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映画『AIR/エア』が描く"エア・ジョーダン"誕生秘話とスポーツビジネスの理想型

清藤秀人映画ライター/コメンテーター
エア・ジョーダン 第1号(写真:ロイター/アフロ)

映画の出来栄えにメディアは興奮状態!?

ベン・アフレックがマット・デイモンと共同で脚本を手がけ、史上最年少の25歳でアカデミー脚本賞を受賞した『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』(1997年)から26年、初の長編監督作『ゴーン・ベイビー・ゴーン』(2007年)から17年、製作・監督・主演を務めてアカデミー作品賞に輝いた『アルゴ』(2012年)から11年が経過。そんな節目の年に再びデイモンを相手役に迎えた4本目の監督作『AIR/エア』(2023年)の評判がすこぶるいい。去る3月18日にアメリカ、テキサス州のオースティンで開催された巨大見本市、サウス・バイ・サウスウエストでプレミア上映された時には終映後にスタンディング・オベーションが巻き起こり、映画サイト、IndieWireは"『スラムダンク』と並ぶ史上最高のスポーツ映画”と絶賛を惜しまない。そこまで業界を興奮させている理由は幾つか挙げられる。

当時、ナイキは売り上げ第3位のマイナーブランドだった?

まず、描かれるのが誰もが一度は履いたことがある、または今も履いているナイキのバスケットボールシューズ、エアの誕生秘話である点だ。物語は意外な事実から始まる。1980年代の半ば、ナイキのバスケ部門は同じ部門でトップを走るコンバースと、それに次ぐアディダスの後塵を排し、売上高で第3位に甘んじていた。コンバースのハイカットスニーカーはバスケットボール用に作られた最初のシューズと言われ、1950~60年代に活躍したバスケ選手のほぼ全てがコンバースのハイカットを履いていたと言われるほどだ。一方、当時のナイキはランニングシューズのイメージが強く、ナイキを履きたがるバスケットボールのトップ選手は皆無だった。そんな劣勢を跳ね返すべく立ち上がったのが、ナイキのセールスマン、ソニー・ヴァッカロだ。それまで発展途上だった同社のバスケ部門を飛躍させるべく、ヴァッカロはある賭けに出る。1984年、NBAのルーキーイヤーだったマイケル・ジョーダンに対して前代未聞の独占契約を持ちかけたのだ。

"エア・ジョーダン"誕生の瞬間
"エア・ジョーダン"誕生の瞬間

それは、ジョーダンのプレーをイメージしたカスタムメイドのバスケシューズを製作するというもの。ジョーダンがジャンプした時の滞空時間の長さと、ナイキが保有していたソール用のエアクッション技術のコラボレーションによって誕生したそのシューズは、”エア・ジョーダン”と名付けられ、ナイキを一躍トップブランドに押し上げたばかりか、ストリートバスケット、およびストリートファッションの分野に革命を起こすことに。1990年代の初め、”エア・ジョーダン”には破格のプレミアが付き、強奪、傷害事件や悪質な転売行為に発展する。スニーカーが社会現象になったのだ。その後、"エア・ジョーダン"はシリーズ化され、モデルチェンジを繰り返しながら40年近くに渡り開発と販売が続けられている。また、ナイキのロゴである”スウッシュ”がプリントされたスポーツウェアは、バスケ以外にもテニス、陸上、等々、現在あらゆる人気スポーツの分野でトップブランドとして認知されている。そして全ての始まりは"エア・ジョーダン"だったのだ。

ナイキはなぜルーキーのジョーダンに破格の契約を持ちかけたのか?

