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宮台教授を襲った事件の容疑者が自殺 これも「自爆テロ型犯罪」だったのか

小宮信夫立正大学教授(犯罪学)/社会学博士
(写真:イメージマート)

報道によれば、都立大の宮台真司教授が刃物で突き刺された事件で、容疑者の男が自殺していた。

容疑者の死亡で本人から動機が語られる機会はなくなった。しかし、そこから教訓を導き出すことはできる。

動機は分かるか

そもそも、犯人の動機を知ることは不可能に近い。実際、これまで、動機が明らかになった事件は、ほとんどない。というのは、犯人自身も、なぜ犯行に及んだのか、はっきりとは分からないからだ。

マスコミ報道では「警察は動機の本格的な追及をする方針」とよく聞かれるが、警察はそんなことはしていない。

法律上の義務はないし、証拠の収集や事実の認定で忙しいからだ。法律が警察に要求しているのは、事実の特定であって、動機の特定ではない。

そのため、取り調べには、動機を解明できる精神科医や心理学者は加わっていない。取調官にとって重要なのは、「供述調書に書かれた動機」で検察官や裁判官を説得できるかだ。

検察官や裁判官も、犯罪心理の専門家ではなく、法律の専門家である。つまり、裁判所の仕事は、事実の確定であって、動機の解明ではないのだ。したがって、皆が納得できる動機があれば、それで十分である。

金閣寺放火事件では、犯行の動機として、「美に対する嫉妬」と供述調書に書かれたが、これは例外だ。裁判の機能は、真実の発見ではなく、事件にけじめをつけ、社会を再起動させることなのである。

もっとも、取り調べや裁判で、それらしい動機が語られることはある。ところが、それが本当の動機である保証はない。

カミュの小説『異邦人』に、犯人が法廷で動機を聞かれ「太陽のせいだ」と答えるシーンがあるが、カミュが言いたかったのは、心の奥底は簡単には見えないということだ。

原因は分かるか

主観的な動機が分からなくても、客観的事実から原因を推定することはできる。動機が事件のトリガー(引き金)なら、原因は事件の背景だ。

宮台教授襲撃事件の原因としては、「格差社会」や「疎外感」といった社会問題が浮上してくる。なぜなら、この事件も、捕まってもいいと思って振るう暴力「自爆テロ型犯罪」と認定できるからだ。

もっとも、犯人は現場から逃走しているので、当初は「自爆テロ型犯罪」と認定できなかった。しかし、ここに来て、自殺していたことが分かったので、それを踏まえるなら、やはり「自爆テロ型犯罪」だったと言わざるを得ない。

土浦・荒川沖駅の8人殺傷事件でも、犯人は、駅構内の通路で通行人を次々に刺した後、逃走している。しかし、その後、自ら交番に出頭し、「誰でもよかった。死刑になりたかった。複数殺せば死刑になると思った」と繰り返し供述している。

近時、こうした「自爆テロ型犯罪」が目立つ。

川崎・カリタス小事件、京アニ事件、京王線ジョーカー事件、安倍元首相暗殺事件も「自爆テロ型犯罪」だ。

そう言えば、安倍元首相暗殺事件の容疑者と宮台教授襲撃事件の容疑者は、奇しくも同じ41歳だ。

これらの事件では、「幸せ」のシンボルがターゲットになった。宮台教授も「幸せ」のシンボルだったのか。

格差社会の主な要因は、情報格差(デジタル格差)である。つまり、社会のデジタル化が低迷し、デジタル・トランスフォーメーションが遅れているせいだ。デジタル・ガラパゴスと言ってもいい。そのため、労働生産性が上がらず、産業構造の改革も進まないのだ。

「世界競争力年鑑」によると、日本の2022年の順位は34位である。筆者がケンブリッジ大学に留学した時期は1位だったので、日本は衰退の一途をたどってきたわけだ。「失われた30年」と言われている問題である。

