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民事再生法を申請したレナウン、30年間のリストラの歴史と、4つのタラレバを考える

松下久美ファッションビジネス・ジャーナリスト、クミコム代表
英アクアスキュータムの買収がレナウンの経営の足を引っ張った(写真:ロイター/アフロ)

 かつて日本一だったこともあるアパレル企業で、東証一部上場のレナウンが破綻した。5月15日、東京地裁に民事再生法の適用を申請。負債総額は138億円余り。新型コロナウイルスの感染拡大による外出自粛や百貨店や商業施設の休業などにより売り上げが急減し、資金繰りに行き詰まった。

 これは、コロナ禍によるアパレル崩壊の終わりの始まりなのか……。

 答えはイエスでもあり、ノーでもある。中小企業が多いこともあり、多くの企業・ブランドが破綻を迎えるかもしれないが、アパレルが一概に悪いわけではない。むしろ、レナウン固有の、30年に及ぶリストラの歴史を知っておくべきだ。

 関連記事:レナウンの会長、社長を解任、株主総会で筆頭株主の中国企業が再任否決、これを機に業界団体の改革にも期待

 実は、レナウンほど、タラレバ(もし~していたら、もし~していれば)と思わされるアパレル企業は他にない。

 創業は1902年。大阪で、繊維雑貨卸業に始まり、有力メリヤス問屋として発展。とくに60~70年代には、小林亜星によるCMソング「レナウン・ワンサカ娘」が大ヒット。実写とアニメーションを合成したカラーCMの「イエイエ娘」では、ACC(全日本CM協議会)の「CMフェスティバル」でグランプリを受賞。さらに、アメリカンテレビCMフェスティバルでも国際部門の繊維部門最優秀賞を受賞。グループ会社・ダーバンのCMには人気俳優のアラン・ドロンを起用するなど、話題性も創造性も高い花形企業であった。

 今では「ラルフローレン」や「ラコステ」などが有名だが、日本で最初にワンポイントのロゴブランドブームを巻き起こしたのもレナウンだった。人気ゴルファーだったアーノルド・パーマー氏にあやかって、日本で独自に「アーノルド・パーマー」ブランドを開発。本人をCMに起用してプロモーションしたこともあり、傘のロゴマークを胸に付けたポロシャツが大ヒット。1ブランドだけで年間売上高が600億円に達するほどの人気となった。

 全社売上高は74年度に1000億円を突破。そのわずか6年後の80年度には2000億円を超えた。しかし、81年度に売上高2023億円で過去最高益(営業利益108億円、経常利益140億円)を記録したものの、82年度には営業利益が68億円、86年度には20億円へと、激減。しかし、金融収支が利益を支えてしまったため、本業へのテコ入れは遅れに遅れた。

 そして、1つ目のタラレバが起こる。1990年の英国アクアスキュータム社の買収だ。1856年に創業したバーバリーよりも5年早い1851年に高級紳士服店としてスタート。ロンドンのリージェントストリートに旗艦店を構え、英国を代表する老舗ブランドに成長していた。しかし、英国の投資家グループに敵対的買収をされそうになり、レナウンが救済する形で買収に至った経緯がある。買収価格は200億円だったが、結局400億円以上を投入する羽目になった。

 オンワード樫山は70~80年代にかけて海外に現地法人を設立し、デザイナーや現地メーカーをパートナーに迎えてグローバル化を推進。三陽商会が英国「バーバリー」のライセンス事業を成功させていた最中のこと。レナウンも欧州への生産・販売の足がかりをつかんだ……はずだった。しかし、アクアスキュータムの欧州での業績は冴えず、米国事業拡大も失敗してしまった。

 結局、買収の翌年、91年12月期に営業赤字に転落し、92年7月期から最終損益も赤字に。バブル崩壊と時を同じくして、長い長いリストラの歴史が続くことになる。2019年12月期までの29年間で、最終黒字だったのはわずか5期(*)。過去の遺産と、後述するスポンサー企業の存在により、現在まで生き延びてきた、ある種、天然記念物のような企業なのである。

(*修正:最終黒字だったのは、2006年1月期、2013年1月期、2016年1月期、2018年2月期の「4期」とカウントしていましたが、1997年1月期が決算期の変更をしており、その前の1996年12月期が営業赤字ながらも当期利益が黒字化してたため、「5期」へと修正しました 19日0:12)

