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失言界のカリスマ・杉村太蔵が売れ続ける理由

ラリー遠田作家・お笑い評論家

5月3日放送の『サンデー・ジャポン』(TBS系)では、ナインティナインの岡村隆史がラジオで失言をしたニュースが取り上げられていた。MCの太田光やコメンテーターの鈴木紗理奈が真剣な様子でひとしきり自分の見解を述べた後、リモート出演していた杉村太蔵がこう言った。

「失言がどういうときに起きるかっていうのを私からちょっと解説させてもらいたいんですけど、やっぱりね、テンション上がったときに起きるんです。私もね、初当選直後、テンションがMAXに上がりました。そのときについついウケを狙う感じで、料亭行ってみたいとポロッと出てしまった」

さすが失言界のカリスマ、と思わされる貫禄の一言だった。こういうときにすかさず自分の過去をネタにするところに、コメンテーターとしての彼の器用さがよく表れていた。

一介のサラリーマンだった杉村はかつて26歳の若さで衆議院議員となり、マスコミに追われる身となった。マスコミの期待に応えて、自分が庶民であることをアピールしようとして、調子に乗った発言を連発した。

「(国会議員は)JR乗り放題らしいですよ。しかも全部グリーン車」

「議員宿舎は3LDKだそうです。楽しみです」

「夢だったんですよ、BMWを持つことが」

「早く行ってみたいですね、料亭に」

国会議員が、国民の代表としてさまざまな特権を与えられた存在であることは知られている。しかし、それは、国会議員である本人が浮かれた調子で口にしていいことではなかった。

世間では彼に対する批判の声が鳴り止まず、党本部には苦情の電話が殺到。本人は上役から叱責され、謝罪会見を開いてテレビカメラの前で頭を下げる羽目になった。当時の杉村の叩かれぶりは今の岡村の比ではない。

「日本の憲政史上最もチャラかった国会議員」の異名を取る杉村太蔵は、なぜあんなにバッシングされるような発言をしてしまったのか。そして、そんな取り返しのつかない失態を犯したにもかかわらず、その後も彼がタレントとして売れ続けているのはなぜだろうか。

彼の人生を振り返ってみると、あの失言が出てきた理由がよく分かる。簡潔に言えば、彼は生まれながらの「お調子者」だったのだ。杉村太蔵は1979年、北海道旭川市に生まれた。祖父と父は二代続く歯科医院を経営していて、長男である太蔵には家業を継がせたいと考えていた。

しかし、彼にはほかにやりたいことがあった。小学4年のときに始めたテニスである。学生時代はひたすらテニスに打ち込んでいて、高校3年のときには国体で優勝した。全国の有名大学からスポーツ推薦のオファーが来ていた。父からは「浪人してもいいから歯学部に入って歯科医にならないか」と誘われていたが、杉村はその申し出を拒否した。

ところが、スポーツ推薦で筑波大学に進んだ彼を待ち受けていたのは退屈なキャンパスライフだった。専攻で学ぶ体育学の内容にも興味を持てず、テニス部には一応入ってみたものの、テニスへの情熱は高校のときに燃え尽きていた。

男ばかりの体育専門学群での生活にうんざりしていた杉村は、キャンパスに法学部の女性たちの姿を発見した。

「これが俺の求めていたキャンパスライフだ!」

そう思った彼は法学の授業を履修するようになり、ついには司法試験を目指すことにした。昼は大学、夜は予備校というダブルスクール生活でみっちり勉強を続けた。

しかし、予備校通いに熱中しすぎて大学にほとんど行っていなかったことが親にばれて、仕送りを打ち切られてしまった。大学を2年留年して、卒業できる見込みはなく、かと言って就職のあてもない。司法試験の勉強でも結果が出ていなかった。「帰って歯医者の仕事を手伝うよ」と父親に電話で告げたところ、冷たくこう言われた。

「資格もないのに歯医者の仕事ができるか! 働かないなら死ね!」

ここでようやく杉村の尻に火がついた。自分で働かなければ生きていけないという状況に追い込まれ、必死で職を探した。そして、派遣会社の紹介でオフィスビルのトイレ掃除の仕事を見つけた。時給はわずか800円だった。

彼はここで奮起した。胸をよぎる将来への不安を打ち払うかのように、誰よりも真剣にトイレ掃除に打ち込み、便器をピカピカになるまで磨き上げた。杉村の働きぶりを見て、グレン・ウッドという外資系証券会社の重役が声をかけてきた。

「君は若いし、将来必ず出世する。1週間後にウチの会社の入社試験があるから、受けてみなさい」

杉村は試験を受けて、見事に合格。証券マンとして同じビルのオフィスで働くことになった。知識ゼロで金融業界に飛び込んだ彼は、ここで驚くべき才能を発揮した。上司や同僚に気に入られるために、一歩先を行く気の利いた対応を心がけた。

「ボールペンを持ってきて」と言われたら、黒、赤、青の三色を揃えて、蛍光ペンと修正液まで添えてそっと差し出す。蛍光灯を換えることを命じられたら、交換するついでにぞうきんで周囲を拭き掃除する。

何事にも全力で打ち込む杉村の働きぶりは社内でも評価されつつあった。ある日、上司の命令で「郵政民営化」について調べているうちに、自民党のホームページで衆議院議員選挙の候補者を募集していることを知った。仕事で調べた郵政民営化に関する議論をまとめて、何気なく書類を送ってみた。すると、数日後に自民党から電話がかかってきた。何度かの面接を経て、杉村は自民党から立候補することになった。

いつもの調子で必死に選挙活動に励み、結果は見事に当選。トイレ掃除から国会議員へ、豊臣秀吉もびっくりの大出世を成し遂げた。当選してすぐに失言を連発してバッシングを受けてしまったわけだが、本人はまさかあんな事態になるとは思っていなかったに違いない。彼としては全力でマスコミにサービスをしたつもりだったのだが、完全に裏目に出てしまった。

議員を務め終えた後、空気を読めず何でもがむしゃらにやってしまう彼の才能が意外なところで開花した。テレビタレントの世界である。『サンデー・ジャポン』に出演した杉村はニュースについて意見を述べた。すると、「その薄口のコメントがいい!」とスタッフに褒められた。誰でも言えるような薄いコメントを堂々と言い切る姿が、一周回って面白いと言われたのだ。MCの太田からは「薄口評論家」と呼ばれた。

その後、彼はこの番組に準レギュラーとしてたびたび出演するようになった。ほかのバラエティ番組からも声がかかり、タレントとして売れっ子になった。日本中の誰もが知っている大失敗を犯していて、なめられやすいあのキャラクターは、タレントとしては「イジられやすい」という長所になる。議員経験のある彼は、政治ネタを扱うバラエティ番組でも重宝される。

どんな状況でも目の前のことに全力で打ち込み、自分の道を切りひらいてきた杉村は、世間のイメージよりもはるかに計算高くしたたかな人物なのだ。

作家・お笑い評論家

テレビ番組制作会社勤務を経て作家・お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など、多岐にわたる活動を行っている。主な著書に『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと『めちゃイケ』の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)、『なぜ、とんねるずとダウンタウンは仲が悪いと言われるのか?』(コア新書)、『この芸人を見よ! 1・2』(サイゾー)、『M-1戦国史』(メディアファクトリー新書)がある。マンガ『イロモンガール』(白泉社)では原作を担当した。

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