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電通事件から3年、過労死対策の現状は? -最新のデータから考える-

今野晴貴NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。
(写真:アフロ)

 電通の新入社員であった高橋まつりさんが亡くなってから3年が経った。この事件は2016年に明るみになり、多くのメディアで過労自死事件として取り上げられ、世に衝撃を与えた。

 その後、東京労働局の過重労働撲滅特別対策班が電通に対して労働基準法に基づく臨検監督を実施するなど、事件の影響は労働行政にも広がり、これを機に過労死に対する対策が促進することが期待された。

 しかし、その後、対策が十分に進んだかというと、残念ながらそうとはいえない。

 今回は、厚生労働省が公表した平成30年版過労死等防止対策白書(以下「過労死白書」という)のデータから過労死をめぐる現状を探り、課題を浮き彫りにしたい。

氷山の一角に過ぎない過労死「認定」件数

 過労死はどのくらい発生しているのだろうか。「過労死白書」からデータを引用しよう。

 第1-1図に示されているとおり、業務における過重な負荷により脳血管疾患又は虚血性心疾患等を発症したとする労災請求件数は、2017年度(平成29年度)において840件である。

 そのうち、労働災害が認定され、労災支給が決定したのが253件。そして、そのうち死亡しているケースが92件である(第1-2図)。

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 年間で100件近くの過労死が発生していることに驚く方も多いであろう。単純に計算して、4日に1件のペースで過労死が発生していることになる。

ただし、この「認定」件数は、過労死が疑われるケースのうちごく一部である。

 というのも、後述するように、当事者が死亡した場合に、亡くなったことが「過労に原因がある」と証明するのは非常に困難なことであるからだ。

 そのため、過労死とは認定されず、単なる病死(突然死)として取り扱われているケースが少なくない。

 そもそも日本には過労で亡くなった人をカウントする統計が存在しない

 よく誤解されるが、過労死が疑われる事件が発生しても、それだけで行政機関が捜査を行うわけではなく、ましてや、その結果が公表されることもない

 つまり、私たちが報道で知ることができるのは、氷山の一角に過ぎず、多くの過労死は問題にもならず、被害者は何らの救済も受けずに埋もれているのである。

 

 ちなみに、「過労死白書」には、過労死(突然死)の典型である、脳血管疾患又は虚血性心疾患等による死亡者数全体のデータも掲載されている。

 これによると、2015年度(平成27年度)にこれらの要因によって死亡した就業者数は27,109人である。このうち6割以上は60歳以上であるが、60歳未満も約7,220人を数える。

 もちろん、これら全てを過労死だということはできないが、死亡した背景に「働き過ぎ」があったケースは少なくないだろう。

過労自死に関するデータ

過労自死についても同じことがいえる。再度、「過労死白書」からデータを引用しよう。

 業務における強い心理的負荷による精神障害を発病したとする労災請求は、2017年度(平成29年度)において1,732件あり、労災支給決定(認定)件数は506 件である。このうち、未遂を含む自死は98件である。

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 精神障害の認定件数が506件とは、あまりにも少ない。日本中で吹き荒れている長時間労働やパワーハラスメントを鑑みると、まさに「氷山の一角」であり、ほとんどが闇に葬られているといっても過言ではない。

 一方で、「過労死白書」には、「勤務問題を原因・動機の1つとする自殺者数の推移」を示すデータがある。

 これは、警視庁の自殺統計原票データに基づき、厚生労働省が作成したものであり、遺書等の自殺を裏付ける資料により明らかに推定できる原因・動機を自殺者一人につき3つまで計上可能としたものである。

 これによると、勤務問題が原因・動機の一つと推定される自殺者数は、2017年(平成29年)は1,991人となっている。そのうち、「仕事疲れ」が動機・原因の一つと推定されるのが566件だ。

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つまり、職場での何らかの問題を理由の一つにして自殺している人が少なくとも2000人近く存在するのにもかかわらず、労災として認定されているのは100件にも満たないのである。

過労死認定における「二つの壁」

 ここまでのデータから、実際に発生している過労死・過労自死のうち、ごく一部しか労災として認定されていないことがご理解いただけたであろう。

 では、なぜ認定件数はそれほどまでに少ないのであろうか。

 それは、過労死が起こった場合、労働災害だと認定されるには次の「二つの壁」があるからである。

(1)遺族が「過労死」だと気づき、労働災害の申請を行政に対して行うこと

(2)遺族が証拠を集め、労働災害であるとの認定を勝ち取ること

多くの場合、労災申請は遺族によって行われる。申請に対しては、労災担当調査官が調査を行うが、これは労働法違反の捜査とは異なり、あくまでも任意の調査である。

 よく誤解されていることだが、国は自ら過労死を捜査することはないのだ。

 それゆえ、遺族が過労死であることに気づき、行動を起こさなければ、どれだけ過酷な労働をしていたとしても、誰かが代わりに救済してくれるということはない。

 そして、遺族が労災申請を行う決意をしたとしても、死亡した原因に業務が関連していることを証明し、労災請求を行うのは簡単なことではない。

 職場のことをよく知らない遺族が会社とやり取りをし、証拠を集めて申請するのは大変な作業だ。すでに本人が亡くなっており話を聞くこともできず、何が必要なのかもはっきりしないなかで、証拠収集を行うのは至難の業だ。

 しかも、家族を失い精神的に辛いなか、こうした作業を行わなければならない。

その上、会社側は、自らの責任を認めたくないが故に、長時間労働やパワハラの証拠を隠滅し、従業員に緘口令を敷き証言させないケースも多い。

過労自死の場合、業務との因果関係を証明することはなおのこと難しい。パワーハラスメントのように証拠が残りにくいことが原因となっている場合が多く、立証がより難しいためだ。

