井山七冠でも勝てなかった囲碁国際戦 日本勢・戦いの歴史

国内戦では無敵の強さを誇る井山裕太七冠(大阪商業大学撮影)

 2月8日、東京・日本棋院で行われた囲碁国際戦の第22回LG杯世界棋王戦(世界日報主催)決勝三番勝負第3局は、中国の謝爾豪五段(19)が日本の井山裕太七冠(28)を破り2勝1敗で優勝した。日本勢としては13年ぶりの同棋戦優勝が懸かっていたが、あと一歩届かなかった。

最初の国際戦は日本主催

 二カ国対抗戦としての国際戦は1984(昭和59)年に始まった「日中スーパー囲碁・NEC杯」(~2001年)で、国内戦とは違ったオリンピックのような盛り上がりを見せた。当初は女流棋士や新鋭を含めた選抜チームの勝ち抜き戦で、第1回(中国の8勝7敗)第2回(中国の9勝8敗)とも中国の大将格、聶衛平九段がそれぞれ3連勝、5連勝しチームの勝利に貢献したことで「鉄のゴールキーパー」の異名を取り国民的英雄となった。

24回続いた富士通杯・世界選手権

 最初にプロ棋士が参加する大規模な国際個人戦を主催したのもやはり日本。1988(昭和63)年創設の世界囲碁選手権・富士通杯(読売新聞社主催)は高額賞金もともなって注目された。第1回の決勝戦は武宮正樹本因坊(当時)-林海峰九段の対決となり、隅の地にこだわらず中央を重視する「宇宙流」を駆使した武宮の快勝となった。国際戦が行われるようになった当初は日本勢が強く、富士通杯では第1回から第5回まですべて日本の棋士が優勝している。

<富士通杯世界選手権歴代優勝者>

*段位・敬称略

第1回・1988年

武宮正樹(日本)

第2回・1989年

武宮正樹(日本)

第3回・1990年

林海峰(日本)

第4回・1991年

趙治勲(日本)

第5回・1992年

大竹英雄(日本)

第6回・1993年

劉昌赫(韓国)

第7回・1994年

チョ・フニョン(韓国)

第8回・1995年

馬暁春(中国)

第9回・1996年

李昌鎬(韓国)

第10回・1997年

小林光一(日本)

第11回・1998年

李昌鎬(韓国)

第12回・1999年

劉昌赫(韓国)

第13回・2000年

チョ・フニョン(韓国)

第14回・2001年

チョ・フニョン(韓国)

第15回・2002年

イ・セドル(韓国)

第16回・2003年

イ・セドル(韓国)

第17回・2004年

朴永訓(韓国)

第18回・2005年

イ・セドル(韓国)

第19回・2006年

朴正祥(韓国)

第20回・2007年

朴永訓(韓国)

第21回・2008年

古力(中国)

第22回・2009年

姜東潤(韓国)

第23回・2010年

孔傑(中国)

第24回・2011年

朴廷桓(韓国)

 富士通杯に関しては第11回以降全て韓国、中国の棋士が優勝、2011年の第24回を最後に棋戦は休止となってしまった。このように海外勢の実力が向上するにつれ国際戦の舞台で日本の棋士が優勝争いに絡むことは少なくなり、この傾向は現在まで続いている。これは国内外を問わず若手育成に情熱を傾けた藤沢秀行名誉棋聖(1925年~2009年)の海外における活動や、20世紀後半に中国、韓国で囲碁人気が高まったことでプロを目指す若者が増えレベルが急激に上がったことが影響したといえるだろう。

国際戦優勝で凱旋パレード

 このほかの国際戦で歴史が長く現在も残る個人戦は1988(昭和63)年に始まり4年に1度開催される「応昌期杯世界プロ囲碁選手権」がよく知られる。台湾の実業家、応昌期氏(1917年~1997年)が私財を投じて創設したこの棋戦は日本、中国、韓国、台湾、欧州、米国などから選抜され、賞金も世界最高レベル。第1回でチョ・フニョン九段(韓国)が優勝した時は帰国時に空港からソウル市内まで凱旋パレードが行われるほどの盛り上がりを見せ、韓国囲碁ブームのきっかけとなった。

 その後日中韓による選抜棋戦の「TV囲碁アジア選手権」、個人戦では中国の「春蘭杯」や韓国では今回の「LG杯」や「三星杯」、国対抗の団体勝ち抜き戦「農心杯」など相次いで棋戦が作られ現在の国際戦全盛時代を迎えている。

日本勢の国際戦優勝に期待

 国内では無敵の井山七冠であっても国際戦優勝は2013年の「TV囲碁アジア選手権」(日中韓7人による選抜棋戦)のみ。トップ棋士が多数参加する国際戦で井山七冠やそれに続く若手が頂点に立つことを日本のファンは心待ちにしている。