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ほとんど滋賀を走るのに北陸本線? 実態に合わないJRの路線名はなぜ生まれるのか 整備新幹線の“弊害”

小林拓矢フリーライター
北陸新幹線の開業で並行在来線は第三セクターになっていく(写真:イメージマート)

 いよいよ来年春に迫る北陸新幹線の金沢~敦賀間開業。それにともない、並行在来線である北陸本線の金沢~敦賀間の第1種鉄道事業の廃止届出書が国土交通省に先月末に提出された。この区間は、金沢~大聖寺間がIRいしかわ鉄道、大聖寺~敦賀間がハピラインふくいにより、鉄道が継続して運行されることが決まっている。

 JR西日本から第三セクターに移行しても、特急こそなくなるものの鉄道輸送自体はなくならない。地元の人の通勤・通学の足としての鉄道は、不便になるわけではないのだ。

 むしろ、長距離輸送が新幹線に移行することで、ローカル列車の本数が増える可能性もある。

 ということで、今後も「北陸本線」として残るのは、米原~敦賀間となった。45.9kmの区間である。確かに敦賀は福井県であり、北陸地方である。しかし、北陸本線の大半が滋賀県を走ることになる。

 もはや名前が実態を示していないのではないか、といえる。

整備新幹線で複雑になる「路線名」

 名前が実態を示さない、というのは整備新幹線の開業が進むにつれて目立つようになってきた。

 1997年10月に「長野新幹線」が開業した際、並行在来線である「信越本線」は4つに切り刻まれた。群馬側から見ていくと、高崎~横川間は信越本線として残存、横川~軽井沢間は廃止、軽井沢~篠ノ井間はしなの鉄道に移行、そして篠ノ井~長野間も信越本線として残った。

 もともと信越本線は、高崎から長野~直江津~長岡を経由して新潟までを結ぶ路線だった。その後バイパスルートとして高崎~宮内間に上越線ができる。本線と支線の関係では、上越線のほうが支線だったのだ。

 上州地方(群馬県)に「信越」の名前がある単なるローカル区間ができたものの、一応はこの段階では信州と越後を結んでいる状態になっていた。

 だが「北陸新幹線」と名を変え2015年3月に長野~金沢間が開業したことで、信越本線は長野~妙高高原間はしなの鉄道、妙高高原~直江津間がえちごトキめき鉄道となった。

 現在、信越本線は高崎~横川(29.7キロ)、篠ノ井~長野(9.3キロ)、直江津~新潟(136.3キロ)の3区間に分かれる状況になっている。個々に線名を与えたほうが適切なのでは、という素朴な疑問は検討に値するだろう。

 正直なところ、直江津~新潟以外、「本線」にしておくには適切ではない状態ともいえる。

しなの鉄道は新車の導入などサービス改善に意欲を注ぐ
しなの鉄道は新車の導入などサービス改善に意欲を注ぐ写真:イメージマート

 九州でも似たような事態は発生している。2004年に九州新幹線の新八代~鹿児島中央間が開業した際、八代~川内間が肥薩おれんじ鉄道になり、門司港~八代間と川内~鹿児島(なお旧西鹿児島、現在の鹿児島中央は鹿児島本線の終点ではない)の2つに分けられた。その後2011年3月に博多~新八代間が開業する。その際には並行在来線は第三セクターにはならなかった。

 なぜこんなことになったかといえば、JRが新幹線と並行在来線をともに運営することによる負担が大きい場合、並行在来線を経営分離してもいいということになっているからだ。

 逆に言えば、路線上の都合や、JRの経営負担が過大にならない場合には、経営分離をしなくてもいいことになっている。そういうシステムゆえに、路線名に見合わない区間で運行し、路線名通りの路線にならないという事態が発生するのだ。

「北陸本線」はどんな路線だった?

