子どもたちは体験に飢えている

創立50周年記念につくられた飯島小の紹介パンフレット (撮影:筆者)

「子どもって、ほんとうに体験に飢えているんです」と云ったのは、横浜市の飯島小学校で校長を務める尾上伸一さんだった。

 飯島小学校は「校庭里山」を謳っている学校だ。人の住んでいるところ(人里)の近くにあって人々の生活にむすびついている山や森林のことを里山というが、自然にある里山を校庭にしているという意味ではない。校庭を里山にしてしまった学校なのだ。その旗振り役をはたし、いまでも旗を振りつづけているのが尾上さんなのだ。

「自分の原体験からきているんですよね。大阪の河内で育ったんですが、私の小さいころには田んぼも多かったし川もあり、友だちと虫を捕ったり魚を釣ったりの生活を一年中やってました。そういうところから生き物そのものに興味がわいたり、知識を身につけたとおもいます。自然のなかで友だちと接することで、いろんなことを学びました」

 ところが、いまの子どもたちは自然のなかで遊ぶということをしない。環境が大きく変わったこともあるが、室内でゲームやマンガを読むような遊びが主流になってしまって、外で自然を相手にして遊ぶという「習慣」が途絶えてしまっている。

 かといって、子どもたちが自然での体験を嫌っているわけではない。あまりにも体験が乏しすぎるだけのことである。「豊かな自然のなかで体験する機会を奪ってしまった責任は大きいとおもいます」と、尾上さんは云った。

「学校で『昔は良かった』なんてことを云ってるだけではダメなんです。トンボ捕りやフナ釣りを、ただ情報として教えても意味がない。タネをまいて、水をやっていると蕾がふくらんで花が咲く、それを自分の手でやって体験してみて、花が咲く喜びをほんとうに感じることができるんです」

 だから尾上さんは、前任校でも校庭に手掘りで池をつくって、すさまじい勢いで生き物が育っていく様子を子どもたちと観察した。その経験から、いまの子どもたちが自然と接して体験を重ねていくことを嫌っているわけではないことを実感した。その機会が奪われているだけで、子どもたち自身も気づかないだけで、体験することに飢えていると実感したのだ。

 飯島小に校長として赴任してきた尾上さんは、里山づくりを宣言した。とはいえ学習指導要領にもないことをやろうというのだから、すぐに全校がいっせいに動くなんてことにはならない。まずは尾上さん自身がタネをまいての花壇づくりから始め、それを見ていた子どもたちが「やりたい」となり、教員たちも積極的になっていくなかで、せせらぎ、フラワーロード、観察池、野菜の花壇、ホタルの菅田、棚田、果樹園などが整備され、校庭に里山ができあがった。子どもたちや教員はもちろん、地域の人たちも参加した共同作業の結果としてできあがったのだ。

 そこで子どもたちは自然と触れあって体験する喜びを覚えた。自然をつうじて、子どもたち同士の交流もかなり深まった。

「たとえばカメを飼っているクラスが2年生と5年生にあるんです。天気がいいときには休み時間に甲羅干しをさせるんですが、そこで2年生と5年生が仲よく情報交換しているんです。そういう関係が学校中にあって、学校中が明るいですよ」

 と、尾上さん。それでも「里山づくりに夢中になって勉強がおろそかになっているのではないか」という声も聞こえてきたりしないのだろうか。それに尾上さんは笑って答えた。

「自然での体験は、特別に狙っているわけではありませんが学力にも良い影響を与えていますよ。いろいろな観察をやれば、その記録をつくるわけですが、それって読む書くの国語力につながるんです。自分の体験から読み書きの力はつきます。体験が、いろいろな科目の知識とつながっていく。面白いから、ほんとうに身につきますよ」

 そうした体験は、子どもたちだけでなく教員たちの刺激にもなっている。「体験で成長する子どもたちの姿を実感できますから、先生たちにとっても面白い授業なんじゃないですか」と尾上さんは云って、さらに続けた。

「近くの川にウナギが戻ってきているという情報があって、それを捕まえようという授業をしたことがあるんです。担任の女性の先生も子どもたちといっしょに川にはいって探しまわって、捕獲したときには泣いてましたよ。『いままで生きてきたなかで、いちばん嬉しい』と云って川の真ん中で、子どもたちといっしょに泣いてました」

 自然のなかでの体験は子どもたちを成長させるが、同時に教員も成長させているのではないだろうか。実は、子どもも教員をふくめた大人も体験に飢えているのではないだろうか。