中央銀行は誰のためにあるのか
米国のトランプ大統領は23日に放映されたNBCテレビのインタビューで、米連邦準備制度理事会(FRB)のパウエル議長を解任し、理事に降格させる権限が「私にはある」と述べた(共同通信)。
また、FRBの報道官は、議長の「解任は理由がある場合にのみ可能だ」と回答した(ブルームバーグ)。
1998年に施行された新日銀法では内閣による日銀総裁の解任権はなくなった。旧日銀法では蔵相に業務命令権を認めていたことや、内閣が総裁の解任権を持っていたこと、日銀の予算は蔵相の認可が必要であったことなどが弊害とされて、新日銀法ではそれが改正された。
いわばこれがひとつの日銀の独立性といえるものとなった。これに対して、2012年12月の解散総選挙にむけて、当時の安倍自民党総裁は熊本市内の講演で、衆院選後に政権を獲得した場合、金融緩和を強化するための日銀法改正を検討する考えを表明した。
この日銀法改正とは、内閣が日銀総裁の解任権を持つことなどを意識したものとも捉えられかねず、結果として日銀は大胆な金融緩和策を取らざるを得なかった。それ以前に、2012年12月の総選挙で圧勝した安倍政権は翌年の日銀総裁、副総裁人事で、リフレ的な政策を推し進めるべく人物を推してきた。その結果が2013年4月の異次元緩和と呼ばれた政策となった。
今回のトランプ大統領の発言もかなり問題である。これまでも米国大統領とFRB議長の間では意見の食い違いが多くみられた。政府側としては景気や物価、さらには株価に働きかけるとともに、自国通貨安も意識した中央銀行による緩和政策を求めやすい。それに対して中央銀行は過度なインフレを抑えることも必要であり、のちの反動を考慮するとバブルについても過熱を抑えたい、さらには異常に緩和策を取り過ぎた場合の修正も行いたい。
このため政府と大統領が対峙することもあった。しかし、時代とともに、そのような対立そのものは経済実態については良くないことであり、それぞれの仕事をしっかりやることで、安定した経済金融運営が可能となるとの認識を強めてきた。日本での1998年の日銀法改正しかり、米国でもルービン財務長官あたりから、そういった大人の対応をするようになったとされる。
どうやらその大人の対応が、日本や米国でも変化しつつあり、それだけでなくトルコなどで政府による中央銀行への圧力は顕著になっている。中央銀行とは誰のものなのか。それは政府のものではなく、安定した経済や物価を求めている我々国民のもののはずなのであるが。