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クリミアを巡るロシアとNATOのつばぜり合い:軍事力展開の実際

小泉悠安全保障アナリスト

小欄ではこれまでクリミア情勢を巡る構図やその見方を中心にお伝えしてきたが、ここでもう少し狭く軍事力の展開にも焦点を当ててみたい。

クリミアに展開するロシア軍

今回のクリミア危機が発生する以前から、クリミア半島にはロシア黒海艦隊が駐留していた。

黒海艦隊は巡洋艦1隻、駆逐艦2隻、潜水艦(通常動力型)2隻、揚陸艦2隻、その他を含めて約40隻から成る艦隊で、根拠地はクリミア半島南西部のセヴァストーポリに置かれている。

さらに黒海艦隊は、海軍航空隊の1個混成航空部隊(Be-12対潜飛行艇とSu-24M戦闘爆撃機及びその偵察型Su-24MRを装備)、沿岸防衛部隊(地対艦ミサイル部隊、海軍歩兵部隊)といった航空部隊や陸上部隊を指揮下に置いており、合計人数は1万数千人であったと考えられている(英国国際戦略研究所の『ミリタリー・バランス』では1万3000人となっているが、オバマ米大統領とメルケル独首相が3月4日に電話会談した際に協議されたロシアへの通告案は、1. 全てのロシア軍部隊を駐屯地に戻す、2. クリミア半島に配備する兵力の上限を1万1000人とする、という内容であったことから、米国は危機前のクリミア駐留ロシア軍を1万1000人と見積もっていたようだ)。

ちなみに、2月28日に瞬く間にクリミア半島を掌握した「謎の武装集団」の正体は、上記の沿岸防衛部隊に含まれる海軍歩兵部隊であったと考えられる。

黒海艦隊を意味する「90」のナンバーを付けたロシア軍のトラック
黒海艦隊を意味する「90」のナンバーを付けたロシア軍のトラック

黒海艦隊の海軍歩兵部隊は1個旅団(約3500人)及び1個独立大隊から成っており、Twitter等に投稿された画像を見ると、装甲車にこれらの部隊の紋章を描いてあったり、トラックのナンバープレートに黒海艦隊を示すコード「90」が入っているのがはっきり確認できる。

つまり、ロシア軍は外部からやってきたわけではなく、もともと半島内に居たからこそ素早い掌握が可能であったわけである。

ただ、海軍歩兵部隊が主要な交通・通信インフラを掌握すると、それに続いてロシア本土から続々と後続部隊が入り始め、現在ではクリミアに2万人(米国務省見積もり)から3万人(ウクライナ内務省見積もり)程度のロシア軍が展開していると見られる。

1個師団から1個軍程度がクリミアに増援された計算だ。

3月6日にロシアの『ノーヴァヤ・ガゼータ』紙がウクライナ参謀本部筋の話として伝えたところによると、同時点でクリミアに展開していたのは、精鋭部隊である空挺軍所属の第31空中襲撃旅団と参謀本部情報総局直轄の特殊部隊である第22特殊任務旅団、それに第18自動車化歩兵旅団の一部であるチェチェン人部隊「ヴォストーク大隊」がクリミア入りしているという(ただしヴォストーク大隊は2008年に解散されており、この参謀本部筋の情報がどこまで瀋陽に足るかははっきりしない)。

クリミアに配備された地対艦ミサイル・システム「バスチョン」
クリミアに配備された地対艦ミサイル・システム「バスチョン」

再びナンバープレートに話を戻すと、半島内では南部軍管区を意味する「21」のナンバーを付けたロシア軍車両が頻繁に目撃されており、ロシア本土からの増援の少なくとも一部は同軍管区から来ているようだ。

また、ロシア海軍は最近、隷下の地対艦ミサイル部隊に最新鋭の超音速地対艦ミサイル・システム「バスチョン」を配備したと伝えられる。

クリミア周辺のロシア軍

さらにロシア軍はクリミア周辺地域でも軍事行動を活発化させている。

ウクライナの北側にあるロシア軍西部軍管区で先月末から7日にかけて大規模な抜き打ち演習が実施されたのに続き、13日にはウクライナ東部と国境を接するロシア軍南部軍管区でも演習が開始された。

13日に始まった演習では空挺軍によるパラシュート降下や対地ロケット砲の実弾射撃演習などが実施され、合計8500人程度が参加したと見られる。

ロシアが例年実施している南部軍管区大演習「カフカス」に匹敵する規模の大規模演習だ。

さらに地中海にはシリア情勢を睨んで地中海作戦コマンドと呼ばれる艦艇グループが展開しており、ロシア海軍唯一の空母である「アドミラル・クズネツォフ」も毎年恒例の地中海遠征を延長してキプロス周辺海域に留まり続けている。

また、ロシアは最近になってベラルーシに自国の空軍基地を開設し、戦闘機部隊の配備を開始したばかりだが、クリミア情勢を受けてベラルーシ国境付近でNATOの偵察活動が活発になっているとして、戦闘機部隊が増派された。

NATOの軍事的対応は限定的

クリミア併合の動きに強く反発する米欧は、ウクライナ暫定政権への支持を明確にするとともに、住民投票翌日の17日、ロシアへの経済制裁を決定する構えだ。

ただ、逆に言えば軍事的オプションまでは考慮していないということであり、このあたりはロシア側も読んだ上で今回のような対応に出たものと思われる。

仮にロシアと全面的な武力衝突となれば、勝敗に関わらず許容しがたい損害を被ることはほぼ確実であるためだ。

実際、米国はウクライナ周辺に軍事力を追加配備してはいるものの、ロシアと事を構えられるような規模ではない。

黒海にイージス艦1隻(「トラクスタン」)が派遣されたほか、地中海に空母「ジョージ・ブッシュ」を中心とする打撃群1個が展開しており、あとはリトアニアとポーランドにそれぞれ10機程度の戦闘機が増派されたに過ぎない。

また、NATOはクリミア上空に無人偵察機を侵入させて偵察活動を行っているが、13日にはそのうちの1機であるMQ-5B無人偵察機がロシア軍によるとみられるハッキングを受け、着陸させられたという情報もある。

無人機の乗っ取りに使われたと言われる1L222電子戦システム
無人機の乗っ取りに使われたと言われる1L222電子戦システム

ロシアの『軍事オブザーバー』紙が伝えているもので、ロシア軍の1L222「アフトバーザ」電子戦システムがMQ-5Bの操縦システムを乗っ取ってクリミアの飛行場に強制着陸させたとしているが、米国防総省はこの情報を認めていない。

だが、仮にそれが事実であるとすれば、2011年にイランがMQ-170無人偵察機をハッキングして強制着陸させたのに続く事態であり、米軍はますますクリミア周辺での活動に慎重にならざるを得ないだろう。

(続:ウクライナ国家親衛隊の設立と「ロシア軍のウクライナ侵入」?

安全保障アナリスト

早稲田大学大学院修了後、ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所客員研究員、国会図書館調査員、未来工学研究所研究員などを経て、現在は東京大学先端科学技術研究センター特任助教。主著に『現代ロシアの軍事戦略』(筑摩書房)、『帝国ロシアの地政学』(東京堂出版)、『軍事大国ロシア』(作品社)がある。

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