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ヒーローに宿る影の謎 BTS『Shadow』を『ユング 心の地図』翻訳者入江良平氏が分析【前編】

桑畑優香ライター・翻訳家
「第62回 グラミー賞授賞式」に参加したBTS(写真:REX/アフロ)

アルバム『MAP OF THE SOUL 7』を2月22日にリリースするに先がけ、『Interlude : Shadow』と『BLACK SWAN』を発表したBTS。そのアルバムのタイトルが発表になると同時に、再び世界中で話題となっている本がある。

『JUNG’S MAP OF THE SOUL:AN INTRODUCTION』。BTSが昨年4月にリリースしたアルバム『MAP OF THE SOUL:PERSONA』のコンセプトになり、注目を浴びた一冊だ。日本では、『ユング 心の地図』という邦題で青土社から出版されている。

1998年に原書を著したマレイ・スタイン氏は、スイス在住のカナダ人ユング派分析家
1998年に原書を著したマレイ・スタイン氏は、スイス在住のカナダ人ユング派分析家

「ペルソナ」も「シャドウ」も、『ユング 心の地図』に登場する重要なキーワード。ユング心理学から浮かび上がる新曲に映し出される心理とは――。日本語版を翻訳した元青森県立保健大学教授の入江良平氏に、『Interlude : Shadow』を読み解いてもらった。

シャドウ=自分の価値観と食い違う人格

「いやあ、面白いですね。すっかり分析にはまってしまいました」

取材を依頼したのは、1月10日に『Interlude : Shadow』のカムバックトレーラーが公開された直後のこと。数日間、映像や歌詞の細かい分析を重ねた後でインタビューに答えた入江氏の声は、興奮に満ちていた。

まずは、昨年リリースされたアルバムのキーワード「ペルソナ」と新曲のキーワード「シャドウ」の関係について。

入江氏によると、「ペルソナは、社会の中で生きていくために身につけている行動様式。一定のイメージを作って、それに従って演じていけば、まわりのひとも安心しますよね。対して、シャドウとは、自分はあってほしくないと思っている、あるいは自分の価値観と著しく食い違っているものが心の中にはたくさんある。自分は勇敢な人間だと思っているけれど、実はすごく臆病な一面があったり、お金には淡白だと思っているけれど本当はかなり貪欲だったりします。そういう部分は無自覚です。心の中で実際に活動しているけれど、本人は気づいていない、そういう自分の中の人格部分をシャドウと呼びます」。

そして、『Interlude : Shadow』のカムバックトレーラーの全体の意味をこう見る。

「金持ちになりたいとか、ロックスターになりたいとか、王様になりたいといった衝動に駆られてひたすら上昇していくとき、同時にその影は下に伸びてゆく。上昇と下降、天と地の対立が極限に達した瞬間、雷のように対立するものの結合が生じ、個別性の消滅する祝祭となる」

カムバックトレーラーの映像は、3つのパートに分かれるという。

1.ロックスターへの道を歩みだす前

2.ロックスターへの道に歩みだし、黒衣の人々に追跡され、手の届かないところへと上昇していく

3.対立物(上の自分と下なる自分)の結合と個別性の祝祭の中への埋没

注目すべき小道具は、服の色、そしてガラスだ。

ここからは映像とともに、入江氏の分析を紹介する。(〔   〕内の数字は、カムバックトレーラーのタイムコード)

1.ロックスターへの道を歩みだす前〔冒頭~0:48〕

動画の冒頭〔0:00~0:20〕に登場するのは、壁に向き合う黒衣の人々とその奥に立つSUGA。彼が立つドアの周りは、赤いペンキか泥のようなものが塗りたくられている。

「最初、縦と横に伸びる赤い色は十字架のように見えました。2回目に見たとき、その十字架から、その樹冠は天に、その根は地獄に達するという世界樹が浮かびました。この連想から私の解釈が形作られてきたように思います」

〔0:28〕

映像が逆回転するかのように割れたガラスがドアに貼りつき〔0:20〜0:23〕、その奥に白い服を着たSUGAが立っている。

「デビュー前の、まだ色がついていない状態のSUGAです。ロックスターになってトップに立ちたい、リッチになりたいと夢を歌い、ついで廊下を駆け出します」

〔0:48〕

I got a big dreamと言いながら飛び出すと、そこはステージの上。そのすぐ後には、緑色のステージを背景に、ガラスの破片が散乱するカットがある。『Interlude : Shadow』のカムバックトレーラーに映し出されるガラスの粉砕の意味は、ブレークスルー。SUGAが次の段階に移行したことを意味するという。

