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【アジア枠】高校時代から続く安藤誓哉×キーファーのライバル物語。「Bリーグは面白い時代になった!」

小永吉陽子Basketball Writer
安藤誓哉(島根スサノオマジック)とキーファー・ラベナ(滋賀レイクス)

U18代表のユニフォームを交換した仲

 Bリーグにアジア特別枠ができてからのこの2シーズンは観戦者の興味が広がっている。中でも、多くのフィリピン籍選手がBリーグの舞台で活躍中だ。島根スサノオマジックのキャプテンとしてチームを牽引している安藤誓哉からある選手の話を聞いたのは、今から8年前、安藤がフィリピンでプレーしていた2015年夏のことだ。

「キーファーって覚えていますか? U18(アジア選手権)でやり合ったフィリピンのエースです。この間、U18で対戦して以来、久々にキーファーに会ったんですけど、すっかり意気投合して仲良くなりました。キーファーはフィリピンでは次世代のエースとして注目されていて、MILO(ミロ)のCMに出ているくらいこっちでは有名人です。俺も負けていられない!」

ポイントガードとして、リーダーとしてチームを牽引している2人(写真は21-22シーズン)
ポイントガードとして、リーダーとしてチームを牽引している2人(写真は21-22シーズン)

 2015年5月、安藤はフィリピンのプロリーグPBA(Philippine Basketball Association)でプレーする初の日本人となった。現在、Bリーグにアジア特別枠で選手が来日するのと同様、安藤はその先懸けとして、2015年にPBAで初導入されたアジア人枠としてメラルコボルツと契約してプレーしていた。冒頭の発言に出てきた『キーファー』とは、現在、滋賀レイクスに所属するキーファー・ラベナ(以下キーファーと表記)のことである。この2シーズン、試合前に2人が仲良さそうに談笑している姿が目撃されているが、その理由は、高校時代からライバルであり、親交が深い間柄だからだ。

 出会いは2010年。安藤が高3、キーファーが高2で出場したU18アジア選手権。日本は準々決勝で敗れたが、安藤は平均23.4得点で得点王を獲得し、海外でプレーすることへの意識を持ち始めた大会となった。そして二人は二度に渡る対戦でバチバチにやり合って互いを認め合い、大会が終わったその日にユニフォームを交換している。

 安藤がメラルコボルツでプレーしていた当時、キーファーはまだ大学生だったためPBAでの対戦はなかった。ただ、マニラで再会したことにより、「海外でプレーするということは、出会いが広がることでもあるんだな」と当時22歳の安藤は、海外進出のやりがいや楽しさを見出していた。

メラルコボルツの一員として、フィリピンでもアグレッシブさが光っていた(写真はPBA2015より)
メラルコボルツの一員として、フィリピンでもアグレッシブさが光っていた(写真はPBA2015より)

異国の地での経験が成長につながる

 安藤は明治大4年次の5月、「海外に出て経験を積むことが成長の近道」との決断の下、大学のバスケ部を退部して渡米している。明成高(現・仙台大明成)時代に「自分がエースとして決めてみせるという強いメンタリティーを叩き込まれた」という安藤は、大学で本格的にポイントガードにコンバートしたことにより、司令塔としての経験を欲しての海外挑戦だった。

 渡米直後に参戦したドリューリーグでスカウトの目に留まると、トライアウトを経てカナダリーグ(NBL CANADA)のハリファックス・レインメンと契約。カナダではレギュラーシーズン34試合(45試合中)にスタメン出場し、平均10.2得点、3.8アシストのスタッツを残し、オールルーキーチームに選出された。そして、カナダで実績を残したことにより、直後の5月に開幕するPBAでアジア人枠としてオファーされたのだ。

 PBAは年に3つのカンファレンス(カップ戦)を開催している。1つはフィリピン国籍の選手が戦う『フィリピンカップ』。あとの2つは外国籍選手が加入する『コミッショナーズカップ』と『ガバナーズガップ』だ。安藤が加入したのはアジア人枠が初導入されたガバナーズカップで、2015年当時は6フィート3インチ(約190センチ)以内のアジア枠の導入が認められていた(現在アジア枠は廃止中)。

