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松田直樹、「人を信頼できる」という輝かしい才能

小宮良之スポーツライター・小説家
横浜での最後の試合(写真:築田純/アフロスポーツ)

人を信じられる才能

「クラブ広報のチェックなんていらないからね。全部、信用して話している。サッカーはもちろん、プライベートのことだってなんだって書いてもいいよ」

 松田直樹がそう言ってハンドルを握る横顔を、今も忘れられない。

 松田は信頼を土台にする男だった。信じたら、とことん信じる。その腹のくくり方は輝かしいほどで、両者の関係に誰かを介在させるのを彼は好まなかった。

 自分も密着取材を決めた選手には、その間、書き手人生を懸けるつもりだったので望むところだった。当時、スポーツ誌で連載していた『アンチ・ドロップアウト』というルポ(『フットボール・ラブ』で書籍化)では一人の選手を何度もインタビューし、食事を重ね、行動を共にし、家族や友人の取材までしていた。それだけの労力と時間とコストを費やし、誰かに何かを口出しされるのは違和感があった。

 二人の波長は合い過ぎていた。お互い、あけすけに対話し、やり合うことで信頼をさらに深めた。数か月の密着はあっという間だった。

「やっぱり、そうなると思っていたよ」

 そう語ったのは、当時、まだ現役選手を続けていた佐藤由紀彦(現・FC東京トップチームコーチ)だった。

 佐藤が、松田と筆者の関係をつないでくれた。『アンチ・ドロップアウト』の連載で佐藤を描いた後、「誰か描き甲斐がある男っぽい選手はいないか?」と尋ねた時だ。

 真っ先に名前を挙げたのが、松田だった。

佐藤由紀彦が語っていた「松田直樹」

 松田は所属した横浜F・マリノスで、2連覇を達成している。全力のぶつかり合いを好み、強いパーソナリティで異彩を放った。ディフェンダーとしての能力は図抜けていて、自ら仕掛ける守りで世界的ストライカーとも真っ向から対決した。ベスト16に勝ち進んだ2002年の日韓ワールドカップでは、守りをけん引していた。

 しかし2011年7月、松本山雅に所属していた松田は練習中に心肺停止で倒れ、8月4日に34歳で他界した。

「(松田)直樹はプレーを通じて多くの人に愛され、サッカーを通じてたくさんの仲間を作りました。自分にとっては、あいつはモチベーションそのものだったし、ライバルでもあって。いなくなってからもこんなにまで考えちゃうんだから、まったく厄介な存在ですよ」

 以前、佐藤は苦笑混じりにそう説明していた。松田と佐藤は同世代で、2003,04年には横浜で共に戦い、2年連続でJリーグ制覇を果たしている。

「練習から本気でぶつかり合っていたから、試合では二人とも"負けるはずがない"と自信満々だったですよ。同年代の選手がいた頃は毎日が喧嘩腰で。あいつらとの競争があったから、自分もやってこられたんだって思います。直樹は“ピッチで戦っているかどうか”をとても大切にする選手でした。たしかになにより結果を重んじていたけど、逃げない選手は非難しない、むしろ称賛する男だった。勝負する限り、怠慢さは直樹が一番嫌がったことだから」

 練習後、ランチを賭けてPK戦を繰り広げたという。大の大人がなんでもないことに本気になる瞬間だった。しかし、そこでの喧嘩はサッカーを心底愛していたからこそ生まれたものだろう。年端のいかない子供たちが夢中ではしゃぐように、青臭いが眩しかった。

「直樹のようにガキのままでいられるのは、めちゃくちゃ羨ましかったですね。だって、大人になると普通はいろいろ気を回すじゃないですか?なのに、あいつは17,18才の少年のままで、時計が止まっていた。だから、気にくわない人間やモノには興味ゼロ、一方で好きになったらとことん溺れた。ガキだな、とは思うんだけど嫌いになれない。むしろ、あいつといると気分が良かった」

 彼は愛おしむように語っていた。

松田が託した力

「自分はこれからも直樹を意識して生きていくと思うんです。そうすることであいつも生き続けるはずで」

 2012年1月、松田のメモリアルマッチを前にしたインタビューで、佐藤はそう話をしていた。

「自分とヤス(安永聡太郎)と直樹、3人でマリノスにいたとき、『誰が一番サッカー選手として稼げるか? いつまで続けられるか? 競争しようぜ』とよく話していました。直樹はきっと、『おまえは俺には勝てねぇぞ』と思っていたはずで。たしかにあいつはすげえな、と思います。自分が引退しても、あいつのようにたくさんの人が惜しんではくれないでしょうから」

 2012年、佐藤はⅤ・ファーレン長崎のJリーグ昇格に貢献している。そして2013,2014年とJ2を舞台にプレー。松田よりも長い年月を過ごし、惜しまれながら現役選手としての幕を閉じた。

「俺はあいつより1試合でも多くプレーして、1点でも多く点を取って、そして1年でも長くサッカーをやってやろうって。それでいつか、『おい、直樹! 勝ったのは俺だぞ』と言ってやると思っています。奴の伸びた鼻をへし折ってやりますよ。シーズンオフにいつものようにバカ騒ぎをすることができなくなったのは寂しいけど、俺は現役にこだわり続けます」

 松田の存在が、現役選手としての力を奮い起こさせた。最後の一滴まで絞り切るようだった。泥臭いサッカー選手人生を貫いた。

 2015年、佐藤は指導者業に転身している。サッカー人としての日々は続き、着実に経験を積みつつある。これからも現場での仕事にこだわるのだろう。

 冒頭に松田が言った言葉は、佐藤への信頼の証だったに違いない。二人の絆はそれほどに強く、真っ直ぐで、澄み切っていた。佐藤が信頼した人間を、無条件に信じただけだ。

 しかし、そんな野暮なことを松田は口にしなかった。

 出来上がった原稿を読んだ松田が、明るい表情を浮かべて「マジでよかったよ!やっぱりプロは違うなって。自分のことなのに読んでてぐっと来ちゃってさ(笑)」と感想を饒舌に語る姿を覚えている。その日、一緒にフルーツジュースを飲みながら、飽きるほどサッカーの話をした。絆に近いものができた気がしたし、今になっては勝手に美化しているだけかもしれない。

 松田がこの世を去ってから、11年になる。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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