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厚労省が裁量労働制に「改革案」 現場からは「うまくいかない!」の大合唱

今野晴貴NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。
(写真:イメージマート)

厚労省検討会の裁量労働制の「改善案」は、本当に有効なのか?

 7月15日、厚生労働省の検討会が、裁量労働制など労働時間制度の改革に関する報告書を公表した。

 裁量労働制は、実際に働いた時間が何時間であろうと、一定の「みなし労働時間」を労働したものとされる制度である。労働者は短時間しか勤務しなくても、みなし労働時間分の賃金が払われる。一方で、労働者を何時間働かせても残業代を追加で払わなくて良いため、「定額働かせ放題」として経営側が制度を悪用するケースが相次いでいる。

 こうしたリスクに対して、裁量労働制は出退勤の時間や業務の進め方を自由に決めることができる「裁量」のある労働者のみに認められており、対象となる業務も限定されている。しかし、今回の検討会の報告書は、経済界の要求を反映して、この対象業務の拡大を前向きに進めようとするものと言える。

 もちろん、昨今のテレワークの拡大など社会状況の変化もあり、「自由な働き方」は労使双方にニーズが拡大していることは事実である。また、同報告書は、裁量労働制の悪用を防ぐための改善案もいくつか提言している。

 だが、裁量労働制の労働相談の現場では、すでにテレワークに関する労働相談はいくつも寄せられいる上、同報告書で提案されている「改善案」も実効性に乏しいものとなっている。このまま裁量労働制の拡大が続けば、「定額働かせ放題」の被害は拡大してしまうものと思われる。多くの労働団体も改革案に懸念の声を上げている。

参考:労働時間規制の緩和・裁量労働制の適用拡大に反対する声明(日本労働弁護団)

参考:「これからの労働時間制度に関する検討会」報告に対する談話(連合)

 そこで、本記事では、同報告書で示されている「労使コミュニケーションの促進」と「労働者が理解・納得した上での制度の適用と裁量の確保」という二つに「改善策」の有効性について考えたい。

 じつは、ちょうど報告書の公表される一週間前、大手地質調査会社で裁量労働制を「適用」されていた労働者Aさんに関し、労働基準法違反が認められ、労働基準監督署が同社に是正勧告を出すという事件が起きている。この事例では、上記の二つの改善案の「前提」がそもそも成り立たないという、非常に典型的な問題が発生していた。

 Aさんが加入した労働組合「仙台けやきユニオン」と同社への取材にもとづき、この裁量労働制の最新の悪用事例を紹介しながら、厚労省の検討会の改善案の有効性を検証していこう。

入社2年目の裁量労働制で、月100時間の長時間残業

 まずはAさんの事例の経緯を紹介しよう。2019年4月、大手地質調査会社「基礎地盤コンサルタンツ」に入社したAさんは、地質調査の「現場代理人」として、ボーリング作業を請け負う下請業者間の調整、ボーリングコアの写真撮影、データのとりまとめ、調査結果の分析などに従事していた。

 Aさんには入社2年目から裁量労働制が適用されていた。入社2年目ではまだ専門性がそれほど高いとはいえないだろう。しかも、Aさんの業務は、裁量労働制の対象業務のうち「新技術の研究開発」にあたるとされたが、地質調査が該当するかは疑わしく、この時点で裁量があるとは言い難い状態だった。

 実際に働き方に裁量がなかったことは、すぐに露呈した。繁忙期にはかなりの長時間労働になり、最も労働時間が長かった2021年9月から12月にかけては、それぞれ99時間、110時間、87時間、96時間の残業が発生していたという。だが、月30時間分の残業代に相当するという裁量労働手当以外には、残業代は一切支払われなかった。Aさんは長時間労働で体を壊し、今年2月からはうつ状態で会社を休職することになった。

「労使コミュニケーション」どころじゃない! 実在しない労働者代表

 やがてAさんは、自身に適用されていたという裁量労働制の正当性に疑問を抱くようになっていた。その一つに、労使協定の手続きがあった。

 裁量労働制を職場に導入する際においては、使用者と労働者の代表が協議して、労使協定の締結(専門業務型裁量労働制)か労使委員会の決議(企画業務型裁量労働制)による「合意」を経ることが条件となっている。ところが、この労使の「合意」がずさんな職場が後を絶たない。労働者の代表を選ぶにも、労働者の過半数の支持がなければならないのだが、この手続きをしていないところが多い。