 カナダ時代には、Bリーグの秋田と福岡でヘッドコーチを務めた「ペップ」こと、ジョゼップ・クラロスHCのもとで、ボールをプッシュする速い展開のもとで細かな戦術を遂行するスタイルを学んだ。一方、フィリピンでは最低限のチームルール以外の選択肢はポイントガードの安藤に委ねられていたという。まるで真逆ともいえるスタイルを短期間でこなしたわけだが、そんな中でフィリピンでの安藤は、ヘッドコーチから「度胸と得点力がある」と認められてレギュラーシーズン8試合(11試合中)とプレーオフ2試合の先発を任され、平均8得点をマーク。異国の地で、異なるスタイルに適応しながら奮闘した若き日の経験は、間違いなく現在につながっている。

コミュニケーション力を発揮し、チームを牽引している安藤誓哉
コミュニケーション力を発揮し、チームを牽引している安藤誓哉

「アジア枠」でプレーすることは結果を残すこと

 ルーキーの安藤がPBAでスタメンを任されるのだから、「フィリピンは日本人選手の海外挑戦の場としては魅力的なのでは」と、当時現地取材をする前まではそう感じていた。しかし、現地でブロークンながらも英語で積極的にコミュニケーションを図り、食生活から気を遣い、誰よりも個人練習を欠かさずに準備していた安藤の姿を見て考えが変わった。安藤はプレーオフ進出がかかった試合を目前にしてこう言った。

「次の試合に勝ってプレーオフに絶対に進出しますよ。プレーオフに行って評価されないと、自分は次につながらないんです」

『次』とはプロキャリアを重ねていく中で自分の居場所をつかみ、契約を勝ち取ることを指す。アジア人枠とは、アジア人だからプレーできる枠ではなく、インポートプレーヤーとして結果を残さなくてはならない枠なのだ。プロ選手であれば、ましてや、インポート選手ならば明日への保証などどこにもなく、どんな環境にも適応していかなければならない。これはBリーグに来るアジア枠の選手も同様だ。ゆえに、海外進出を考え始めた大学生の頃から安藤のモットーは「安定なんてこの世にない」になったという。

 同時に、自分自身がチャレンジを楽しむことが大前提である。フィリピンのオファーを受けたときに即決した理由は「バスケが国技の国で満員の中でプレーできたら面白そうだから」。そうした成長するためのチャレンジを楽しむ姿勢は、島根でチャンピオンを目指す今も変わらない。

1対1に強く、オフェンスの中心となるキーファー・ラベナ
1対1に強く、オフェンスの中心となるキーファー・ラベナ

海外進出の夢が滋賀レイクスで実現

 キーファー・ラベナはフィリピンでは有名なスポーツ一家の長男として育ち、スター街道を歩んできた選手だ。

 父のボンはプロ選手としてPBAでプレーし、現在はPBAでアシスタントコーチを務めている。弟のサーディはアジア枠として三遠ネオフェニックスでプレーし、母と妹もバレーボール選手というスポーツ一家だ。10代の頃から次世代のフィリピンを担う存在として注目され、SNS(Twitter)のフォロワー数は75万人を超え、アジアで3人だけというジョーダンブランドと契約している選手である。(アジアでのジョーダンブランド契約選手/八村塁:日本、グオ・アイルン:中国、キーファー・ラベナ:フィリピン)。

 そんなフィリピンのスターであるキーファーは、かねてから海外進出の夢を抱いており、その夢は2021年に実現した。

「今までにない経験をすることが自分のキャリアアップにつながるので、海外でプレーしたいとずっと思っていました。その夢をかなえてくれたのがBリーグで、熱心にオファーをくれたのが滋賀でした。BリーグはPBAよりもいろんな外国籍選手がいてレベルが高いし、リーグも急速に発展しています。自分がBリーグで活躍することによって、母国からアジア枠でプレーする選手も出てくると思うので頑張りたい」

 滋賀でのキーファーは、その独特なリズムから繰り出すゲームメイクと得点で中心的役割を担い、リーダーシップの面でも信頼を置かれている。だが、2年目の今シーズンはパフォーマンスがなかなか上がらない状態だった。その理由はハムストリングを負傷したことが一因で、11月中旬に行われたワールドカップ予選以降は9試合を欠場。また、昨シーズンが終わった直後の5月中旬から、フィリピン代表にとっては重要な『東南アジア競技大会』に出場しており、アジアカップにワールドカップ予選参戦とフル稼働。そうした疲労が影響していたのか、コンディションの調整に苦労していた。