ヴァッカロとジョーダンの契約時に話を戻すと、ナイキはジョーダン側に対してパートナーシップ契約料として当初は誰もが懐疑的だった破格の1500万ドルを提示する。それは、ジョーダンの資質と将来性と商品価値に対する投資額を意味していた。今にして思えば安い買い物だったのだが、デビュー当時のジョーダンはドラフトで3位の選手であり、すでにアディダスが契約のために動いていたタイミングでのこの行動は、ヴァッカロのみならずナイキの社運すら左右しかねない暴挙と思われた。しかし、スポーツビジネスの本質を知り尽くしていたヴァッカロには契約を成立させ、成功に導く自信があった。何よりも、彼はスポーツを、スポーツビジネスを愛していたのだ。対するジョーダン側から商談の席に着いたのは、ジョーダンが全幅の信頼を寄せる母親のデロリス・ジョーダンだった。物静かにヴァッカロの提案に聞き入っていたデロリスが、契約条件に付け加えた”ある項目”は画期的だったと同時に、息子の才能を知り尽くした母親ならではの賭けだったとも言える。

デロリス・ジョーダン(ヴィオラ・デイビス)
デロリス・ジョーダン(ヴィオラ・デイビス)

そこには汚れやすいスポーツビジネスの理想型が

『AIR/エア』が描くのは、目先の利益だけではなく、勿論、私的な利益のためでもない、スポーツビジネスに関わる人々がコートの外で共有するスポーツマンシップの尊さに他ならない。そこが第2の見どころだ。ヴァッカロとデロリスの交渉シーンを見ると、トップアスリートたちがチームやクライアントと契約する際によく話題に上る契約金額が物語る本当の意味がわかる気がするのだ。

ベン・アフレック&マット・デイモンのリスタートとなるか!?

ソニー・ヴァッカロ(マット・デイモン)
ソニー・ヴァッカロ(マット・デイモン)

ソニー・ヴァッカロを演じるのは製作も兼任するマット・デイモンだ。最近、かつてのアイドルから深みのある演技派へと変貌を遂げているデイモンが、本作でも負け犬が再起していく過程を抑制した演技で表現していて秀逸だし、相棒のベン・アフレックは製作と監督、そして、ナイキの創設者でありCEOのフィル・ナイ役を兼任して相変わらず多才なところを見せている。また、デロリスを演じるのは現役最高峰の演技派、ヴィオラ・デイビスだ。アフレックがマイケル・ジョーダンに映画化の許諾を申し出た際、ジョーダンが提示した条件の1つが、敬愛するデイビスに母親役を演じてもらうことだったという。

フィル・ナイ(ベン・アフレック)
フィル・ナイ(ベン・アフレック)

本作はアフレックとデイモンが共同で設立した製作会社、”Artists Equity”のデビュー作品でもある。同社は監督、プロデューサー、俳優だけでなく、撮影監督、編集者、衣装デザイナーたちにも収益を配分することを前提にしている。公式ホームページを開くと、待機作としてケイシー・アフレックの監督&主演作、キリアン・マーフィの製作、主演作がラインナップされていて、これを機にハリウッドに静かな旋風を巻き起こすことを予感させる。『グッド・ウィル・ハンティング~』から四半世紀、あれから公私共に色々あったベン・アフレックと盟友のマット・デイモンにとって、『AIR/エア』は再出発になり得る渾身の作品。映画は早くも来年のオスカーレースの主役になるのでは?という気の早い見方もされている。

『AIR/エア』

4月7日(金) 全国公開

配給: ワーナー・ブラザース映画

コピーライト: (C) 2023 Warner Bros.Ent.All Rights Reserved.

映画ライター/コメンテーター

アパレル業界から映画ライターに転身。1987年、オードリー・ヘプバーンにインタビューする機会に恵まれる。著書に「オードリーに学ぶおしゃれ練習帳」(近代映画社・刊)ほか。また、監修として「オードリー・ヘプバーンという生き方」「オードリー・ヘプバーン永遠の言葉120」(共に宝島社・刊)。映画.com、文春オンライン、CINEMORE、MOVIE WALKER PRESS、劇場用パンフレット等にレビューを執筆、Safari オンラインにファッション・コラムを執筆。

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