 Aさんの勤めていた職場は、まさにその典型だった。Aさんは、労使協定の労働者代表がいつどのように職場で選出されたのか、全く記憶になかったのだ。

 Aさんは裁量労働制が自身に適切に適用されていなかったとして、会社に未払い残業代を払うよう求めた。ところが残業代は払われず、Aさんは、労基署に労働基準法違反の申告を行った。

 すると会社は労基署に、裁量労働制の労使協定締結の経緯を説明した。労働者代表の労働者代表の候補者を会社が指名し、その候補者が代表でいいか職場の社員全員に信任投票を呼び掛け、特に異議がなかったので、候補者が信任されたという。ところが奇妙なことに、会社は信任投票がいつ、どのように行われたのかを説明することができなかったのである。

 結局、仙台労基署は7月7日、労使協定の締結が不適切であるとして、同支社における裁量労働制が無効であったと判断。労基法37条違反(残業代未払い)であるとして、未払い残業代を支払うようにという是正勧告が出された。同時に、労基署はAさんの現場代理人の業務には実際には裁量がなかったとして、裁量労働制の運用の見直しも指導している。

 ここで、今回の厚労省検討会の報告書を振り返ってみよう。報告書は「労使コミュニケーションの促進」を裁量労働制の改善案として提唱している。前述のように、現行の裁量労働制は導入の際に労使協定や労使委員会の合意が必要だ。しかし、導入時だけでなく、導入後も、当初の合意通りに裁量労働制が運用されているかを、労使で継続的に確認・検証すれば、実態に合わない裁量労働制を見直すことができるはずというのが、この提案の中身だ。

 だが、今回の事件では、そもそも出発点の労使協定ですら、まともに労働者の代表が選ばれて締結したものではなかった。「労使コミュニケーション」による継続的なチェックを期待するどころではない。「労使」の土台がそもそも存在していないのだ。

 残念ながら、この事例はまったく例外的ではない。ずさんな労使協定に関する裁量労働制の労働相談は極めて多く、おそらく相談のうち半分程度はそもそも労働者代表を適切に選んでいない。そうした「違法状態」にあっても、労働者は「裁量労働制だから仕方ない」と我慢し続ているわけだ。

 「労使コミュニケーション」の前提となるような、労働者側の発言力がほとんど期待できないのが実情であるといわざるを得ない。こうしたことは、残業時間の上限を決める36協定がほとんどの職場で形骸化していたり、本来労働者の「権利」であるはずの有給休暇が取れないなど、かねてから日本の労働問題の核心であったといえる。いまさら「労使コミュニケーション」で問題が解決するはずがない。

裁量労働制の適用について個人で交渉は可能か?

 今回の厚労省検討会の報告書は、裁量労働制の改善案として「労働者が理解・納得した上での制度の適用と裁量の確保」も掲げている。具体的に重要になってくるのは、労働者個人の「同意」だ。

 すでに企画業務型においては、裁量労働制を適用する際に、当該労働者個人の同意を得ることが義務付けられている。この同意の手続きを、専門業務型の適用においても必要にしようというのだ。また、労働者個人が同意を撤回することで、裁量労働制の適用を解除できることも明確化するという。

 だが、労働者個人の力で、裁量労働制の「同意」の拒否や撤回を、会社に対峙して主張できるのだろうか? 会社はそれを許すのだろうか? この点においても、基礎地盤コンサルタンツでは典型的な問題が起きていた。

 今年5月、同社の支社長と部長の2名は、うつ状態で休職中だったAさんを呼び出し、Aさんが裁量労働制の適用の無効を訴えて労基署に申告したことが「信頼関係」を損なったとして、一定の金額を支払う代わりに退職を求めたのである。

 それだけではない。その提案を断るのであれば、Aさんの親(就職時に「保証人」となる誓約書を書かされている)や、Aさんを会社に紹介した大学の恩師(ゼミの卒業生からこれまでも同社に採用されている)に「相談させていただく」と迫ったのだ。なお、これらの発言をAさんは全て録音しており、以下で公開されている。

参考:「労基に申告したら親や恩師に連絡!? 是正勧告も出た基礎地盤コンサルタンツの誠実な対応を求めます」

 Aさんは、地元の労働組合である「仙台けやきユニオン」に駆け込んだ。ユニオンは同社の言動が「脅迫的」な行為だと抗議した。その後、会社はその後組合に対する回答書の中で、今後はAさんに退職を求めることや、親や教員に対して連絡を取ろうとはしないと約束している。

