新駅は「高輪ゲートウェイ」に! なぜ「高輪」「芝浦」「芝浜」ではだめだったのか?

この地に「高輪ゲートウェイ」ができる(写真:Natsuki Sakai/アフロ)

 2020年春、山手線・京浜東北線の田町~品川間に「高輪ゲートウェイ」という新駅が開業することになった。2018年6月に駅名が一般公募され、64,052件の応募から「高輪ゲートウェイ」が選ばれた。だが、この駅名は36件、130位。1位は「高輪」8,398件、2位は「芝浦」4,265件、3位は「芝浜」3,497件。得票数でも順位でも選ばれるとは思えないものだった。

「高輪ゲートウェイ」に決まった理由とは?

 JR東日本は、「高輪ゲートウェイ」に決まった理由を、次のように説明している。

 この地域は、古来より街道が通じ江戸の玄関口として賑わいをみせた地であり、明治時代には地域をつなぐ鉄道が開通した由緒あるエリアという歴史的背景を持っています。

 新しい街は、世界中から先進的な企業と人材が集う国際交流拠点の形成を目指しており、新駅はこの地域の歴史を受け継ぎ、今後も交流拠点としての機能を担うことになります。

 新しい駅が、過去と未来、日本と世界、そして多くの人々をつなぐ結節点として、街全体の発展に寄与するよう選定しました。

出典:田町~品川駅間の新駅の駅名決定について

「高輪ゲートウェイ」ができるエリアは、江戸時代から多くの人が行き交い、賑わっていた場所であり、これからもビジネスの拠点として発展してほしい、という願いがこめられており、駅名の選考にあたった人の琴線に触れた理由を十分説明している。最先端のビジネスタウンの、「ゲートウェイ」なのだ。

 だがそうなると、公募してたくさんの票が集まった駅名が浮かばれない。なぜ「高輪」「芝浦」「芝浜」ではだめだったのか?

地理的なずれ、類似駅名の存在

 まず、高輪ゲートウェイ駅ができるエリアは、港区の港南2丁目である。それゆえ、純粋に「高輪」を名乗ることは難しい。加えて、東京メトロ南北線・都営地下鉄三田線に「白金高輪」、都営地下鉄浅草線に「高輪台」という駅があり、他社に類似の駅名がある。先にできているその駅名を差し置いて、しかも「高輪」ではない地に「高輪」の名前をつけるのは、困難だったのではないだろうか。品川駅は港区にあるものの、江戸時代の品川宿近くであり、海上交通の結節点品川湊に近かったという理由もあり、明治初期には品川県という行政エリアでもあった。

「芝浦」でも地理的に離れている。港南には「芝浦中央公園」があるものの、本来の芝浦は田町駅南部であり、高輪ゲートウェイ駅からは距離がある。また神奈川県にある鶴見線に「新芝浦」「海芝浦」という駅があり、これらの駅に近い駅と勘違いさせてはいけないということもある。なお、鶴見線の両駅は東芝関連の駅名である。

 では「芝浜」はどうか。「芝浜」は古典落語の演目の一つであり、人情噺として知られるものの、落語を知らないと駅名の由来がわからないという問題が発生する。近年では立川談志の名演で知られる。しかし、酒飲みの、貧乏長屋の夫婦が主人公という落語を駅名にするというのは、JR東日本としても相当な勇気が必要なのではないだろうか。そして、「落語は業の肯定」――いまふうの言い方をすると、だめ人間を許す――とした立川談志の考えは、一般の企業の価値観とは合わない。JR東日本としても、新しい街に入る企業としても。地域としても「芝浜」は存在するものの、田町よりも北側である。現在の港区芝4丁目あたりである。

選ばれたのは、消去法的理由?

 結局のところ、ほかの「高輪」を名乗る駅にも配慮した、「高輪ゲートウェイ」となった。ビジネスの拠点として再開発エリアの入り口にふさわしい駅名にするには、これしかなかったのだろう。

 JR東日本は、高輪ゲートウェイ駅周辺の再開発で大きな利益を得ようとしている。そのためには、未来志向の駅名である必要があったのだ。そう考えると「高輪ゲートウェイ」になった理由も、よくわかる。

 そうなると、駅名を公募しなくてもよかったのでは、ということもいえる。多数の得票を得た案が採用されなかったことに対する批判はネット上でも噴出し、しかも「駅名が長い」という不満さえ聞かれる。駅や列車内の路線図にうまく収まるかという心配の声も、ちらちらと見られる。

 となると、「高輪港南」あたりのシンプルな駅名を、最初からJRは考えておいたらよかったのだが、ということになる。今回の駅名公募は、公募で多数票を獲得した駅名が採用されなかったということもあり、今後の駅名決定に際して教訓を残したと考えられる。