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奨学金政策の比較 現政府と民主党では何が違うのか?

今野晴貴NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。

昨日、民主党の「共生社会創造本部」が給付型奨学金である「渡し切り奨学金」制度を提案した。アメリカの大統領選挙でも、学費、奨学金は一つの焦点だ。では、日本政府・与党はこの間どのような政策を打っていたのだろうか。

返済不要奨学金公約へ=民主

実はこの間、現政府も奨学金の「対策」を進めてきた。2017年度からの「所得連動返還型奨学金制度」導入に向け、文科省の有識者会議において急速に議論が進められている。ただし、この制度は、非常に大きな問題を抱えている。そこで、本記事では、制度が議論されるに至る背景と制度の問題点を指摘し、民主党の提案や、海外の事例と比較しながら求められる制度について論じていきたい。

背景としての奨学金の返済困難

所得連動返還型奨学金制度が文科省で議論されるようになった背景には、日本学生支援機構の貸与奨学金の返済困難がある。すでに、「本当に恐ろしい「奨学金」という時限爆弾」でも紹介したように、日本の奨学金の約9割は日本学生支援機構の貸与奨学金であり、そのうち金額ベースで約7割が有利子となっている。世界的に見れば「教育ローン」と呼ぶにふさわしい日本の奨学金を、今や大学生の半数以上が借りており、卒業時には約300万円の「借金」を負わなければならない状況にある。

「教育ローン」としての奨学金利用が拡大した背景には、学費の高騰と家計状況の悪化が挙げられる。前者に関して、国立大学においては、1975年には授業料が36000円、入学料が50000円だったが、2005年以降現在に至るまで授業料は53万5800円、入学料は28万2000円(現在は国立大学法人、いずれも標準額)と、授業料は14.8倍、入学料は5.6倍も高騰している。後者に関して、大学昼間部の学生の収入全体はピーク時の2004年度に220万300円から2012年度には199万7300円に、また、収入のうち「家計からの給付」はピーク時の2006年度の149万6300円から2012年度には121万5200円まで落ち込んでいる。

こうした経済状況の変化からやむを得ず奨学金を利用したのちに、大学を卒業したとしても、かつての日本型雇用での終身雇用・年功賃金といった雇用保障が得られるとは限らない。そもそも大卒でも「フリーター」になる可能性があり、また正社員であっても「ブラック企業」に入ってしまい、働き続けることができないことも十分にあり得る。実際、文科省の調査によれば、奨学金の3ヶ月以上滞納者が返還者の2割を超えているのである。

しかし、他方で、奨学金の返済困難に対する救済制度は非常に不十分。返還免除は死亡や重度の心身障害を負った場合に限られ、ほとんど無に等しい。返還猶予については「生活保護」受給と「傷病」による就労不可の場合には、その事由が継続している期間中認められるが、年収300万円以下を目安とする「経済困難」の場合は10年間の期限が設けられている。つまり、10年経っても年収が上がらなかったとしても返還猶予は期限切れとなってしまうのである。また、減額返還もあるが、ただ単に月々の返済額が半分になるだけで返済総額は変わらない。

以上のような、若者の雇用状況の悪化から奨学金の返済困難が広がってきているという状況の中で、馳浩文科相はもともと、今回民主党が提案したような、給付型奨学金の創設に前向きな姿勢を見せていた。ところが、現政府の対策はそこから「所得連動返還型奨学金制度」の促進へと方向が大きく変わっていったのだった。

この「所得連動返還型奨学金」は、入り口段階で問題の解決を図る、民主党の「給付型奨学金」や海外の対策と比べると、極めてぜい弱な内容になっている。

所得連動返還型奨学金制度とは

実は、すでに日本学生支援機構には「所得連動返還型無利子奨学金」という制度が存在する。この制度は、第1種奨学金(無利子)の対象者でかつ家計支持者(ほとんどの場合は親)の年収が300万円以下の場合に、本人の卒業後の年収が300万円に達するまでは返還を猶予されるというもの。親の収入要件が厳しいという問題はあるが、一定以下の所得に達するまで返還猶予となるという点ではこれまでの返還猶予よりも進んだ制度だ。