 北陸本線は、もともとは米原から敦賀・金沢を経由して、直江津へと向かう路線だった。大阪から青森までの長距離ネットワーク「日本海縦貫線」の中で重要な役割を持つ路線だった。

 北陸新幹線の開業前は、大阪~富山間や金沢~新潟間の特急列車が走るだけではなく、大阪~新潟間の直通列車や、さらに前は大阪~青森間の特急列車も運行されている路線だった。もちろん、貨物輸送の大動脈である。

 北陸新幹線が長野~金沢間で開業したことにより、北陸本線は滋賀県の米原から石川県の金沢までに短縮された。石川県や富山県は東京圏との結びつきが強くなり、富山から大阪へ出かけるには金沢での乗り換えが必須となる事態になった。新潟へは上越妙高や高崎での乗り換えが必要になった。

 開業と合わせて並行在来線が経営分離され、直江津~市振間がえちごトキめき鉄道に、市振~倶利伽羅間があいの風とやま鉄道に、倶利伽羅~金沢間がIRいしかわ鉄道になった。

 北陸新幹線が開業する前の北陸本線は、大幹線として特急や貨物が行きかう路線だった。名実ともに北陸地方を代表する路線だった。それが、貨物こそ残るにせよ、旅客輸送はローカル輸送に徹することになった。

 来春、北陸新幹線が敦賀まで延伸されることで、北陸本線はさらに敦賀~金沢間(130.7キロ)が廃止され、米原~敦賀間(45.9キロ)のみとなる。

 大阪や名古屋から金沢への特急も、敦賀で乗り換えとなる。

 そして、北陸地方をほとんど走らない「北陸本線」となる。

今後現れる「地域と線名が一致しない路線」

 新幹線の誕生により、並行在来線の第三セクター化が発生したケースとして、東北本線の盛岡~青森間や、江差線の木古内~五稜郭間がある。

 だが盛岡~青森間は東北本線の一部であり、江差線はそもそも2015年5月に江差~木古内間が廃止されている。北海道新幹線の新青森~新函館北斗間は2016年3月に開業した。

 また上下分離によりJRでの路線を維持する長崎本線という事例もあらわれた。旧肥前山口、現在の江北~諫早間がそうなっている。

 で、このさき厄介な事例が発生しそうなのは、北海道新幹線と函館本線である。

 函館本線の長万部~小樽間は、廃止の見込みとなっている。そのため、小樽~札幌~旭川間に、函館と直接つながらない「函館本線」ができることになる。函館~新函館北斗~長万部間も、どうなるかわからない。函館~新函館北斗間は、新幹線との連絡のために経営分離して残すことになっている。

函館~新函館北斗は新幹線連絡のために残るだろう
函館~新函館北斗は新幹線連絡のために残るだろう写真:イメージマート

 問題は新函館北斗~長万部間である。廃止にするか、貨物輸送のみの第三セクター路線にして旅客輸送はバス転換するか、第三セクターにして旅客輸送も残すか、議論が進んでいる。貨物もなくすと、関東と北海道を結ぶ物流の大動脈が断たれることになるため、貨物を残すためにどうしたらいいのかが考えられている最中だ。

 ともあれ、函館とは縁のない「函館本線」が誕生することになる。

 鉄道の路線名とは何なのかを、考える必要があるのではないだろうか?

フリーライター

1979年山梨県甲府市生まれ。早稲田大学教育学部社会科社会科学専修卒。鉄道関連では「東洋経済オンライン」「マイナビニュース」などに執筆。単著に『関東の私鉄沿線格差』(KAWADE夢新書)、『JR中央本線 知らなかった凄い話』(KAWADE夢文庫)、『早大を出た僕が入った3つの企業は、すべてブラックでした』(講談社)。共著に『関西の鉄道 関東の鉄道 勝ちはどっち?』(新田浩之氏との共著、KAWADE夢文庫)、首都圏鉄道路線研究会『沿線格差』『駅格差』(SB新書)など。鉄道以外では時事社会メディア関連を執筆。ニュース時事能力検定1級。

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