Yahoo!ニュース

ハリボテのポジティブ思考が裏目に? ベッキーが「ゲス不倫」に溺れた理由

ラリー遠田作家・お笑い評論家

芸能界の歴史を振り返ると、2016年は「ポジティブ崩壊」の年だった。乙武洋匡、ファンキー加藤、NON STYLEの井上裕介など、ポジティブ思考を売りにしていた芸能人が、スキャンダルを起こして次々に没落していったのだ。どんなに前向きに考えようとしても、不倫は不倫、犯罪は犯罪である。

過度のポジティブ思考は、揺るぎない現実の前にはただの現実逃避の手段にも見えてしまう。毎週のように「文春砲」の炸裂音が響き渡るこのご時世には、もはや上っ面のポジティブは通用しない。

そんな「ポジティブ崩壊」の年を象徴する存在となったのがベッキーである。2016年のすべてはこの人から始まった、と言っても過言ではない。既婚者である「ゲスの極み乙女。」の川谷絵音との不倫交際がスクープされ、ポジティブキャラのイメージが完全に崩壊した。

この騒動でベッキーはすべてのレギュラー番組とCMを失い、長期休養を余儀なくされた。その後も毎月のようにさまざまな芸能人の不倫事件が報道され、そのすべてが「ゲス不倫」と呼ばれるようになったほど、この事件の与えた社会的影響は大きかった。

いつも明るく元気で、前向きだったベッキー。2008年に放送された『アメトーーク!』(テレビ朝日)の「ベッキーすごいぞ芸人」では芸人たちから賞賛を浴び、関根勤からは「スタジオに入るときにお辞儀をするのは宇津井健さんとベッキーだけ」と言われたベッキー。

そんな優等生キャラの彼女が、なぜあのとき不倫愛に溺れて、道を大きく踏み外してしまったのか? 彼女のそれまでのキャリアを振り返りながら考えてみたい。

放任主義でのびのびと育てられた

1984年、神奈川県でベッキーは生まれた。父はイギリス人、母は日本人。父親はイギリスで空手の魅力にとりつかれて、本場である日本を訪れた大の親日家。映画は『男はつらいよ』シリーズしか見ていないという。母はいつも明るく元気で、子供を枠に押し込めるタイプではなかった。ベッキーには一人の妹がいたが、「お姉ちゃんなんだから」「女の子なんだから」といった物言いでしつけられることは一切なく、徹底した自由放任主義が貫かれていた。

そんな家庭でベッキーはすくすくと育った。勉強は得意でも不得意でもなかったが、初めから「これが自分の人生に必要なことではない」という割り切りがあったので、深入りはしなかった。人生で一番大事なのは、友達と仲良く楽しく過ごすことだと思っていた。

とにかく目立ちたがり屋の彼女は、小学生のときにピアノの発表会のためのドレスを身にまとって通学したこともあった。放任主義の母親もそんな彼女をとがめることはなかった。

『みなさんのおかげです』の渡辺満里奈に憧れた

ベッキーは小さい頃からテレビに夢中になっていた。ドラマからバラエティまで幅広く見まくり、驚異的な集中力で画面に釘付けになっていた。当時憧れていたのは『とんねるずのみなさんのおかげです』(フジテレビ)に出ていた渡辺満里奈。バラエティの世界で芸人たちと真っ向からぶつかりながらも、紅一点としてかわいがられ、愛されているそのポジション。ベッキーは当時から自分の将来像を明確に描いていた。

ベッキー本人も、周囲の家族や友人たちも、ベッキーが芸能人になることを疑っている人はいなかった。私は芸能人になりたいのではなく、なるものだと決まっているのだ。彼女はそう確信していた。

『おはスタ』でテレビ初出演

中2のとき、下着メーカーのイメージガールのオーディションを受けて、そこで賞を受賞して事務所への所属が決まった。そして、『おはスタ』(テレビ東京)でテレビ初出演を果たした。高校に入ってからは、芸能活動を続けながらも学園生活を満喫。文化祭では3年連続でリーダーとなり、1年ではおでん屋、2年ではタコス屋、3年ではイモ屋を担当。食材の発注、予算管理などをテキパキとこなしていた。

睡眠時間を削りながらの学生生活はハードなものだったが、周囲はそんな彼女に優しかった。なんと、教室の彼女の机の横には、専用の布団と毛布が常備され、授業中にそこで熟睡していたこともあったという。教師によっては怒り出すこともあったが、クラスメイトたちは多忙で疲れているベッキーをかばっていた。そんな彼女も、周囲への恩返しのためにふりかけを何十種類も買い込み、昼食時に配り歩いたりもしていた。

芸能活動は順調だったがバラエティの仕事が中心。歌手を目指していた彼女は、そのチャンスが来るのをじっと待っていた。そして、デビュー10年目にようやく機が熟す。ひょんなことから、宇多田ヒカルのプロデューサーを務めていた三宅彰がベッキーを気に入り、曲を作ってくれることになったのだ。ベッキーはついにタイミングが来たとばかりに小躍りして、この申し出を受けた。

歌手としての名義は「ベッキー♪#」。この「#」は「半音上げる=半人前」という意味。あくまでも謙虚さを示す彼女らしい気持ちの表れだった。

歌手活動で初めての挫折を味わう

だが、歌手デビューという夢を叶えた彼女は、ここで新たな厳しい現実に直面した。CDが思うように売れなかったのだ。タレントとしては圧倒的な知名度を誇っているのに、歌手としての人気はそれに遠く及ばなかった。ライブの観客動員数も伸び悩み、それを彼女に知られまいと先回りして気を使うスタッフたちの動きが目に入り、そのことがさらに彼女を苦しめた。悲しみを表に出さず、挫折を知らないと思われていた彼女の初めての大きな挫折だった。

それでも、悲しみを胸に秘め、ポジティブキャラを貫きながら、ベッキーはテレビの表舞台に立ち続けた。本当の気持ちを抑圧し続けていれば、どこかにひずみが出てくるのは仕方がない。結果的に彼女は、才能豊かな男性ミュージシャンとの不倫愛に溺れてしまうことになった。

現在は二児の母に

ポジティブ思考は、完璧な人間を形作る最強の盾ではなく、ささいなことに傷つき悲しむ弱い自分を守るために必死で築き上げたハリボテの城だ。それは文春砲の一撃であっけなく崩壊してしまった。

現在は結婚して二児の母となったベッキーは、子育てをしながらバラエティ復帰にも意欲を見せている。人生経験を重ねた彼女は今ようやく本当の意味でポジティブに生きられるようになったのかもしれない。

作家・お笑い評論家

テレビ番組制作会社勤務を経て作家・お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など、多岐にわたる活動を行っている。主な著書に『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと『めちゃイケ』の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)、『なぜ、とんねるずとダウンタウンは仲が悪いと言われるのか?』(コア新書)、『この芸人を見よ! 1・2』(サイゾー)、『M-1戦国史』(メディアファクトリー新書)がある。マンガ『イロモンガール』(白泉社)では原作を担当した。

ラリー遠田の最近の記事