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金正恩氏がどうしても抑え込めない「3つの欲望」

高英起デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト
金正恩氏

金正恩党委員長が、秘密警察の国家安全保衛部(以下、保衛部)傘下に「620常務」なるタスクフォースを組織して、治安維持を強化している。この新たな治安部隊の正体が明らかになってきた。

米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)によると、620常務は金正恩氏が6月20日に出した指示により組織されたという。指示が出された日が名称というわけだ。では、どのような対象を取り締まるのか。大きくは3つあるのだが、そのいずれもが、国民の「欲望」に絡むものだ。その筆頭は、海外映画や韓流ドラマなどの「不法映像物」の拡散である。

主婦にも薬物汚染が

2000年代以後、北朝鮮で爆発的に広まった韓流ドラマに対して、金正恩氏は厳しく取り締まる方針を貫いている。韓流だけでなく海外動画は、自国体制の優位性を強調するプロパガンダを骨抜きにするからだ。今年4月には、韓流動画をめぐって女子大生を拷問。その後、彼女は悲劇的な最期をとげた。

(参考記事:北朝鮮の女子大生が拷問に耐えきれず選んだ道とは…

それでも、北朝鮮国民は見ることを止めない。すでに心の中の自由が拡大し、そうした自由を知らなかった時代に戻れなくなっているのだ。

既存の保衛部や保安部(警察)が既に厳しく対処しているにもかかわらず、新たに620常務を組織したということは、今後はより取り締まりが厳しくなることが予想される。さらに、治安側が没収した動画を調査の名目でこそっと楽しんでいることへの対策なのかもしれない。

そして、620常務の次の任務が「覚せい剤」対策だ。

北朝鮮における覚せい剤の蔓延は、深刻なレベルに達している。内部情報筋によると、中学生や主婦、そして人民保安省(警察)の機動巡察隊員も夜勤の際にキメる。以前は挨拶代わりにタバコを差し出すのが習慣だったが、最近では顔を合わせると覚せい剤をやるほどだという

(参考記事:一家全員、女子中学校までが…北朝鮮の薬物汚染「町内会の前にキメる主婦」

避妊具なしで

北朝鮮で薬物が蔓延したのは国家の覚せい剤ビジネスがきっかけだ。外貨を稼ぐため薬物を製造し海外に輸出していたが、中国側の取り締まりや国際社会の監視の目で厳しくなった。その余剰薬物が国内に拡がり、さらに製法まで全国に拡がってしまった。いわば自業自得の薬物汚染なのだ。

620常務の三つ目の任務が「売春」の取り締まりだ。

長引く経済難を背景に、北朝鮮でも売春に走る女性は多い。生計のため体を売る女性達の実情は実に悲惨だ。覚せい剤の力を借り道端に立ち、わずかコメ数キロ分の現金を得るために、コンドームを着けない男性を相手にしなければならない。

(参考記事:コンドーム着用はゼロ…「売春」と「薬物」で破滅する北朝鮮の女性たち

その一方で、携帯電話欲しさ、いわばかつて日本でも流行った援助交際のように体を売る女子大生もいる。

620常務が厳しく対処するという3つの任務、韓流、薬物、売春。いずれも、金正恩氏は以前から厳しく取り締まる姿勢を示してきた。それにもかかわらず、新たに620常務を組織したということは一向になくなる気配を見せていないからだろう。

それもそのはず、3つ全てが北朝鮮社会の矛盾を象徴している。韓流は極端な言論統制に対する庶民の反発だ。薬物汚染は先述の通り、国家が引き起こしたと言える。そして、売春は慢性的な経済難によって生み出されたものだ。そして、そのいずれにも人間の本能的な欲望がからみつき、表面的な思想統制などでは手に負えなくなっている。

金正恩氏は、こうした違法行為を単に厳しく取り締まるだけでなく、引き起こす根本的原因、つまり体制の責任による矛盾も同時に解決していく取り組みをしない限り、いつまで経っても同じ事が繰り返されるだろう。

デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト

北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。関西大学経済学部卒業。98年から99年まで中国吉林省延辺大学に留学し、北朝鮮難民「脱北者」の現状や、北朝鮮内部情報を発信するが、北朝鮮当局の逆鱗に触れ、二度の指名手配を受ける。雑誌、週刊誌への執筆、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に『コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記―』(新潮社)『金正恩核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』(宝島社)『北朝鮮ポップスの世界』(共著)(花伝社)など。YouTube「高英起チャンネル」でも独自情報を発信中。

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