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「早くパスポートを返してほしい」  実質的「強制労働」が可能になるシステムとは

今野晴貴NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。
(写真:アフロ)

 神奈川県横浜市に事務所を構える「アドバンスコンサル行政書士事務所」(代表:小峰隆広)が、雇用しているフィリピン人労働者のパスポートを取り上げ、本人の意に反して返還しないという事件が起こっており、様々なメディアで報じられている。

 参考:東京新聞 外国人旅券職場で管理 帰国も転職も阻む「不当契約」 横浜の行政書士事務所

 日本で働く外国人労働者にとっては、パスポートを自分が管理できるかどうかは文字通り死活問題である。日常生活に必要な行政手続きや転職活動などあらゆる場面でパスポートが必要だ。

 それを会社が一方的に保管し続けることは重大な人権侵害に当たる。

 今回のケースは、私が代表を務める労働NPO法人POSSEの「外国人労働サポートセンター」の窓口に相談が寄せられたことで明らかになった。後で見るように、このような事例は氷山の一角にすぎない。

 本記事では、なぜ外国人労働者のパスポートを預かる企業が後を絶たないのか、そしてこのような外国人労働者に蔓延る人権侵害をどうすれば改善できるのかを考えていきたい。

入社時に「パスポートの管理に関する契約書」を結ばされる

 まず、今回のケースでパスポートを預けさせられることになった経緯について紹介したい。

 問題となっている会社、アドバンスコンサル行政書士事務所は、ホームページによれば、主に外国人向けに日本で働き生活するための在留資格の手続きの仲介をしている会社で、代表行政書士の他に、通訳や翻訳の業務を担う外国人労働者が数名働いている。

 なお、代表者は「アドバンスコンサル社会保険労務士事務所」や「日本養子縁組斡旋センター(YIAA)」なども同じ事務所内で経営しており、今回、パスポート取り上げの被害にあった30歳代のフィリピン人女性(以下、Aさん)はそれらすべての企業に雇用されていることになっていた。

 Aさんは、日本語学校に通うために2017年に留学生として来日しており、日本語学校卒業後の今年5月からこの行政書士事務所で働き始めた。

 Aさんがこの会社で働くことになったきっかけは、学校卒業後のビザの手続きについて相談するために、この行政書士事務所を訪れたところ、会社からここで働くことを勧められたことだった。

 Aさんは5月から最初の2週間はアルバイトとして、その後、1年契約の契約社員として、この行政書士事務所で通訳や翻訳などの仕事に従事する形で働いていた。

 そしてAさんは入社と同時に、会社にパスポートを預けることに「合意」する「パスポートの管理に関する契約書」にサインすることを求められて署名している。

 ここで、読者の多くは、「なぜ自らパスポートを預けることに合意したのか」という疑問を抱くことだろう。その背景には、外国人独特の事情がある。

 外国人労働者は生活保護を利用できず、留学生には失業保険も適用されない。また、外国人は就職先が見つからなければ日本に在留し続ける資格を得ることができずに帰国を余儀なくされる。

 一度帰国してしまえば、母国から日本で就労するためのビザを獲得するチャンスは大幅に限られる。それではせっかく留学して日本語を学んだ意味がなくなってしまう。

 なんとか就職先を見つけなければならない状況の中で、Aさんは「契約書」にサインせざるを得なかったのだ。 

 その上、この文書はすべて日本語で書かれており、難しい法律用語も使われている。日本語が母語でないAさんにとってその内容をすべて理解するのは不可能だった。

 会社側もAさんが内容をしっかり理解できないように、英語やタガログ語といった労働者にわかる言語で「あえて」契約書を作成しなかったと考えられる。

 そして、この文書はタイトルこそ「契約書」として、あたかも会社とAさんの自由な契約に基づくものとされているが、実質的にAさんの自由を完全に奪う内容だった。実際の文言を見れば、それは一目瞭然だ。

Aさんと会社が結んだ「パスポートの管理に関する契約書」(一部)

第一条(パスポートの管理)「労働者は、本契約締結日からパスポートを会社に預けるものとし、使用する場合には会社の許可を必要とし、使用後はすぐに会社に再び預けるものとする。」

