スノーデン問題とロシアのインテリジェンス態勢

突然のスノーデン旋風

先月、元CIA(中央情報局)およびNSA(国家安全保障局)職員だったエドワード・スノーデン氏が米国の情報収集作戦を世界のメディアに向けて暴露したことで、世界に激震が走った。

スノーデン氏は、NSAが行っていた電話盗聴やコンピュータへのハッキング等の実態を暴露し、さらには日本を含む同盟国大使館の通信までが傍受されたことを明らかにしたのだ。

もちろん、この程度のことは各国とも知らないわけではないし、世界的な通信傍受網「エシュロン」の存在も(米政府は否定しているが)すっかり人口に膾炙している。

むしろスノーデン氏問題が厄介なのは、彼がこうした諜報戦に関する詳細な資料をNSAから大量に持ち出したらしいことと、そのことによって各国とも知らぬ振りができなくなってしまったことの2点である。

ところでスノーデン氏は当初、香港で暴露会見を行った後にアエロフロートでモスクワへ飛び、そこからさらに南米のエクアドルへと政治亡命する筈だった。

ところが、6月23日、スノーデン氏を乗せた香港発アエロフロート機がシェレメチェヴォ空港に到着した時、彼が座っているはずの座席番号17Aには姿は見当たらず、そのまま行方が分からなくなってしまった。

どうもスノーデン氏はもう一つ別の席を予約しておいてそちらに座っていたらしく(モスクワ到着時、機内に入ったテレビカメラがわずかにそれらしい人物を捉えている)、その後、トランジット・エリア内のリフレッシュルームに逃げ込んだらしい。

スノーデン氏が滞在していると見られるシェレメチェヴォ空港
スノーデン氏が滞在していると見られるシェレメチェヴォ空港

ところが、モスクワに到着してから1週間以上が経過しても尚、スノーデン氏はこの休憩室にこもったきりらしく、エクアドルへと出国する気配が無い。

かといってこの休憩室はトランジット・エリア内にあるため、厳密にはロシア領でもなく、したがってロシア政府としてはスノーデン氏を逮捕したり米国に強制送還したりする権限は無い、というのがロシア側の見解である。

だが、米国はこのような説明に納得しておらず、スノーデン氏を何としても引き渡すよう再三にわたって要求している。

逆に言えば、それだけ米国はスノーデン氏の暴露を深刻に受け止めているということだ。

そして米国にとって何よりまずいのはスノーデン氏がモスクワに居るという点であろう。

ロシアもまた、米国にならぶインテリジェンス大国であり、米国の情報収集活動に関してスノーデン氏が持っている知識や経験は喉から手が出るほど欲しい筈だ。

もっとも、スノーデン氏が米国の情報収集活動を暴露したのは「米政府が法に背いて国民を監視していることを明らかにしたい」という愛国的動機であったようなので、米国の機密情報を簡単にロシア当局に明かすつもりはないのだろう。

しかし、エクアドルに亡命する筈だった彼がいつまでもトランジット・エリアから出てこないのは、果たして彼の自由意思なのか、ロシア当局によって事実上の軟禁状態にあるのかを確認する術は無い。

ロシアのインテリジェンス活動

前述のように、ロシアもまた世界的な情報収集活動を行っている。

スパイを用いたHUMINT(人的インテリジェンス)や公刊物等の分析を行うOSINT(公開情報インテリジェンス)のほかに、通信の傍受、ELINT(電子情報収集)、SIGINT(信号情報収集)と多種多様なインテリジェンス活動が実施されている。

スノーデン氏が所属していたNSAはこのうち、通信傍受、ELINT、SIGINTなどを担当していた。

一方、ソ連時代にこの種の活動を実施していたのは、KGB(国家保安委員会)の第16局と、ソ連軍参謀本部のGRU(偵察総局)である。

ソ連国内や世界の在外公館に設置された傍受拠点をKGB第16局が運営し、GRUは電子偵察機や電子情報収集艦、電子偵察衛星、地上傍受基地等を用いた電波・電気信号・通信の傍受を担当するという体制である。

また、第16局は早くからサイバー戦に従事しており、1980年代には米国防総省のネットワークへの侵入に成功していたという。

両者はさらに社会主義同盟国と協力してSOUD(統合敵データ記録システム)と呼ばれる世界的な情報網を展開しており、東欧、キューバ、ヴェトナムといった冷戦の最前線で活動していた。まさに社会主義版エシュロンと言える。

