房総方面に特急が走るようになってから、ことしで50年となる。1972年7月15日、東京駅に総武本線の地下ホームが誕生し、特急「わかしお」「さざなみ」が東京駅発着で運行を開始した。それまでは両国発着の急行が中心だった。

 これらの特急が新設された際に、房総方面のような短距離でも特急料金を取るのか、急行ではいけないのかといった声が聞かれ、実質的な値上げとまで評された。

 その後、1975年3月に銚子方面の「しおさい」、鹿島神宮方面の「あやめ」が設定され、1982年11月には房総方面の急行が全廃される。

 短距離特急は、その後の急行列車消滅、特急列車化による値上げとグレードアップといった流れを生み出すことになった。

183系が開いた短距離特急の可能性

「わかしお」「さざなみ」では新しい車両が登場した。183系だ。これまでの特急型車両・181系は、山陽本線など長距離車両として活躍していた。しかし、山陽方面は新幹線ができることが確定しており、直流長距離特急の必要性はなくなりつつあった。長距離といっても、当時ならば上野~新潟、新宿~松本程度で、時間が短縮されていくことは想定の範囲内だった。

 そんな状況で、183系は登場した。短距離の運用のために食堂車は設けられず、扉は485系などと異なり2扉、ドアステップもなかった。末端での普通列車運用にも備えた形だ。また、分割・併合を意識したため、先頭には貫通扉を設置した。

 この車両が、東京圏の直流電化区間における短距離特急を広めるきっかけとなる。房総方面だけではなく、中央本線「あずさ」にも投入され、食堂車がいらない所要時間となったこの特急でも活躍した。前面非貫通で耐寒・耐雪を強化した1000番台も登場、特急「とき」を主な活躍の場とし、中央本線方面の運用も多かった。

183系1000番台。
183系1000番台。写真:イメージマート

 信越本線には碓氷峠対応の189系が導入、こちらも上野~長野間の輸送に大きく貢献した。

 183系は、短距離の急行列車を特急列車に置き換えるのに大きな役割を果たした。その象徴となったのは、かつては気動車急行王国だった房総の電化と、特急への格上げ、始発駅の両国から東京への変更である。

 この183系の登場、房総特急「わかしお」「さざなみ」への投入が、日本人の特急への考え方を大きく変えて、多くの列車を特急へと格上げしていく原動力になったのだ。

房総特急の果たした役割とは

「わかしお」は外房線経由で勝浦や安房鴨川方面に向かう列車である。どの時間帯も平均的に運行されている。「さざなみ」は現在、木更津・君津方面が中心だ。朝時間帯上り、夕方の下りがメインとなっている。

「さざなみ」が衰退しているのは、東京湾アクアライン開業により高速バスに利用者を奪われたため、利用者が減少してしまったためである。

 ちなみに1988年3月の時刻表を見てみると、館山・千倉発着の列車が多かった。この時代が「わかしお」「さざなみ」の全盛期だったといえる。

 ほかにも「しおさい」は、東京と銚子を結び、いまでも多く運行されている。「あやめ」は本数が減っていく。高速バスに利用者を奪われていったからだ。

 房総特急は、平日のビジネス客、休日の観光客と幅広く利用され、多くの人に特急の快適さを伝えるという役割を果たした。

255系を使用した特急「しおさい」
255系を使用した特急「しおさい」写真:イメージマート

 いっぽう、房総特急にも難しい局面が現れてきた。「成田エクスプレス」の登場である。1991年3月には「わかしお」「さざなみ」は東京~蘇我間を京葉線経由で結ぶようになり、千葉駅を経由しなくなった。これにより、館山や安房鴨川から県庁所在地の千葉に向かうのに乗り換えが発生し、面倒なことになった。

 さらに千葉県内の高速道路や、東京湾アクアラインの整備により、高速バスへと乗客は移行していった。

 しかし、短距離特急の大量設定ということにより、のちのちの特急時代を築いていくことになる。現在では、快適に座れるということで、定期券と併用して特急券を買って乗車する人も多くおり、特急が当たり前の存在になった。JR東日本でも、「かいじ」や「ときわ」などの短距離特急、「スワローあかぎ」「はちおうじ」「おうめ」「湘南」といった列車は多くの人に受け入れられている。私鉄の有料特急もメジャーなものになっていった。

 特急を特別なものにしないというのが、「わかしお」「さざなみ」といった房総特急の意義であり、それに対応するために登場したのが183系であった。