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全米に広がる人種差別への抗議運動:「アフリカ系」というステレオタイプ

前嶋和弘上智大学総合グローバル学部教授
「I can’t breathe」をスローガンとする抗議運動(写真:ロイター/アフロ)

 アフリカ系アメリカ人(黒人)に対する警察の取り締まり手法をめぐる抗議デモが現在、全米規模に広がっている。黒人男性が白人警察官に首を圧迫され死亡した事件に対して、不満が一気に爆発する形になっている。抗議運動が過激化し、暴徒化していく状況に言葉を失う。抗議運動の背景には人種をめぐる複雑な意識というアメリカが抱えてきた長年の問題があるのはいうまでもない。さらに、今回の場合、コロナ禍でのアフリカ系の置かれた状況の複雑さという要因もある。

(1)「I can’t breathe」がスローガンに

 ミネソタ州ミネアポリスで5月25日に起こった丸腰だった黒人男性のジョージ・フロイド氏を押さえつけ首に警官が膝をのせて窒息させるという一連の事件は、複数のスマホなどで撮影された。衝撃的な映像がソーシャルメディアなどで広がったこともあり、事件直後から人種差別として怒ったアフリカ系を中心にした抗議運動が発生し、5月29日までに全米に飛び火している。

 全米各地のデモ隊はフロイド氏の「息ができない」という言葉を繰り返しながら行進しており、「息ができない」という言葉は人種的な偏見の苦しさを象徴するスローガンになっている。

(2)複合要因

 今回の場合、コロナ禍でのアフリカ系の置かれた状況の複雑さという要因もある。そもそもテレワークをすることができないサービス業や肉体労働などに従事するアフリカ系やヒスパニック系も多い。コロナ感染でアフリカ系の死亡率は白人の2.4倍、ヒスパニック系やアジア系は2.2倍であるというデータもある。*

 そしてコロナ感染の経済的な影響が直撃するのはサービス業であるため、経済的なダメージは非常に大きい。1918年(スペイン風邪)や1952年(ポリオ禍)の時の社会不安、1929年の大恐慌直後の貧困、そして1968年(公民権運動の後のキング牧師暗殺、ロバート・ケネディの暗殺、ベトナム戦争、ニクソンの「南部戦略」)のときの言いようがない閉塞感が一気に押し寄せてくる状況といえる。

(3)ステレオタイプと「レイシャル・プロファイリング」

 この抗議デモはいずれは沈静化するだろう。ただ、今後、事件をめぐる裁判の動向次第では、新たな展開もあるかもしれない。今回の一連の事件の最大の争点は「警察が人種差別的な意識から過剰な権力行使を行っているのかどうか」ということに尽きるだろう。「相手が黒人だったから」と手荒い対応をしたのかどうかが、今後の裁判の焦点となるだろう。

 警察にとってみれば、やはり犯罪を行うのは、アフリカ系の方が多いという何とも言えない悲しい現実はあるのかもしれない。実際にアフリカ系は白人に比べて投獄される割合が6倍程度高いといわれている。

 ただ、「アフリカ系=犯罪者の確率が高い」と判断するのは、特定の人種に対する先入観(ステレオタイプ)に過ぎない。ただ、ステレオタイプに従って、特定の人種に対して先入観や偏見を持って取り締まる「レイシャル・プロファイリング(racial profiling)」にほかならない。警察捜査の科学化の中で、「不審」なマイノリティ人物の傾向や特徴を調べ上げて、それを基に職質対象とすることはどうしても避けられない傾向にある。「レイシャル・プロファイリング」は差別そのものであり、道義的な問題があるのはいうまでもない。つまり、偏見が職質や検挙につながってしまう。

(4)依然としてある白人との「格差」

 キング牧師らが中心となって人種差別撤廃を求めた公民権運動の結果、1964年に「公民権法」が成立した。それから数えて既に50年以上になり、法的な平等が完全に保障されたはずだった。状況はかなり改善されたとしても、所得格差はまだ歴然としてある。アフリカ系の失業率は常に白人の2倍を超えている。経済問題と犯罪が直結するのはどこの国でも同じだ。その点で上述のステレオタイプがどうしても消えない。

 かつては奴隷制をもっていたアメリカ社会にとっては、人種差別意識は、歴史上の最大の汚点である。ただ一方で同時に人種差別を克服することは最大の目標でもある。ただ、移民国家であり、見知らぬ人が近くに移り住んでくることが頻繁にあるアメリカにとっては、「差別が完全にない社会」を達成するのは難しい。差別は心の問題であり、ステレオタイプでほかの人をみてしまうのが、人間の性だろう。経済格差や“心の問題”が解決するのはまだ当分、先かもしれない。

 ただ、アメリカが人種差別的な行為や意識に非常に敏感なのは確かなことであり、そのため、メディアは大きく報じ、現在の抗議デモにはアフリカ系だけでなく、多くの白人も加わっている。

 ただ、運動が過激化するとせっかくの目的が変わってしまう。略奪や放火が続いており、ずっと外出禁止でいらいらしている人や、今回の疫病で失業してしまった人など、憂さ晴らしに暴れているような人が多く、差別問題とは何の関係もない単なる鬱憤ばらしになりつつある。最初のデモから完全に論点がずれてしまっている。私が25年ほど前に住んでいたアパートの近くも大きく燃えたようだ。

 この抗議デモが今後どうなるのか、非常に懸念される。

*https://www.apmresearchlab.org/covid/deaths-by-race

上智大学総合グローバル学部教授

専門はアメリカ現代政治外交。上智大学外国語学部英語学科卒、ジョージタウン大学大学院政治修士課程修了(MA)、メリーランド大学大学院政治学博士課程修了(Ph.D.)。主要著作は『アメリカ政治とメディア:政治のインフラから政治の主役になるマスメディア』(北樹出版,2011年)、『キャンセルカルチャー:アメリカ、貶めあう社会』(小学館、2022年)、『アメリカ政治』(共著、有斐閣、2023年)、『危機のアメリカ「選挙デモクラシー」』(共編著,東信堂,2020年)、『現代アメリカ政治とメディア』(共編著,東洋経済新報社,2019年)等。

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