って、同じように黒板のほうを向いて、教員の話を同じように聞いて、写経しているように同じようにノートしている、そういう現在の学校の姿ではありません」

 経済産業省の未来の教室事業は、そこまで学校を変えていけるのだろうか。まだまだ課題は多そうだ。

 そこに文科省は、異を唱えていくのだろうか。それとも、同じ方向へ学校を変えていくために、経産省と手を携えるのだろうか。

 いずれにしても、学校が現状のままでいいはずがないことだけは確かである。学校が変わっていくなら、経産省と文科省のどちらが主導権を握るかなど、さして重要なことではない。そんなことより、子ども中心の改革が行われるかどうか、そっちのほうが何倍も、何千倍も大事である。

フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。2021年5月24日発売『教師をやめる』(学事出版)。ほかに『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『全証言 東芝クレーマー事件』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン)

前屋毅の最近の記事