しかし、冷戦の終結とソ連崩壊により、このようなグローバルなインテリジェンスは縮小を余儀なくされた。

東欧の社会主義体制が次々と倒れ、さらに9.11事件以降には対米協調のためにキューバやヴェトナムの電波傍受拠点も閉鎖されてしまったためだ。

ただし、規模は縮小されたがロシアのインテリジェンス活動は依然として続いている。

たとえば前述のKGB第16局は幾度かの組織的変遷を経た後、KGBの後継組織であるFSB(連邦保安庁。プーチン氏が大統領就任前に長官を務めていたこともある)の一部局「情報安全保障センター」となった。

同センターは電話検閲システムSORM-1とインターネット検閲システムSORM-2を運用しており、「通信法」によって情報機関や捜査機関が一般の通信を傍受することが認められている。

ロシアで操業するあらゆる通信事業者はSORMに関連する機器やソフトウェアをインストールすることが義務付けられているため、基本的にあらゆる通信はSORMによって検閲され、ロシア当局の関心を惹くものがあれば傍受されていると考えるべきであろう。

また、公にはなっていないものの、おそらく、外国政府機関等のサーバーに侵入するなどのハッキング活動も情報安全保障センターが担っているものと思われる。

軍のGRUもキューバとヴェトナムの電波傍受拠点こそ失ったものの、依然として航空機、艦船、人工衛星を用いたグローバルなインテリジェンス活動を行っている。

日本付近に飛来したTu-214R電子偵察機
日本付近に飛来したTu-214R電子偵察機

特に今年から来年にかけては、電子偵察機Tu-214R、ユーリー・イワノフ型電子情報収集艦(太平洋艦隊配備)、ELINT衛星「ロトス-S」といった多様な新型偵察機材が続々と就役する予定だし、キューバやヴェトナムの傍受拠点を復活させようという話も時折聴かれる。

サイバー戦への拡大

さらにロシアは近年、単なるインテリジェンス活動を越えたサイバー戦の領域にも踏み出しつつある。

すでにエストニア、グルジア、キルギスタンなどがロシアからと思われるサイバー攻撃を受けたことが知られているが、これは比較的単純なDDoS攻撃(分散型サービス拒否攻撃。特定のサーバーにその対処能力を上回るアクセスを故意に集中させ、機能不全に陥れるサイバー攻撃)であり、直接の実施主体も愛国心に駆られた一般のネットユーザー達(もちろん、背後には情報機関による扇動があった筈だが)と見られている。

ところがロシア軍では最近、参謀本部内にサイバー戦専門の局を設置するとの構想が浮上してきている。

従来からロシア軍は空軍アカデミー等でサイバー戦の専門家を養成してきたことが知られているが、これを統一的なサイバー戦司令部の下でより本格的に実施しようというものだ。

もちろん、建前上は外国からのサイバー攻撃に備えるのが主任務だが、実際には攻撃的なサイバー戦との二本柱で運用されることになろう。

ロシア国防省は2011年に「サイバー安全保障概念」と呼ばれる文書を策定しており、この中でサイバー戦は国際法の適用される武力紛争の一形態であり、その解決はやはり通常の武力紛争に従うとの位置づけが示されている。

したがって、ロシアのサイバー戦実施要領に於いては攻防の双方が想定されていると考えるのが自然である。

今後の処遇に注目

いずれにせよ、ロシアは依然としてインテリジェンス大国であり、その能力を維持・発展させる意思も明らかだ。

また、ロシアは逆に自国が米国をはじめとする諸外国のインテリジェンス活動の対象になっていることも充分に承知している(実際、スノーデン氏の暴露情報の中にはそれを伺わせるものもある)。

そうした中で、突如、懐に飛び込んできたスノーデン氏がとてつもない価値を持っていることは明らかであろう。

果たしてスノーデン氏の亡命は叶うのか?

それとも何かと理由をつけていつまでもロシア国内に留め置かれるのか?

ロシア政府の今後の処遇が注目される。

(7/2 追記 本稿脱稿直後、スノーデン氏がエクアドルではなくロシアに亡命を求める考えであると報じられた。これに対してプーチン大統領は、「反米活動をやめるなら亡命を受け入れる」との姿勢を示したが、スノーデン氏はこれを受けてロシアへの亡命申請を撤回したと伝えられており、彼の空港暮らしはまだしばらく続くかもしれない)