 そんな中でキーファーは、3月22日のFE名古屋戦でチームを7勝目に導く勝負強さを見せた。

 ようやくコンディションが上向いてきた中で、渇望していた勝利を引き寄せるパフォーマンスを発揮しただけに、試合終了と同時に涙が込み上げてくるほどだった。勝ち星の面で厳しいシーズンを送っている滋賀だが、チームの勝利にはキーファーの存在が不可欠であることを示し、反撃のきっかけをつかんだところだ。

 リーグ終盤戦に向けてキーファーは「チームメイトと互いに信頼関係を築きながら、細かい部分まで見つめ直してやっていくことで、勝利に結びつけられるチームだと思っている」と決意を語っている。

「お互いを信頼することが大事」とチームを鼓舞するラベナ
「お互いを信頼することが大事」とチームを鼓舞するラベナ

増えたアジア枠選手。「これからBリーグはもっと面白くなる」

 出会いから10年以上が過ぎた今、改めてU18時代のエピソードやBリーグでの印象を聞いてみると、2人とも声を弾ませて語ってくれた。まずはキーファーから。

「U18での誓哉はボール運びから得点まで何でもやっていました。ハッキリ覚えているのは、誓哉はあの大会でベストプレーヤーだったということです。日本と対戦するときのスカウティングは彼を中心にやっていましたから。ボールハンドリングを含めて素晴らしいスキルを持っていて、自分のスペースを作るのがうまくて、スコアリング能力も高かった。そして何より闘争心がすごかった。マッチアップしていてその闘争心に自分自身が触発されました。それはBリーグでも同じで、彼と対戦すると気持ちが熱くなります」とキーファーが言えば、安藤は「語り出したらきりがないけど」と前置きしてエピソードを披露してくれた。

「U18で初対戦する前は、フィリピンといえば1対1がうまいというイメージしか知らなかったんですけど、実際に対戦してみたら、想像以上に体の使い方やステップがうまくて驚きました。とくに、日本の高校では当時誰もやっていなかったユーロステップがうまくて、(U18のヘッドコーチでもある)明成の佐藤久夫先生は『フィリピンステップ』と呼んで、さっそく部活でも練習したくらい、その身のこなしは印象的でした。体の使い方がうまいので、今でも止めるのが難しい選手です。性格は明るくてフランク。僕は以前に彼に会いにマニラに旅行してるんですけど、それくらい仲がいい。そんなライバルとBリーグでやり合えるのは燃えますね」

 そして、海を渡った者として、アジア枠選手との対決を誰よりも楽しんでいるかのごとく、続けてこう言った。

「今のBリーグはアメリカやヨーロッパから来る選手だけでなく、アジアにもいろんな選手がいることが広まってきましたね。面白い時代になってきました」

 まさに今、安藤とキーファーのような、国を超えたライバル対決がBリーグで実現する時代が到来した。様々なバックグラウンドを持つ選手の参戦が増えていることで、今後Bリーグの楽しみ方は広がりを見せていくことだろう。今季、2人のBリーグでの対決は終わったが、お互いを認め合うライバル関係はこれからも続いていく。

試合前に談笑する安藤誓哉とキーファー・ラベナ(写真は21-22シーズン)
試合前に談笑する安藤誓哉とキーファー・ラベナ(写真は21-22シーズン)

安藤誓哉 Seiya ANDO

島根スサノオマジック#3/1992年7月15日生まれ/30歳/181センチ/PG/明成高→明治大出身

キーファー・ラベナ Kiefer RAVENA

滋賀レイクス#15/1993年10月27日生まれ/29歳/183センチ/PG/アテネオ・デ・マニラ大出身

文・写真/小永吉陽子

Basketball Writer

「月刊バスケットボール」「HOOP」のバスケ専門誌編集部を経てフリーのスポーツライターに。ここではバスケの現場で起きていることやバスケに携わる人々を丁寧に綴る場とし、興味を持っているアジアバスケのレポートも発表したい。国内では旧姓で活動、FIBA国際大会ではパスポート名「YOKO TAKEDA」で活動。

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