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『オールスター感謝祭』祝30周年! 司会の島崎和歌子が芸能界を生き残ってきた理由

ラリー遠田作家・お笑い評論家

10月9日、『オールスター感謝祭'21秋 30周年超特別版』(TBS)が放送された。この番組で今田耕司と共に司会を務めているのが島崎和歌子である。島崎は1991年の番組開始以来、30年にわたってこの大型特番の進行役を務めてきた。これだけでも芸能界の歴史に残る偉業と言っていいのだが、そんな島崎がこれまでどんな芸能人生を歩んできたかということは、意外と知られていない。彼女の半生を振り返りつつ、息の長い活躍を続ける秘密を探ることにする。

彼女は1973年、高知県に生まれた。自然の中で一日中無邪気に遊び回っているような子供だった。一方、今の豪快なイメージとは裏腹に、友達の間ではおとなしくて人見知りするタイプだったという。

彼女の子供時代はアイドル全盛期。松田聖子、中森明菜、南野陽子など、後世に語り継がれるほどの伝説的なアイドルが数多く存在した時代。彼女もまた、そんなスターたちに憧れる純朴な田舎娘だった。

中学3年の頃、彼女はアイドルを目指して、ロッテのCMオーディションに自ら応募した。惜しくも優勝は逃したものの、準優勝という結果になり、事務所の社長にスカウトされてデビューが決まった。社長は島崎の才能を高く買い、「山口百恵の再来」とはやし立てた。ちなみにデビュー時のキャッチフレーズは「ワカコドキドキ」だった。

アイドル冬の時代でバラドルに転身

平成元年(1989年)の5月5日に『弱っちゃうんだ』で歌手デビューを果たした。だが、歌手としては鳴かず飛ばずでパッとしない日々が続き、まさに「弱っちゃうんだ」状態だった。

というのも、時代はアイドルブームが終わったばかりの焼け野原の後だった。『ザ・ベストテン』『トップテン』『夜のヒットスタジオ』といった歌番組も次々に終了しており、アイドルが新曲を出しても歌を歌わせてもらえる番組そのものがなかった。

そんな時代に新たな存在として脚光を浴びたのが「バラドル」だった。バラエティ番組に出て、面白おかしいことをやってみせるアイドル、というのが新たに台頭してきたのだ。

その筆頭は、森口博子、井森美幸、山瀬まみ、松本明子といった面々である。こういった流れの中で、島崎にもそのお鉢が回ってきた。彼女は先輩たちの切り開いた道に従い、バラドルとして再起をはかることになった。

そんな彼女に大きなチャンスがめぐってきた。1991年、200人のタレントがクイズ解答者として集結する『オールスター感謝祭』の司会に大抜擢されたのだ。18歳のときだった。総合司会の島田紳助とペアで司会を務めた島崎は、若さゆえの大胆不敵さでこの難しい役回りをこなした。

芸能人はおしなべてわがままで、身勝手で、言うことを聞かない。クイズの解答用のタッチパネルが水に弱いので、解答席に飲み物を持ち込むことは固く禁じられているのだが、それでも大御所俳優などが平気で飲み物を持ってきたりする。生放送なので予定通り進まないことも多い。機械の不具合だって頻繁にある。そんな中、島崎は淡々と器用に司会をやり遂げた。

時代が移り変わり、総合司会は紳助から今田耕司にバトンタッチされているが、番組は今も続いている。そしてもちろん、島崎はずっと司会を続けている。

司会のために方言矯正トレーニング

実は、この仕事のために島崎は人知れず努力を続けてきた。芸人司会者の横でサブ司会を務めるというのは、本来ならば女子アナが務めるようなポジション。進行のセリフをきちんと言うためには、高知県出身の島崎はなまりを捨てて、標準語によるしゃべりをマスターしなくてはいけなかった。

歌手デビューするために歌のレッスンやボイストレーニングも経験していたが、司会業のための方言矯正トレーニングこそが最も大変だったと本人は振り返っている。

努力の甲斐あって、島崎はバラエティの司会者として早くから頭角を現すようになった。見た目が良く、声が聴き取りやすく、キャラクターは明るくて豪快。島崎は女性司会者に必要な条件を高いレベルで満たす理想的なバラエティ司会者になっていた。この「司会もできるバラドル」というポジションを確保したことが、島崎が生き残った最も大きな理由ではないかと思う。

また、彼女は酒癖の悪さでも知られ、一度飲み始めるとその勢いが止まらず、芸人たちの間では「ミニアッコ」と呼ばれて恐れられている。彼女はそんな自分の性格を「適当、大ざっぱ、せっかち、飽きっぽい」と評している。適当だからこそ、細かいことは気にしないで新しい仕事に取り組める。また、飽きっぽい性格だからこそ、毎日現場にいる人が変わり、企画の内容も変わるテレビの仕事が向いているのだろう。

マツコ・デラックスは無二の親友

島崎がバラエティ番組の世界にバッチリ適応している1つの証は、現役のバラエティ王者であるマツコ・デラックスと無二の親友であるということだ。2人は同じ年齢ということもあって公私ともに付き合いが深い。島崎は「マツコと結婚して子供を産みたい」と口にしていたこともある。あのマツコが認めるだけの人間としての器や面白みがあるわけだから、島崎はやはり並大抵のタレントではない。

バラエティにアイドルが出ることが当たり前になって、「バラドル」という言葉はもはや意味を成さないものになった。島崎は最後にして最強のバラドルである。「ワカコドキドキ」のキャッチフレーズでデビューした彼女は、今は酒癖の悪さで飲み仲間のタレントたちをドキドキさせている。

作家・お笑い評論家

テレビ番組制作会社勤務を経て作家・お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など、多岐にわたる活動を行っている。主な著書に『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと『めちゃイケ』の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)、『なぜ、とんねるずとダウンタウンは仲が悪いと言われるのか?』(コア新書)、『この芸人を見よ! 1・2』(サイゾー)、『M-1戦国史』(メディアファクトリー新書)がある。マンガ『イロモンガール』(白泉社)では原作を担当した。

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