 2つ目のタラレバが「営業力が弱ければよかったのに」というものだ。当時のアパレルの商慣行では、「お客さまに売れた時点」ではなく、「百貨店など店に納品した時点」で売り上げが計上される仕組みになっていた。営業マンの成績は納品量で計られていたので、期末に売れ残り品が大量に返品されようとも、「押し込み営業」は横行。そこに「売り上げ第一主義」が重なり、在庫が積み上がり、利益はますます低下した。早期に「利益第一主義」やSPA(製造小売り)に転換できていたら、状況は大きく変わっていただろう。武器だった営業力が、じわじわと自らを追い込むことになってしまったのだ。

 経営改革の一環で、2004年にはグループのダーバンと経営統合し、レナウンダーバンホールディングス(商号変更して現在はレナウン)を設立。長年のライバルだったオンワード樫山で婦人服「組曲」を成功させ、紳士服を祖業とするオンワードの総合アパレルでの日本一をけん引した加藤嘉久・専務(当時)を副社長に迎え入れるドラスティックな人事も行ったが、効果は限定的だった(加藤氏は3年で退社)。

 3つ目は、スポンサー企業の選定だ。最初のホワイトナイトは、2005年に現れたカレイド・ホールディングスだった。福助などの再建を手がけていた和製ファンドの走りだったMKパートナーズから、川島隆明氏が独立して2004年に設立。100億円を投じ、川島氏自らアクアスキュータムの会長も務めた。しかし、赤字は拡大するばかりで、2008年にわずか26億円で保有株式をネオラインに売却した。もともとライブドアグループの一員で、中堅商工ローンなどを傘下に有する消費者・事業金融会社だ。翌年、経営参画を含めた株主提案を突き付けられ、経営陣が総退陣するなど混乱を招いた。

 レナウンが助けを求めたのが、現在の親会社である中国繊維大手、山東如意科技集団だった。2010年、第三者割当増資に応じる形で、40億円を出資し、ネオラインを抑えて筆頭株主となった。2013年に29億円を追加し、53%まで出資比率を上げた山東。

 レナウンとしては山東のグループ入りをすることで、中国市場への本格展開を目論んでいたのだが、全くうまくいかず。アクアスキュータムをフックとした欧州進出に続き、山東を橋頭保にした中国進出という、2度の大きなグローバル展開のチャンスをものにすることができなかった。

 しかも、2019年12月期に山東如意の香港子会社(恒成国際発展有限公司)から53億円の売掛金が回収できずに貸倒引当金を計上したことで、赤字幅が拡大。さらに、3月の株主総会では前社長と前会長の取締役再任案を否決され、毛利憲司氏が社長に就任したばかりで、経営体制も混乱していた。

 実は山東の傘下に入る前に、サーベラスなど、数社がレナウン買収に向けて水面下で動いていたことがある。サーベラスは、西武ホールディングスの敵対的TOBを仕掛けて委任状合戦(プロキシーファイト)となったことなどで話題になったあの「ハゲタカファンド」と呼ばれた、あの米投資会社だ。

 そして、4つめのタラレバが、レナウンが日本で行っていた「J.Crew(J.クルー)」の展開だ。奇しくも先日、米J.クルー社の経営破綻が伝えられたばかりだが、日本事業がうまくいっていたならば、今も両社ともに健全な成長を遂げていたかもしれない。

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 もし、アクアスキュータムを買収していなかったら。もし、営業力が弱かったら。もし、山東ではなく、サーベラスが買収していたら。もし、「J.クルー」の日本でのブランド展開がうまくいっていたなら……。そんなタラレバを想起しつつ、再建に向けたスポンサー獲得の行方が気になるところだ。

ファッションビジネス・ジャーナリスト、クミコム代表

「日本繊維新聞」の小売り・流通記者、「WWDジャパン」の編集記者、デスク、シニアエディターとして、20年以上にわたり、ファッション企業の経営や戦略などを取材・執筆。「ザラ」「H&M」「ユニクロ」などのグローバルSPA企業や、アダストリア、ストライプインターナショナル、バロックジャパンリミテッド、マッシュホールディングスなどの国内有力企業、「ユナイテッドアローズ」「ビームス」を筆頭としたセレクトショップの他、百貨店やファッションビルも担当。TGCの愛称で知られる「東京ガールズコレクション」の特別番組では解説を担当。2017年に独立。著書に「ユニクロ進化論」(ビジネス社)。

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