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平成の日米関係はどう変わったのか:今では幻のような貿易摩擦の時代の対立

前嶋和弘上智大学総合グローバル学部教授
激しかった平成7年の日米自動車交渉。カンターUSTR代表に竹刀を渡す橋本通産相(写真:ロイター/アフロ)

 日米関係を平成という時代で切り取ると、安全保障の面では2度の「ガイドライン」改定もあり、日米同盟は安定化した感がある。経済面では貿易摩擦の時代の激しい対立があったことが今では幻のようだ。日本の凋落はそれだけ激しい。

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 昭和が終わる1年4カ月前の1987年9月2日。まだ41歳だった若き不動産王・トランプ氏は『ニューヨーク・タイムズ』など3つの主要紙に丸々1ページを使う特大の公開書簡を広告として掲載させた。

 「アメリカ国民へ」という書き出しで始まるこの書簡は「日本や他の国はアメリカを何十年もの間、食い物にしてきた」という衝撃的な批判で始まる。「自国防衛をアメリカに任せ、日本はその分自国の経済を発展させ、未曾有の貿易黒字を生んだ」「日本はドル高円安をしたたかに誘導してきた」「同盟国として防衛している日本やサウジアラビアなどの国は負担をすべきだ」などの言葉がつづられている。

 この書簡に書いてある内容は、2016年の大統領選挙での演説から現在に至るトランプ氏の「アメリカ第一主義」の根幹そのものである。貿易問題と安全保障問題を絡めて論じているところなどがまさにトランプ氏の持論である。

いら立つアメリカ

 トランプ氏のいら立ちは、平成になる直前当時のアメリカ国民の多くにとっても共感できるものだった。アメリカは巨額の財政赤字と高金利を背景にしたドル高で貿易赤字も抱えていた(財政赤字と貿易赤字を「双子の赤字」と呼んだ)。

 栄華を誇っていたデトロイトの自動車産業は衰退していった。かつてはアメリカ企業が大半だった世界の時価総額のトップに日本企業が一気に並んだ。

 バブル景気期の「ジャパンマネー」は札束でアメリカを席捲していた。1989(平成元)年10月、ニューヨークの富の象徴の一つともいえる複合ビルのロックフェラー・センターを三菱地所が買収した。トランプ氏は不動産ビジネスの中で日本の勢いを肌で感じたはずだ(その後、センターのほとんどのビルは不動産不況もあり、売却される)。

 このトランプ氏の公開書簡が象徴するように、アメリカは急成長を続ける日本経済を恐れていた。「日本特殊論」が注目される中、「ジャパン・バッシング(日本たたき)」論が次々に登場した。日本の市場は構造的に「特殊で閉鎖的」とし、「日本はずるい」という見方である。

 アメリカは第二次大戦で打ち負かした日本に再び大きな関心を持ったのも事実である。トヨタが提唱した「カイゼン」「カンバン方式」は日本式経営としてアメリカでも広く知られる経済用語になった。日本企業の対米進出を扱ったコメディ映画『ガン・ホー』(1986=昭和61=年)は日本から見れば、紋切り型の日本人の描き方だったがヒットした。

 逆に、このころ日本には「アメリカ衰退論」が渦巻いていた。「日米摩擦はアメリカが押し付けた難癖でしかない。これから日本経済が世界のトップの時代が来る」「ベトナム戦争に疲弊し、その後のレーガン政権は軍拡に走っている。アメリカの覇権時代は終わりがみえる」といった議論が頻繁に聞かれた。

日本の景気失速とアメリカの復活

 しかし、平成に入ると最初の10年では勢いがよかったはずの日本が急失速し、アメリカは一気に復活していく。

 外交においては冷戦時代の二極対立からアメリカを中心とする単極構造に世界は変貌した。第二次大戦から40年間余りにわたって続いたアメリカを盟主とする自由主義陣営と、ソ連を中心とする共産主義陣営との東西冷戦は、1990年(平成2年)の東西ドイツの再統一、翌91年(同3年)のソ連の解体で自由主義陣営の勝利という形で幕を閉じた。経済的にも、軍用のインターネットが民生化され、平成の時代にはアメリカ発のデジタル・エコノミーが世界を変えていく。

 これに対して、日本経済は長い冬の時代が続く。その分岐点が平成初期のバブル経済崩壊なのか、それより数年前の1985(昭和60)年9月のプラザ合意なのかは議論があるところだ。

 日米貿易摩擦そのものは、平成になってから日本側はアメリカが主張する規制緩和を実現する形で構造変化に対応してきた。日米貿易不均衡の是正を目的として1989(平成元)年から「日米構造協議」が始まり、1993(平成5)年に「日米包括経済協議」と名を変え、翌94(同6)年から2009(同21)年まで続く「年次改革要望書」に変わっていった。