第二条(管理方法):「パスポートの管理方法はすべて会社が決定するものとする。」

第三条(保管期限):「パスポートの保管期限はすべて会社が決定するものとする。」

第五条(退職後のパスポートの管理):「・・・パスポートは退職後も会社が管理する。」

第六条(パスポートの返還):「パスポートは・・・会社の許可がない限り、返還しない。パスポートの返還は、会社の指定する日時及び時間、場所にて行うものとする。」

 驚くべきことに、Aさんの身分証明書であるパスポートの管理方法や保管期限はすべて会社が決定し、かつAさんの退職後も会社が管理すると定められている。

 つまり一度預けることに合意してしまうとAさんは自身のパスポートをいつまでも自由に使うことができなくなるという内容になっている。そして、実際に会社は「辞める」と伝えているAさんのパスポートを、現在でも保管し続けている(法律上は「辞める」と伝えた時点で退職は成立する)。

 Aさんが一度、会社に「パスポートを(返して)もらってもいいですか?」と訪ねた際には、代表の行政書士は「パスポートは会社が預かっているから。そういう決まりになっているから」と答えて、返還を明確に拒否している。

 それ以前に疑問を呈した際には「(パスポートを返すと)逃げちゃうでしょ」と言われたとAさんは主張しており、「逃げない」ように縛り付けるためのパスポート管理だと、会社は露骨に表明しているのだ(この発言自体、事実だとすれば脅迫めいている)。

辞めたくても辞めることすらできない契約

 さらに、この会社は、Aさんが会社を辞めることすらできない労働契約を結ばせていた。「契約社員 労働契約書」には

「第14条(退職に関すること):「自己都合により退職を申しでる場合には1年以上前から書面で申し出なければならない。ただし、退職は許可制のため会社の書面による許可があった場合に限り退職を認める」

 と退職できるかどうかは会社次第ということが書かれている。さらに、1年以上前に申し出ることが決められているが、そもそもAさんの契約は1年契約であるため、1年以上前に退職を申し出ることはそもそもできない。

 つまり、この契約にしたがう限り、Aさんはいつまでもパスポートを会社に預け続けたまま、賃金不払いやパワハラ、差別や暴力があったとしても、働き続けなければならないのだ。

 そして、実際、賃金不払いが発生しており、Aさんの6月分および7月分の給料合計30万円弱は支払われていない。それにもかかわらず、会社は退職したいと言ってもそれを認めず、パスポートの返却を求めても「返さない」と堂々と言い放っている。

 会社は劣悪な労働環境のもとでも文句を言わずに働き続けるまさに「奴隷」のような外国人労働者を求めて、このような様々な「契約」を結ばせていると考えられる。

パスポートの取り上げが蔓延する日本の職場

 しかし、日本の法律では、「契約」だからといって何でも認められるわけではない。パスポートを取り上げたり、一生辞められない契約を結んだりしたとしても、それは民法上は違法・無効になる。

 この会社の「パスポートの管理に関する契約書」があるからといって、日本の法律上はパスポートを会社が強制的に保管する契約は有効にはならないし、また会社がなんと言おうと退職することは可能だ。

 だが、パスポートを取り返すには、外国人労働者自らが裁判に訴えなければならないのである。裁判所に強制執行されるまで、会社は「堂々と」パスポートを保管し続けるつもりなのだろう。

 一方外国人労働者の側は、パスポートがなければ日本国内で身分が証明できず、転職も出国も出来ない。完全な「無権利状態」に置かれる。裁判に決着がつくまでには何年もかかる。その間にビザが切れてしまうかもしれない。ビザが切れたら出国もできないまま、不法滞在となる恐れもある。

 こうした構図をよく理解して、ブラック企業では外国人たちに権利を主張させない戦略的な「手段」として、パスポート保管を行っている。この手口を使っているのが、法律手続を専門的に行う行政書士事務所だというのは象徴的だ。

 

 パスポートを保管することによって、「実質的な強制労働」が実現できてしまうのである。これは、外国人を酷使するブラック企業が開発した脱法的な「労務管理技術」だといってもよい。

 実際に、今日、全国の劣悪なブラック企業の間でこの「労務管理技術」は盛んに活用されている。

 例えば、栃木県の日本語学校は、学校理事長が経営する派遣会社以外でのアルバイト就労を禁止するために、留学生全員分のパスポートを預かっていた。(全留学生パスポート没収 群馬)。

 また、Aさんの働く「アドバンスコンサル行政書士事務所」にはAさん以外にも外国人労働者が働いているが、そのうちの一人であるネパール人労働者も同じようにパスポートを預けさせられ返還を拒否されていることがわかっている(アドバンスコンサル行政書士事務所不当労働行為救済申立事件の命令について)。

 技能実習生の職場でもパスポートの会社管理が行われており、パスポートが本人管理ではないと回答した企業が104あることが明らかになっている。(「国際研修協力機構」2017年度 技能実習生の労働条件等に係る自主点検実施結果の取りまとめ)。

