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アメリカで「増加」するヘイトクライム(憎悪犯罪):その認定と対応の難しさ

前嶋和弘上智大学総合グローバル学部教授
米テキサス州エルパソでの銃乱射事件の被害者を悼む人々(2019年8月3日)(写真:ロイター/アフロ)

 陰惨な米テキサス州での銃乱射事件の犯人の動機にはヒスパニック系への「憎悪」があるとみられている。2019年8月3日に起こったこの事件では、アメリカ南部テキサス州のエルパソにある「ウォルマート」などの大型小売店が集まる地区で21歳の男が銃を乱射した。8月6日現在、死者は22人となっている。

 エルパソはその名の通り、アメリカとメキシコとの「通り道(the pass)」であり、歴史的にヒスパニック系を受け入れる姿勢も強い。その米墨の接点といえる場所で「ヒスパニック系を狙った」ヘイトクライムは被害の数以上に象徴的に衝撃は大きくみえる。

 トランプ政権になって「ヘイトクライム(憎悪犯罪)」は「増加」したといわれている。だが、「何をもって憎悪か」という「ヘイト」の見極めは難しく、厳罰化などの政策対応も容易ではない。

(1)「増加」するヘイトクライム

 ヘイトクライム(hate crime:憎悪犯罪)とは人種、宗教、出身国、性、性同一性、障害などへの憎悪が原因となっている犯罪のことを意味する。憎しみを基にする犯罪は「現代版のリンチ(modern-day lynching)」ともいえる。

 トランプ氏が当選した2016年大統領選挙の直前のころから、ヘイトクライムとみられる犯罪の増加が頻繁に報じられるようになった。連邦捜査局(FBI)によると、アメリカ全体では2017年に記録されたヘイトクライムの件数は前年比約17%増の計7175件となっている(この原稿を書いている2019年8月上旬には2018年の数字はまだ報告されていない)。黒人とユダヤ系に対するヘイトクライムが特に増加したという。

 アメリカでは社会に「ヘイトクライム」の概念が定着した1980年代から次第に罰則強化に向かっていった。各州ではヘイトクライムへの法的規制が導入され、通常の犯罪による刑罰より厳しい罰則が適用されるようになった。

 ヘイトクライムが立証される場合には、社会的な影響に合わせ(social harm)犯罪の罪状を重く(enhance)する「刑の加重」が大きなポイントだ。例えば暴行の場合、禁固1年半程度の判決とした場合、明らかな人種差別についての憎悪が暴行の原因となっている場合には2年から3年半程度に重くなる。

(2)難しい「ヘイト」の認定

 ただ、「誰かを憎むこと」をどう実証するのかは、実際問題としてなかなか難しい。「合理的疑いの余地のない(beyond a reasonable doubt)」場合に限り、反則レベルを厳しくするのが一般的だが、犯罪者の「心の問題」を基準に罰則を重くすることは容易ではない。そもそも犯罪行為と憎悪とは表裏一体でもある。特定の行為を「ヘイトクライム」と定義し、罪状を重くすることでむしろ偏見が助長する可能性すらある。

 アメリカでは刑事事件の多くは州の法執行機関が担当するため、ヘイトクライムの摘発は基本的には州に任されている。しかし、社会、法文化や政治文化の差もあって、「ヘイトに敏感」といえる西部や北東部の州のヘイトクライムが多く集計されるのに対して、「ヘイトに鈍感」ともいえる南部諸州のヘイトクライムの数は極めて少ないという皮肉な統計もある。

 上述の2017年の計7175件のうち、カリフォルニア州は1094件、ワシントン州は510件、ニューヨーク州は552件だったのに対し、南部のアラバマ州は9件、アーカンソー州は7件、ルイジアナ州は26件、ミシシッピー州は何と1件だった。もちろん人口の多寡があるものの、それにしても大きな差である。

 ヘイトクライムの増加についても「トランプ大統領が白人至上主義を助長した」という声もあるが、実際のところの因果関係は実証できているとはいえない。トランプ政権の誕生で、「社会がより偏見に敏感になっている」という解釈もあるかもしれない。

 つまり、「ヘイト」の認定があいまいなので、その数を正確に知ることはできない。直観的に「増えた」とはいえるのかもしれないが「増加」していると断定するのはやや拙速かもしれない。

(3)「表現の自由」との関係

 さらに、表現の自由との関係も難しい。「表現の自由」はリベラル派にとっても譲れない政治争点である。リベラル派市民団体の代表格であるACLU(American Civil Liberties Union:アメリカ市民自由連合)は「思想警察(thought police)」という批判からヘイトスピーチ規制に否定的である。ヘイトスピーチ規制に対してアメリカでは極めて慎重であり、日本も同じ立場をとっている。一方で、欧州などでは、そもそもスピーチと行為は不可分としてヘイトスピーチ規制に積極的な国もある。

 欧州でもヘイトクライムは大きな社会問題となっている。グローバル化が多くの新しい移民の流入にもつながり、ムスリムへのヘイトクライムが目立っていると頻繁に報じられている。また、ユダヤ系への偏見(anti-Semitism:反ユダヤ主義)は過去の歴史の経緯からなかなか終わりそうにない。

 「何が憎悪か」を公権力が定義する難しさはある一方で、差別的な意識がもたらす犯罪には残念ながら終わりはないのかもしれない。

上智大学総合グローバル学部教授

専門はアメリカ現代政治外交。上智大学外国語学部英語学科卒、ジョージタウン大学大学院政治修士課程修了(MA)、メリーランド大学大学院政治学博士課程修了(Ph.D.)。主要著作は『アメリカ政治とメディア:政治のインフラから政治の主役になるマスメディア』(北樹出版,2011年)、『キャンセルカルチャー:アメリカ、貶めあう社会』(小学館、2022年)、『アメリカ政治』(共著、有斐閣、2023年)、『危機のアメリカ「選挙デモクラシー」』(共編著,東信堂,2020年)、『現代アメリカ政治とメディア』(共編著,東洋経済新報社,2019年)等。

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