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1945年8月15日の宮脇俊三 歴史的瞬間でも鉄道は動いていた

小林拓矢フリーライター
敗戦でも鉄道は動く(ペイレスイメージズ/アフロ)

「時は止っていたが汽車は走っていた」。

 1945年8月15日、紀行作家・宮脇俊三は玉音放送を山形県の米坂線今泉駅で聞いた。その後、坂町行の汽車がやってくることが、駅員から告げられた。そのときの印象を、宮脇は『時刻表昭和史』(角川文庫)で端的に示す。

宮脇俊三『時刻表昭和史』(角川文庫)
宮脇俊三『時刻表昭和史』(角川文庫)

 米坂線は、山形県の米沢と、新潟県の坂町を結ぶ路線である。宮脇は父とともに、赤湯から長井線(現在の山形鉄道フラワー長井線)に乗り、玉音放送があるということで今泉駅に降りた。ここから米坂線に乗り継ぐ。

 玉音放送が終わったあとの様子は、次のようなものである。

「放送が終わっても、人びとは黙ったまま棒のように立っていた。ラジオの前を離れてよいかどうか迷っているようでもあった。目まいがするような真夏の蝉しぐれの正午であった」。

それでも鉄道は動いていた

 しかし宮脇たちは、やってきた列車に乗ることになった。「昭和二〇年八月一五日正午という、予告された歴史的時刻を無視して、日本の汽車は時刻表通りに走っていたのである」と宮脇は記す。そして「汽車が平然と走っていることで、私のなかで止まっていた時間が、ふたたび動きはじめた」という。

 終戦の瞬間、日本全体で「時間が止まる」ということが起こっていた。普段は聞くことのない、天皇の声。しかもいまとはちがい、天皇は神格化されていた。その声を聞き、そこで知らされた国家の最高意思決定を聞き、多くの人たちは虚脱感の中にいた。

 敗色が濃厚になり、すでに原子爆弾は落ち、ソ連が満州や北方領土・樺太を攻めていた。国家国民が一丸となって取り組んだ戦争に敗れたことで、人びとの「時」は止まった。

 宮脇の描く終戦の瞬間は、この国の多くの場所でも同様のものが見られたと考えられる。

 しかしそれでもなお、鉄道は動いていた。

 宮脇は当時を振り返り、13時57分の坂町行きだったか、12時30分ころの列車か、わからないと考えている。「昭和二〇年九月号の時刻表を信用することにしよう。天皇の放送を聞いたあと、坂町行の列車が来るまでの間、私の『時』は停止していたのだから」ということで、13時57分の列車だと考えていた。

 多くの人が玉音放送を聞き、戦争に敗れたことを悟り、虚脱感に陥った中でも、鉄道は動き、人びとを運んだ。

永遠の鉄道少年・宮脇俊三

 宮脇俊三は1926年、埼玉県川越市に生まれ、東京都渋谷区で育った。父は陸軍大佐を務めたあと衆議院議員になった宮脇長吉である。軍人ではあったものの、自由主義者であり、佐藤賢了陸軍中佐に「黙れ!」とやじを飛ばされたこともある。大政翼賛会には推薦されず、1942年の総選挙では落選した。

 そんな父は出張が多く、家には鉄道の時刻表があった。少年だった宮脇俊三は、父の使っていた時刻表を見て、鉄道に興味を持った。

 成長するにしたがって、さまざまな列車に乗るようになる。開通したばかりの関門トンネルにも行った。戦争の状況が悪化するなかで自由に移動ができなくなり、都心部も空襲がひどくなり、新潟県に疎開。そんな中で父の用事にお供しての旅で起こったできごとだ。

 宮脇はのちに東大文学部を卒業し、中央公論社に入社。『日本の歴史』『世界の歴史』などのシリーズものや、「中公新書」の創刊などの仕事を残した。宮脇が歴史の仕事にこだわったのは、西洋史学科を卒業したという経歴もさることながら、終戦という歴史的瞬間を、印象的な形で迎えたからではないか。また、「中公新書」がいまなお歴史に強いのも、宮脇の影響があるからだろう。

 早くして会社幹部になった宮脇は、労使紛争で会社側に立つ。その中で時刻表を読むことが、精神の安定につながったという。またこのころから国鉄全線完乗を志す。

 その完乗の体験は、『時刻表2万キロ』(角川文庫、河出文庫)の執筆につながった。

 この本の出版と同時期に中央公論社をやめ、紀行作家になった。その後多くの鉄道紀行を生み出してゆく。

 宮脇は2003年2月26日に亡くなった。死後、多くの人に惜しまれた。

時刻表の感覚と、歴史的瞬間の感覚

 宮脇が愛読した時刻表は、時間が、そのとおりに進むということを前提として成り立っているものである。時間どおりに列車は動き、それに人びとが乗る。

 一方で終戦の瞬間は、時間が止まり、多くの人びとに虚脱感を与え、時間の感覚を忘れさせた歴史的な事件である。

 その2つが、宮脇の『時刻表昭和史』では鮮やかに描かれている。

 毎年、8月15日正午には多くの人びとが戦没者に黙祷を捧げる。しかしそんな中でも、日常生活は普通に営まれている。時間は、動いているのだ。黙祷をしていた人も、時間が来れば日常の生活に戻る。

 私たちは時刻表の感覚で日常生活を生きている。宮脇も時刻表を愛した。しかし時が止まるような歴史的瞬間というのもまたある。一方で、それでも動き続ける日常もある。その2つが交わるのが、宮脇俊三の1945年8月15日である。

フリーライター

1979年山梨県甲府市生まれ。早稲田大学教育学部社会科社会科学専修卒。鉄道関連では「東洋経済オンライン」「マイナビニュース」などに執筆。単著に『関東の私鉄沿線格差』(KAWADE夢新書)、『JR中央本線 知らなかった凄い話』(KAWADE夢文庫)、『早大を出た僕が入った3つの企業は、すべてブラックでした』(講談社)。共著に『関西の鉄道 関東の鉄道 勝ちはどっち?』(新田浩之氏との共著、KAWADE夢文庫)、首都圏鉄道路線研究会『沿線格差』『駅格差』(SB新書)など。鉄道以外では時事社会メディア関連を執筆。ニュース時事能力検定1級。

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