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185系「踊り子」引退 国鉄の特急型車両の魅力と価値とは?

小林拓矢フリーライター
白地に国鉄急行色をあしらった「踊り子」(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

 国鉄のにおい――長く活躍している車両を評する際に若い人が発した言葉として、ネットでは多く広まった。「踊り子」に使用されている185系も、国鉄時代からのものであり、同列車のE257系への置き換えが進むにつれて、注目を集めるようになっている。

運行開始当時は、「急行+α」といった車両だった

 いまとなっては重厚感あふれる走りを見せる185系も、1981年3月に登場した際には特急から普通列車にまで使用でき、シートも転換クロスシートという、ちょっといい感じの急行型電車という印象を与えていた。同じような考え方で設計された117系が、関西圏では急行型電車153系の後継として新快速に導入され、クロスシートの急行よりも快適な転換クロスシートの新快速という点で評価を集めたのに比べれば、最初はいまいちな扱いを受ける列車であった。

 そもそも以前は、東京から伊豆急下田や修善寺といった範囲は、急行列車で十分な距離だった。しかし国鉄がサービス向上や増収、利用者へのアピールのため、急行は続々と特急に格上げされ、列車によっては急行型車両のまま快速へと格下げ、料金を必要としない列車へとなっていった。

 そんな時代に生まれた車両が、185系だった。伊豆方面や栃木・群馬方面への短距離特急に使用され、合間に普通列車などにも使用されるという汎用性の高さが153系・165系急行型電車のようだとも考えられた一方、特急としては窓も開閉可能で、どこか華やかさというのがない車両ではあった。

 0番台の15両編成、10両編成と5両編成のセットというのも、東京から湘南方面へと向かう普通列車と合わせた、ということもいえる。グリーン車は2両連結ではあったものの、その方面への普通列車にもグリーン車は2両連結されており、多分に普通列車としての運用を意識している編成ではあった。

内装変更や塗色変更は行ったものの……

 JRになってからの1995年から2002年にかけて、転換クロスシートからリクライニングシートへとリニューアル工事が行われ、塗装などの変更が行われた。これまでは0番台は白地に緑の斜めライン、200番台は白地に緑の横ラインだったものが、緑とオレンジの国鉄急行色をあしらい、はては全面を国鉄急行色に、あるいはクリームに赤の国鉄特急色にしたものも現れ話題になった。その後、全車両が白地にストライプの塗装となった。

 そんな中でも、0番台は洗面台が国鉄当時のレバー式のものがいまだ残っており、数年前に乗車した際にはかえって感心したほどだった。

JRになってから国鉄特急型車両はリニューアルされ続けた

 JRになってから、各社は画一化されたサービスではなく、乗客によりよいサービスを提供しようという意識が高まった。一方で、高速バスとの競争も激化していった。そのため、新車を投入したり、既存の車両をリニューアルしたりし、魅力あるサービスを提供するようになった。

 183系、381系、485系と、国鉄型車両は塗装を変更し、車両によっては展望型グリーン車を設け、さまざまなリニューアルを行って乗客を集めようとした。

 だが車齢と過酷な運用には勝てず、新車へと世代交代をしていった。

 筆者はこの時代の国鉄型特急車両に乗ることが多く、「国鉄のにおい」と「JRのにおい」が交互に感じられる状態の車両を味わうことが多かった。

 できる範囲で快適さを向上させようという試みが、各社に感じられた時代のものだった。

 山梨県に育ったものとして、「あずさ」のグレードアップ車両は憧れだった。普通車でもゆったりとした座席、駅弁の食べやすい大きなテーブル、座席は一段高い位置に設けられ、車窓も最高だった。白地に緑と赤の二色の帯が、スピード感を表した。

 もちろん、各社各路線多様な改造が施され、それぞれの地域の人たちは車両の快適さを味わったことだろう。

画一的だった国鉄特急型車両

 一方、国鉄時代は画一的な方針で全国に車両を走らせていった。直流特急型なら183系、交直流特急型なら485系、振り子特急なら381系と、だいたい走る車両は決まっていた。たとえば九州なら、どの路線も485系を使用した列車が走っていた。同じ車両が東北に、北陸にと走っていた。全国規模での転属もあった。

 直流特急型の183系は、中央本線でも上越線でも、あるいは房総方面でも見ることができた。例外としては碓氷峠を超えなければならない信越本線の列車は、それに対応した189系を使用した(交直流特急車両として489系もあった)。

 どの路線でも、クリームに赤の国鉄特急色といわれる塗色をほどこしていた。

 しかし、こういった車両は、あまねく各地に特急のサービスを普及させるためには、必要だったということもいえる。

国鉄特急の時代があっていまの多彩な特急時代がある

 まず、国鉄は特急を普及させ、全国に同じような車両を広めていった。当時は、社会全体が豊かになろうとしていた時代であり、サービスの向上が必要とされていた。

 一方で、JRになると各社それぞれの考えが生まれ、地域に合った車両を必要とするようになった。

 185系は、117系と設計思想を共有し、「同じような車両」として別の列車種別で東西に分かれて走ることになった。その意味では汎用性の高い国鉄車両といえるものであり、いまとなっては国鉄時代を感じさせる数少ない特急車両となったといえるだろう。

 中国地方には特急「やくも」に振り子式特急車両381系が残っており、こちらも今後が注目される。この車両もさまざまな改造を施され、いまに至っている。

 ここまで多様な車両が各地に走るようになると、どこか「国鉄のにおい」が懐かしい、ということもいえる。

 長い時代の変化を背負い、国鉄特急型車両は現役を去る。

フリーライター

1979年山梨県甲府市生まれ。早稲田大学教育学部社会科社会科学専修卒。鉄道関連では「東洋経済オンライン」「マイナビニュース」などに執筆。単著に『関東の私鉄沿線格差』(KAWADE夢新書)、『JR中央本線 知らなかった凄い話』(KAWADE夢文庫)、『早大を出た僕が入った3つの企業は、すべてブラックでした』(講談社)。共著に『関西の鉄道 関東の鉄道 勝ちはどっち?』(新田浩之氏との共著、KAWADE夢文庫)、首都圏鉄道路線研究会『沿線格差』『駅格差』(SB新書)など。鉄道以外では時事社会メディア関連を執筆。ニュース時事能力検定1級。

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