 実際に、青森県のベトナム人技能実習生も逃亡を防ぐためにパスポートと通帳を取り上げられたと訴えている(俺の愛人になれ」ニッポンの現実 外国人技能実習生の悲鳴)。

 このように日本では外国人労働者に対する基本的人権の侵害を「戦略的」に行う企業が跋扈しているのである。。

国の取り締まりは不十分

 これだけ人権侵害が蔓延しているが、国はパスポート管理に関してほとんど規制を行っていない。唯一パスポートの会社管理が法律で違法とされているのは外国人技能実習生である(2017年11月以後)。

 2017年に施行された技能実習法では、「技能実習を行わせる者若しくは実習監理者又はこれらの役員若しくは職員は、技能実習生の旅券又は在留カードを保管してはならない」(第48条第1項)と定め、パスポートを会社が預かることは禁止されている。

 本人の意に反してパスポートや在留カードを保管すれば、6ヶ月以下の懲役又は30万円以下の罰金が課せられる(第111条5項)。

 ただし、技能実習生以外の外国人労働者に対してはこの法律は適用されないため、技能実習生以外は人権侵害が罰則もなくいわば「合法的」に行なえてしまう。

 先ほど民法上は違法になり得ると述べたのは、あくまでも本人が高い費用と長い時間をかけて裁判を行った場合の話しである。そして、それが実際には困難だということはすでに指摘したとおりだ。

 なお、厚生労働省は「外国人労働者の雇用管理の改善等に関して事業主が適切に対処するための指針」を発表し、「事業主は、外国人労働者の旅券等を保管しないようにすること」と注意喚起をしているが、法律ではないので企業側がこの指針を無視しても罰則はない。

 国は国際的な批判が高まっている実習生だけを規制し、対外的にパフォーマンスをしているのだが、これは明らかにおかしい対応だ。

 国はパスポートの取り上げが刑事罰に値する人権侵害であることを認めておきながら、外国人一般については放置していることになるからだ。

 実習生の場合だけを問題にする合理性はまったくない。すべてのケースで罰則付きで取り締まるべきである。

人権侵害に取り組む支援団体の必要性

 では、現状の法律関係下で、私たちにできることはないのだろうか。

 先ほども述べたように、パスポートの会社管理は刑事罰の伴う違法行為ではないが、裁判では民事上の責任が認められている。

 「株式会社本譲事件」では、ブラジル人労働者がパスポート返還要求を拒否してパスポートを保管し続けた会社を訴えたところ、会社の行為は「公序良俗に反し許されない」として違法だと裁判所は判断している。

 そもそも本人の所有物であるパスポートを、本人の意に反して会社が預かることが違法だと判断されることは当然である。とはいえ、繰り返し述べているように、外国人労働者が裁判に訴えるのことは容易ではない。

 裁判費用を用意することは一つのハードルだが、そもそも外国人労働者の問題に取り組んでいるNPOや労働組合、弁護士団体に相談することが言語的に難しい。

 さらに現場で働く外国人労働者は、日本の法律や制度について必ずしも詳しくなく、また日本語も話せず相談できる相手もいない場合も多い。

 さらに、こういった被害を受ける外国人であればあるほど、支援団体にアプローチすることが難しい状況に置かれている。

 そこで、これから必要になってくるのは、外国人労働者に対する人権侵害が発生した際に、労働者が相談することができ、具体的な権利救済のための闘いを進めていくことができる相談窓口やNPO、労働組合などの「市民団体」による支援活動である。

 このような状況を踏まえて、私が代表を務めるNPO法人POSSEでも、外国人労働者が相談できるよう英語や中国語でも相談を受け付ける窓口、「外国人労働サポートセンター」を今年4月に立ち上げた。労働問題を学びたい学生や、海外経験者や外国にルーツを持つ若者たちで支援に当たっている。

 さらに、相談を受け付けるだけでなく、本当に困っている外国人は相談窓口にたどり着くことすらできないことを考え、アウトリーチ活動に力を入れている。

 行政や市民活動の世界において、外国人労働者の支援活動が広がることは急務である。

NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。

NPO法人「POSSE」代表。年間5000件以上の労働・生活相談に関わり、労働・福祉政策について研究・提言している。近著に『賃労働の系譜学 フォーディズムからデジタル封建制へ』(青土社)。その他に『ストライキ2.0』(集英社新書)、『ブラック企業』(文春新書)、『ブラックバイト』(岩波新書)、『生活保護』(ちくま新書)など多数。流行語大賞トップ10(「ブラック企業」)、大佛次郎論壇賞、日本労働社会学会奨励賞などを受賞。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。専門社会調査士。

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