「このガラスの破片が最初のブレークスルーで、ここから本格的な上昇が始まります」

2.ロックスターへの道に歩みだし、黒衣の人々に追跡され、手の届かないところへと上昇していく〔0:48~1:25〕

〔0:54〕

緑がかったブルーのステージに降り立ち、周りに飛び散る『O!RUL8,2?』というデビュー初期のアルバムタイトルが象徴するとおり、スターへの道を歩み始めたSUGA。そして、上目遣いのSUGAが人差し指を口に当てる姿がアップになる。

「この指を口に当てるカットは、“密儀における沈黙”を示唆しています。つまり、ここまでは世俗的な栄光とそれに伴う不安や孤独といった、ユング心理学でいえば、『個人心理』が主たる内容でしたが、ここから先は境界を突き抜けて、その外へと上昇する。『ここからは密儀だよ』というサインがその仕草だった、そんな風に考えたいのです」

人間を超えた高み、光へと上昇するならば、それに対応するものが下に広がっていく。光はそれに対応する影、シャドウを生み出す。

〔1:08〕

「黒衣の人々が、SUGAを追いかけます。黒衣の人は、ヒーローが高みを目指して上昇するとき、一緒についていくことができない人格要素の群れです。平凡な人間的要素、例えば卑怯な行動をする(あるいはしたくなる)とか、邪悪な願望を持つとか。ヒーローのペルソナに対するシャドウとも言えるでしょう。SUGAがヒーローを目指して歩みだした時、こういう“ヒーローの影”は自分が切り離され、見捨てられることを予想して、彼を追いかけ始めます」

ここで注目すべきは、SUGAの表情だ。シャドウたちが透明な床の下から手を伸ばしても〔0:56〕SUGAは堂々としたまま。ストーカーに追われているような焦燥感は一切感じられない。

 

シャドウがまさに後ろからつかみかかろうとする瞬間〔1:14〕、SUGAはこんな風に歌う。

今気づいた 時には逃げるのも一つのオプションだと

人々は言うあの光の中は輝いていると

でも俺の影はむしろ

俺を飲みこんで化け物になる

「この『逃げる』という言葉から、『成功に伴う責任と恐れ』といったことではなく、むしろ『上昇し続けて天と地の間に引き裂かれる』ことから逃げたくなる、と、そんな風に感じました。そのあと、SUGAは『上へ、上へ、より高く』と歌い、追いかけてきた人々は下方に落下していきます〔1:21〕。さらに上昇するという決断がなされたからでしょう。SUGAは目を閉じて顔を上に向けます。『ただ上に行くのみ、そして眩暈が俺を襲う』それが恐怖と戦慄と試練の道になることを覚悟しているのです」

スターへの道を選ぼうと決意し、ステージに立つSUGA。強烈な光の爆発の中で、影が広がっていく。光の高みと下に伸びる影の拡大。その時、虚空からマイクが出現してガラスを粉砕する〔1:33〕。

Don't let me shine (俺の輝きを消してくれ)

Don't let me down (俺が落下しないように助けてくれ)

Don't let me fly (俺の飛翔を止めてくれ)

青いステージで絶叫するSUGA、緑のステージでガラスを砕くSUGA、3度目にマイクがガラスに衝突した時、SUGAは『今、俺は怖い、俺の輝きを消してくれ』と歌う。

「この辺り、私は『わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか』と叫んだ十字架上のイエス(マルコ15:34、マタイ27:46)を思い浮かべました」と入江氏は言う。

ここで2度目のブレークスルーが起こったのだ。そして、シャドウのストーリーは最終章へと移行する。

続きはこちら→「【後編】“2人のSUGA”の謎  BTS『Shadow』を『ユング 心の地図』翻訳者入江良平氏が分析

ライター・翻訳家

94年『101回目のプロポーズ』韓国版を見て似て非なる隣国に興味を持ち、韓国へ。延世大学語学堂・ソウル大学政治学科で学ぶ。「ニュースステーション」ディレクターを経てフリーに。ドラマ・映画レビューやインタビューを「現代ビジネス」「AERA」「ユリイカ」「Rolling Stone Japan」などに寄稿。共著『韓国テレビドラマコレクション』(キネマ旬報社)、訳書『韓国映画100選』(クオン)『BTSを読む』(柏書房)『BTSとARMY』(イースト・プレス)『BEYOND THE STORY:10-YEAR RECORD OF BTS』(新潮社)他。yukuwahata@gmail.com

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