 その間の1995(平成7年)5月には、米通商代表部(USTR)は通商法301条に基づき、「日本市場の閉鎖性」を理由に日本製高級車のうち、13車種の輸入に100%の関税を課すと発表した。日本の高級輸入車はアメリカ市場から事実上締め出されることになるため、日本政府は世界貿易機関(WTO)に提訴する形で激しく応戦した。同年6月のジュネーブでの日米自動車交渉では、カンターUSTR代表が橋本龍太郎通産相からプレゼントされた竹刀で切りかかるパフォーマンスを行い、日米貿易摩擦の象徴的なシーンとなった。

 交渉は決裂する直前にアメリカが折れ、制裁の発動はギリギリで回避された。日本の自動車メーカーが現地化の推進や輸入拡大などを盛り込んだ自主行動計画をまとめることで、日本政府は業界の数値目標に関与しないという原則を貫くことはできたが、各メーカーの生産目標などを基に米側が外国製部品の購入量を算出できるような仕組みも導入された。様々な形でアメリカ側の要望を日本が受け入れる流れができてしまった。

 その後の日本経済の低迷で、「日米対立」の時代があったことすら、忘れつつある。

不安定な世界の中の安定的な日米同盟

 一方、安全保障については、冷戦後のアメリカ一国支配の下での新しい秩序は安定とはほど遠いものだった。1991(平成3)年の湾岸戦争ではアメリカは他国と常時協力して、アメリカが世界秩序の維持に努めるという国際協調外交を進めたものの、続かなかった。

 2001(平成13)年9月11日の同時多発テロでアメリカの外交政策は一変する。テロリストに対して「外交」という話し合いは難しい。「テロとの戦い」の名の下、同10月に開始したアフガニスタン報復、2003(平成15)年3月開始のイラク戦争など、形上は他の諸国との「有志連合」だが、実際はアメリカの単独行動主義が目立つようになった。

 このような不安定な国際社会の中で、日米同盟は安定化していく。平成の時代には、日米安全保障体制を効果的に運用するための「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」を2度改定している。1度目は、1997(平成9)年で、冷戦の終結による情勢の変化を受けて、平時・日本有事・周辺事態などの日米の役割を見直した。もう1度は2015(平成27)年で同時多発テロ後の世界に対応するために、国際テロや大量破壊兵器の拡散での協力を決めている。

今後の日米関係

 平成30年強の間の日米関係から今後、何が見えてくるであろうか。平成初期のころの「ジャパン・バッシング」の時代においては、アメリカでは「日本問題」は大きな争点だった。しかし、近年、日本が例えば選挙の争点に浮上することはまれになっている。これはアメリカが主張する規制緩和を日本が受け入れてきたことにほかならない。安全保障についても、日本側が同盟国としての役割分担を進めてきたほか、そもそも米軍駐留経費に占める割合の中で日本側の負担は7割を超えており、すでにほかの多くの同盟国よりも負担している。

 日米安全保障条約はすでに片務的なものではなく、米軍は日本だけでなく「極東における平和と安全」のために駐留していることを考えると、在日米軍と日本の自衛隊との協力関係を東アジアの安定にさらに活用していく必要があるのは言うまでもない。一方で、沖縄の基地負担問題など、日米同盟を維持発展するための今後の課題は少なくない。

 さらに、平成最後の時代のアメリカ側のリーダーであるトランプ氏の主張をみると、不透明な部分は拭い切れない。安倍首相との緊密な関係の中で就任後は目立ってはいないが、例えば、トランプ氏は選挙戦からの持論である「日米安保は片務的、もっと負担を」という従来の主張を蒸し返してくるかもしれない。日本のアメリカに対する貿易黒字もトランプ氏にとっては格好の攻撃材料である。冒頭の書簡から立場が実に一貫していることに驚く。

 また、日米関係が大きな問題となっていないのは、中国の経済的台頭もあって日本のプレゼンスがそもそも小さくなっている点も否定できない。米通商法301条に基づいた関税制裁はいまは中国が対象だ(ただ、近く本格化するとみられる日米物品交渉などのアメリカの貿易赤字解消のための交渉次第では日本への制裁に動いていく可能性がないわけではない。その意味でも、書簡から立場が実に一貫している)。

 平成の時代の日米関係が令和の時代にどう変貌するのか、注目したい。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

上智大学総合グローバル学部教授

専門はアメリカ現代政治外交。上智大学外国語学部英語学科卒、ジョージタウン大学大学院政治修士課程修了(MA)、メリーランド大学大学院政治学博士課程修了(Ph.D.)。主要著作は『アメリカ政治とメディア:政治のインフラから政治の主役になるマスメディア』(北樹出版,2011年)、『キャンセルカルチャー:アメリカ、貶めあう社会』(小学館、2022年)、『アメリカ政治』(共著、有斐閣、2023年)、『危機のアメリカ「選挙デモクラシー」』(共編著,東信堂,2020年)、『現代アメリカ政治とメディア』(共編著,東洋経済新報社,2019年)等。

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