こうした閉塞状況を、いち早く指摘したのが宮台教授自身である。その宮台教授を襲ったのが、「失われた30年」の犠牲者だったとしたら、何という皮肉だろうか。

失われた30年

「自爆テロ型犯罪」への対策として重要なのは、貧困対策である。

前述したように、格差社会の主要因は、情報格差なので、学校におけるデジタル教育、ITリテラシー教育、オンライン授業の本格化が望まれる。「不登校」「引きこもり」「いじめ」といった言葉が死語になるまで、教育の多様化を進める必要がある。

同時に、ITスキルやITリテラシーを高める職業訓練や社会教育を充実させることも必要だ。社会に出てから、特に失業してから、この教育を受けるには、経済的に安定した生活が保障されていなければならない。したがって、基本的な生活費を保障する「ベーシックインカム」の導入を検討すべきだ。

ベーシックインカムでは、全国民に対して最低限の現金を老若男女などの区別なく均一給付するので、年金や生活保護の審査と管理のコストもなくせる。

カナダで行われたベーシックインカムの社会実験(1974 年~1977 年)を分析したウェスタン・オンタリオ大学のデビット・カルニツキーとペンシルベニア大学のピラル・ゴナロンポンスは、「実験的な所得保障が犯罪と暴力に与える影響」(2020 年発行)という論文で、ベーシックインカムの導入後、財産犯罪だけでなく、暴力犯罪の発生率も低下したと結論づけている。

犯罪機会論

短期的な対策として重要なのは、「犯罪機会論」の導入である。

防犯対策における世界の常識、つまりグローバル・スタンダード(世界基準)である犯罪機会論の普及が、日本では相当に遅れている。

犯罪機会論は、犯罪の動機を抱えた人が犯罪の機会に出会ったときに初めて犯罪は起こると考える。動機があっても、犯行のコストやリスクが高くリターンが低ければ、犯罪は実行されないと考えるわけだ。

研究の結果、犯罪発生の確率が高いのは「入りやすく見えにくい場所」だと分かっている。

宮台教授襲撃事件も、大学キャンパスの「入りやすく見えにくい場所」で起きている。したがって、大学のキャンパスも、建物のデザインや敷地のレイアウトを工夫して、犯罪がやりにくい場所をつくることが必要だ。

残念なのは、「開かれた学校づくり」に反するとして、犯罪機会論的な取り組みに異議を唱える人がいることだ。しかし、その意見は、ハードとソフトを混同していると言わざるを得ない。文部科学省も、「校門を開放しろ」ではなく、ソフト面の「地域との連携を図れ」と言っているだけなのだ。

これをハード面の「校門の開放」と勘違いしたために起きたのが、8人の児童が刺殺された大阪教育大学付属池田小事件である。犯人は法廷で「門が閉まっていたら入らなかった」と述べている。

「校庭が使えなくなる」「地域住民と交流できなくなる」といった批判もある。しかし、これもハードとソフトを混同している。ハード的に閉めても、管理者を付ければ校庭利用は可能だし、登録制にすれば住民の授業参加も可能だ。

実際、海外では、正規の教員のほかに、地域ボランティアが教室にいる。

自由や交流のためにはハード的に開かなければならないと主張する人は、空港でのセキュリティチェックを廃止し、玄関の鍵も閉めない方がいいと言うのか。

イメージ先行で根性頼みの精神論から、科学的手法に基づく防犯対策への転換が求められている。

末筆ながら、宮台教授が心身ともに回復されることを心から願う。

立正大学教授(犯罪学)/社会学博士

日本人として初めてケンブリッジ大学大学院犯罪学研究科を修了。国連アジア極東犯罪防止研修所、法務省法務総合研究所などを経て現職。「地域安全マップ」の考案者。警察庁の安全・安心まちづくり調査研究会座長、東京都の非行防止・被害防止教育委員会座長などを歴任。代表的著作は、『写真でわかる世界の防犯 ――遺跡・デザイン・まちづくり』(小学館、全国学校図書館協議会選定図書)。NHK「クローズアップ現代」、日本テレビ「世界一受けたい授業」などテレビへの出演、新聞の取材(これまでの記事は1700件以上)、全国各地での講演も多数。公式ホームページとYouTube チャンネルは「小宮信夫の犯罪学の部屋」。

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