しかし、現在議論されている所得連動返還型奨学金制度は「所得連動返還型無利子奨学金制度」を拡張するという建前ながら、実際には全く異なる制度となっているのだ。

第一に、最も重大な問題は、年収0円から月々2000〜3000円の返還を求めるという点である。収入が全くない人から取り立てるのには根本的な無理がある。奨学金の返済困難が広がる中でも、救済措置をとるのではなく、「債権回収」を優先するという姿勢が露骨に現れている。こうした姿勢を端的に示すものとして、有識者会議における日本学生支援機構の顧問弁護士の発言を引用しておこう。

所得0でも請求しないと時効の問題が生じる。申請主義で時効を回避する必要がある。10年以上連絡しないと返還する意識もなくなる。1000〜3000円ずつでも返し続けるべき。

そもそも、この発言は法的に正確ではない。少額返済を継続的に義務付けなくても、時効を成立させない方法はある。だが、この不正確な発言に引きずられて所得ゼロ円からの「債権回収」へと傾く有識者が増えていってしまった経緯がある。

第二に、返還期間を、返還完了までまたは本人が死亡または障害等により返還不能となるまでとしており、事実上死ぬまで返還を強いられるということである。これはもともとの制度と同様ではあるが、後述の海外の同種制度が返還期間を制限しているのとは全く異なっていることが指摘できる。。

第三に、返還者が被扶養者となった場合に、返還者と扶養者の収入が一定額を超えない場合にのみこの制度を活用できるとしている。しかも、扶養者の収入を捕捉するためにマイナンバーの提出が求められる。中央労福協の調査において、奨学金を借りている34歳以下の働く男女の3割以上が「奨学金返還が結婚に影響している」と回答しているように、すでに奨学金という借金は家族形成の妨げとなっている。その上、奨学金返還が家族の連帯責任ということが制度化されれば、なおさらその傾向は強化されるのではないだろうか。

海外における所得連動返還型奨学金制度

以上から分かることは、現政府が推進する「所得連動返還型奨学金制度」が、所得水準に応じて無理のない返還を行うための救済制度ではなく、もっぱら「債権回収」の促進する内容になってしまっているということだ。それは、同種の制度を導入しているイギリスやオーストラリアと比較すると顕著になる。

イギリスではもともと給付型奨学金の充実によって、実質的な授業料負担がなかった。しかし、1998年度入学者から年間約21万円の授業料を徴収するようになり、障害学生などを除き原則として給付型奨学金が撤廃された。その代わりにローンが導入され、返還開始の所得基準を年収380万円、返還義務期間を30年と定めている(ただし、2004年度入学者から給付奨学金も復活していることも明記しておくべきだろう)。

オーストラリアにおいても、戦後には給付型奨学金の導入でほとんどの学生の授業料負担はなく、1974年には授業料そのものが廃止されている。しかし、1989年から全ての国内学生から授業料徴収が開始され、その際に世界初となる所得連動型の授業料後払い制度(ローン)が導入された。現在では、返還開始の所得基準を年収507万円とし、返還義務期間は定めていない。

これらの国々は、低廉な学費と給付型奨学金が充実している北欧や大陸ヨーロッパと比べて、高等教育における市場化が進んでいる部類に入るのだが、それでも低所得者層のローン返済に対する救済措置は最低限設けている。これと比べても、現政府の「所得連動返還型奨学金制度」のぜい弱さは一層際立つ。

おわりに

今回民主党が提案した給付型奨学金制度の創設は、これまで政府が進めてきた「対策」と比べ、手厚いものだということがわかっていただけただろう。もちろん、予算規模などによって効果の程度は異なってくる。与野党の政策論戦によって、若者の貧困対策が前に進むことを期待したい。

参考文献

藤田孝典『貧困世代 社会の監獄に閉じ込められた若者たち』講談社現代新書

『日本の奨学金はこれでいいのか』あけび書房

NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。

NPO法人「POSSE」代表。年間5000件以上の労働・生活相談に関わり、労働・福祉政策について研究・提言している。近著に『賃労働の系譜学 フォーディズムからデジタル封建制へ』(青土社)。その他に『ストライキ2.0』(集英社新書)、『ブラック企業』(文春新書)、『ブラックバイト』(岩波新書)、『生活保護』(ちくま新書)など多数。流行語大賞トップ10(「ブラック企業」)、大佛次郎論壇賞、日本労働社会学会奨励賞などを受賞。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。専門社会調査士。

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