 このような困難から、証拠が集められず、申請しても結果が見えているため、諦めてしまう遺族も多い。これが「第一の壁」である。

 そして、なんとか「第一の壁」を乗り越えても、労災が認定される可能性は高くはない。先ほど紹介したとおり、2017年度には年間で労災申請が840件あったが、死亡したケースは241件である(厚生労働省「過労死等の労災補償状況」)。

 これは、遺族が「過労死かもしれない」と判断したケースが1年間で少なくとも241件あったということを意味する。

 しかし、そのうち、労災支給が決定されたのはわずか92件、4割程度である。労災認定の判断基準は厳しく、決定的な証拠がない限り容易には認定されないのだ。

 尚、職場が原因の精神疾患(非自死)の場合には、その多くが「私傷病」の扱いにされているものと考えられる。私傷病の扱いの場合、より「まし」な場合でも休職扱いとなり、健康保険の傷病手当給付を受けることができる。より酷い場合には退職が求められ、保険の給付も受けられない。

 ただし、この場合にも、あくまでも治療費は自費負担であり、給付額も旧の6割程度である。労災保険が適用された場合には給付は給与の8割、治療費は無料、そして事業主は解雇ができなくなる。

 そして何よりも問題なのは、その精神疾患が「仕事とは無関係」の扱いとなるため、事業主は保険上のペナルティーも受けず、あくまでも労働者の「自己責任」となること。これでは問題の職場環境が改善される方向には進まないだろう。

求められる過労死遺族への支援

 これまで述べてきたように、過労死・過労自死が疑われるケースにおいて、実際にそれが過労死・過労自殺として認定されるケースは一部に過ぎない。

 言い換えると、労災に関しては法的権利の行使のハードルが高く、その結果として、救済されるべき状況に対する制度の「捕捉率」が非常に低くなってしまっている。

 こうした状況が変わらなければ、多くの過労死は問題化されることなく、再発防止のための教訓として活かされることもない。

 これは、会社に責任がある場合でも、その責任は問われることがなく、遺族は泣き寝入りすることを意味する。そして、再び、悲劇が繰り返されてしまう。

 このような状況を変え、過労死を生み出さない社会を実現するために、私たちに何ができるだろうか。

 私は、過労死遺族の法的「権利の行使」を支援することが最も重要であると考える。遺族の方々が勇気を出して行動し、社会に問題を提起することで、私たちは実態を知り、社会の問題として認識することができるからだ。

 実際に、過労死対策においては、度重なる裁判闘争が裁判所や行政の判断基準を変化させ、さらには、遺族の運動が過労死防止対策推進法に結実したという経緯がある。

 過労死遺族の支援を行うことには、単に遺族の方々を救済するという意味だけでなく、社会のあり方やルールを変えていくという、より広範な社会的意義があるのだ。

 私が代表を務めるNPO法人POSSEでも、過労死遺族の方の相談を受け付け、実際に過労死・自死・鬱等の被害者の支援活動を行っている。

 活動はボランティアであるが、最近は学生だけではなく、社会人の参加も増えてきた。また、労働組合でこの問題に取り組む団体も現われている。

過労死に関する無料労働相談窓口

 もし身近な人が突然倒れて亡くなった場合には、すぐに専門家に相談してほしい。家族や友人が精神的に辛そうに見える時も、できるだけ早く相談することをお勧めする。

 この記事で紹介したとおり、労災申請を遺族だけで行うことはとても難しい。しかし、専門家に相談することにより、「二つの壁」を乗り越え、補償を受けられる可能性は大きく高まる。

 昨年発足した労災ユニオンなど、無料で相談を受け付けている相談窓口が多数存在するので、ぜひアドバイスや支援を活用していただきたいと思う。

無料労働相談窓口

NPO法人POSSE

03-6699-9359

soudan@npoposse.jp

*筆者が代表を務めるNPO法人。訓練を受けたスタッフが法律や専門機関の「使い方」をサポートします。

労災ユニオン

03-6804-7650

soudan@rousai-u.jp

*長時間労働・パワハラ・労災事故を専門にした労働組合の相談窓口です。

総合サポートユニオン

03-6804-7650

info@sougou-u.jp

http://sougou-u.jp/

*個別の労働事件に対応している労働組合。労働組合法上の権利を用いることで紛争解決に当たっています。

仙台けやきユニオン

022-796-3894(平日17時~21時 土日祝13時~17時 水曜日定休)

sendai@sougou-u.jp

*仙台圏の労働問題に取り組んでいる個人加盟労働組合です。

ブラック企業被害対策弁護団

03-3288-0112

*「労働側」の専門的弁護士の団体です。

ブラック企業対策仙台弁護団

022-263-3191

*仙台圏で活動する「労働側」の専門的弁護士の団体です。労災を専門とした無料相談窓口

過労死110番

03-3813-6999

参考資料

平成30年版過労死等防止対策白書

平成29年度「過労死等の労災補償状況」

NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。

NPO法人「POSSE」代表。年間5000件以上の労働・生活相談に関わり、労働・福祉政策について研究・提言している。近著に『賃労働の系譜学 フォーディズムからデジタル封建制へ』(青土社)。その他に『ストライキ2.0』(集英社新書)、『ブラック企業』(文春新書)、『ブラックバイト』(岩波新書)、『生活保護』(ちくま新書)など多数。流行語大賞トップ10(「ブラック企業」)、大佛次郎論壇賞、日本労働社会学会奨励賞などを受賞。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。専門社会調査士。

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