 7月の仙台労基署の是正勧告では、じつはこの発言も対象となった。労基署に申告を行った労働者に対する不利益な取り扱いは禁止されているからだ(労働基準法104条)。上記の音声が決定的な証拠となった。とはいえ、Aさん個人だけでは、この会社の発言に萎縮してしまった可能性は高いだろう。Aさんは現在、ユニオンを通じて、現在も未払い残業代について交渉中だ。

 現行の制度でも、裁量労働制の適用について個人で交渉する人は、会社側の「報復」のリスクを覚悟しなければいけない現実がある。そのような中で、勇気を出して同意を拒否したり、撤回したりということが容易にできるのだろうか。

 なお、本記事で記載してきた事例について、筆者は基礎地盤コンサルタンツ側にも取材を申し込んだが、「現在団体交渉中のため、取材には応じられません」という回答が返ってきている。

労働組合が裁量労働制の改善の鍵に

 ここまで最新の事例でみてきたように、厚労省検討会の報告書が提案する「労使コミュニケーションの促進」や「労働者が理解・納得した上での制度の適用と裁量の確保」という改善案は、現状の日本のボロボロの労使関係を前提とする限り、悪用に対する有効な歯止めになるとは考えづらいのが現状だ。

 労働者本人が自らの裁量の有無を判断し、自らへの裁量労働制適用の是非を会社に伝えるためには、個人ではなく、Aさんのように労働組合に加入し会社と交渉することが有効である。

 なお、往々にして会社の中にある労働組合では、会社に対して逆らえない場合も多い。その点、会社の外にある労働組合は、会社と利害関係はなく、権利の実現を求めて妥協なく交渉ができる。

 「定額働かせ放題」でしかない裁量労働制の悪用を断るためにも、裁量労働制を本当に活用し、自由な働き方を実現するためにも、ぜひ会社としっかり対峙する労働組合への相談をおすすめしたい。

 なお、8月21日には、仙台けやきユニオンと同じ組合の支部である裁量労働制ユニオンが「裁量労働制相談ホットライン」を下記の通り実施するという。残業代請求や本来の裁量ある働き方の実現を諦める必要はない。困っている方は相談してみてほしい。

「裁量労働制相談ホットライン」

日時:8/21(日)13〜17時

電話番号:0120-333-774

主催:裁量労働制ユニオン

※通話・相談は無料、秘密厳守です。ユニオンの専門スタッフが対応します。

裁量労働制を専門とした無料相談窓口

裁量労働制ユニオン 

03-6804-7650

sairyo@bku.jp

*裁量労働制を専門にした労働組合の相談窓口です。

無料労働相談窓口

総合サポートユニオン

電話:03-6804-7650(平日17時~21時 日祝13時~17時 水曜・土曜日定休)

E-mail:info@sougou-u.jp

公式LINE ID: @437ftuvn

就労支援相談窓口

*個別の労働事件に対応している労働組合。労働組合法上の権利を用いることで紛争解決に当たっています。「ブラック企業」などからの転職支援事業も行っています。

NPO法人POSSE

電話:03-6699-9359(平日17時~21時 日祝13時~17時 水曜・土曜日定休)

E-mail:soudan@npoposse.jp

公式LINE ID:@613gckxw 

*筆者が代表を務めるNPO法人。訓練を受けたスタッフが労働法・労働契約法など各種の法律や、労働組合・行政等の専門機関の「使い方」をサポートします。

仙台けやきユニオン

電話:022-796-3894(平日17時~21時 日祝13時~17時 水曜・土曜日定休)

E-mail:sendai@sougou-u.jp

*仙台圏の労働問題に取り組んでいる個人加盟労働組合です。

ブラック企業被害対策弁護団

03-3288-0112

*「労働側」の専門的弁護士の団体です。

NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。

NPO法人「POSSE」代表。年間5000件以上の労働・生活相談に関わり、労働・福祉政策について研究・提言している。近著に『賃労働の系譜学 フォーディズムからデジタル封建制へ』(青土社)。その他に『ストライキ2.0』(集英社新書)、『ブラック企業』(文春新書)、『ブラックバイト』(岩波新書)、『生活保護』(ちくま新書)など多数。流行語大賞トップ10(「ブラック企業」)、大佛次郎論壇賞、日本労働社会学会奨励賞などを受賞。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。専門社会調査士。

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