VaRショックから10年
10年前の2003年6月11日の債券ディーリングルームの債券市況は次のようになっていた。
「フレディマックの不正会計疑惑などを受けて、FRBの緊急利下げの噂もあったようだが、欧米ともに利下げ期待がさらに強まり、米国債は10年で3.18%に低下。円債も先物が買い気配でスタート。現物債も利食いをこなしながら積極的な買いが超長期主体に入り、30年もついに過去最低を更新し0.960%まで低下、20年は0.745%、10年も0.430%と過去最低利回りを更新中。本日、6月限の最終売買日となる先物も145円28銭まで上昇した。」(臨機応変過去ログより)
この日につけた10年債利回りの0.430%が結局、昨年スイスに抜かれるまで世界の長期金利の過去最低記録となった。そのスイスの記録も4月4日の日銀の異次元緩和の翌日5日に、日本の長期金利が0.315%となり、日本が再び過去最低の長期金利を記録することになる。
2003年6月の債券相場は11日以降、じりじりと下落基調になるが、6月17日の債券市況は次のようになっていた。
「20年国債の入札は、事前予想通りの結果ながら、やや過熱感を指摘するような声も事前にあった。しかし、今回の入札は、これまでの入札とはやや趣も異なり、足の早い投資家などの札も指摘された。1%割れのクーポンということで、それほど投資家ニーズも見えなかったとも指摘されていた。そして、中期主体に売りが入ったことで、先物は144円50銭をも割り込んだ。日経平均は9000円台で引けており、こちらも債券の上値を重くした。」
この20年国債入札については、大手生保が買い控えていたことが日経新聞の報道で明らかになった。これもひとつのきっかけとなり、債券市場はこの日以降、急落することになる。これがのちにVaRショックと呼ばれた債券相場の急落である。その動きがピークとなったのが7月4日であった。これについては債券ディーリングルームの「若き知(2003年7月4日)」で次のようにコメントしていた。
「都銀の投資勘定部門などが、リスク量を引き下げるために、5年、10年などの売却に動き、それを受けた業者も先物でヘッジ売りをかけるなどしたことで大幅に下落し、10年251回は一時1.400%まで利回りが上昇した。先物も137円76銭とストップ安近くまで急落した。ところが、大手機関投資家が数千億円とも思われる買いを10年主体に入れてきたことで相場は急反発した。先物は140円38銭まで上昇し、一日の値幅が2円62銭となり先物市場1985年11月1日に次いで二番目の記録となった。現物債の動きは下記のとおり。 10年251回、O1.115%、H1.040%、L1.400%。5年27回、O0.525%、H0.445%、L0.565%」(若き知、2003年7月4日)
10年債利回りは、2003年6月11日の0.430%から7月4日に1.400%と1%近く利回りが上昇した。このタイミングで大手機関投資家?がまとまった買いを入れてきたことで、相場は急反発し、この日の先物は2円62銭も動いたのである。ここでVaRショックによる下落はいったん収まった。
ちなみに1985年11月1日の債券先物の1日の値幅の記録は手元のデータでは2円85銭となっている(当時の値幅制限は一時的に3円に拡大された)。1985年10月19日に長期国債先物が東証に上場してまもなく、プラザ合意を受けて日銀が短期金利の高め誘導を実施してしまったことで債券先物が急落し、これほどの値動きが生じていた。
実は2013年4月5日の異次元緩和翌日の債券先物は3円31銭も動いている。本来であれば、異次元ショックとかの名称が付いてよいほどの動きであった。VaRショックからまもなく10年。今年も当時と同様に債券相場は波乱の年となっている。